「世界の始まりについて」

夏読書ってことでちょっと触れたピロポノスの「世界の始まりについて」。希独対訳本(“Johannes Philoponos, de orficio mundi”, üb. Clemens Scholten, Herder, 1997)は3巻本なのだけれど、とりあえず1巻目がそろそろ大詰め。オリジナルテキストでいえば第一書と第二書。いや〜これが予想に違わず、結構モダン(笑)な感じで面白い。聖書の注解というよりも、先行する諸々の注解書を批判しつつ、新プラトン主義的な流儀(四元素の話とか)で説明を再構築しようとしている、という感じ。第一書では中心となるのが天使論で、とくにモプスエティアのテオドロスという人物の聖書注解が俎上に載せられる(これってアンティオキア系の人らしいが、詳しいことは調べていない。確認しておかないと)。第二書になると、元素論が中心になり、「光あれ」の光などの問題が取り上げられる。批判対象もバシレイオスほか様々。うーん、こうなってくるとピロポノス自身の入信の動機とかも気になってくる。そのあたりの線で研究書とかも見てみたい。

断章30(1/3)

(Lamberz : 33, Creuzer=Moser : 35)

Ἕκαστον κατὰ τὴν ἑαυτοῦ φύσιν ἔστι που, εἰ ὅλως ἔστι που, οὐ μέντοι παρὰ τὴν φύσιν.

Σώματι μὲν οὖν ἐν ὕλῃ καὶ ὄγκῳ ὑφεστῶτι τὸ εἶναί πού ἐστι τὸ ἐν τόπῳ εἶναι· διὸ καὶ τῷ σώματι τοῦ κόσμοῦ ἐνύλῳ καὶ ἐνόγκῳ ὄντι τὸ πανταχοῦ εἶναι ὑπῆρξεν ἐν διαστάσει τε καὶ τόπῳ διαστάσεως. τῷ δὲ νοητῷ κόσμῷ καὶ ὅλως τῷ ἀύλῳ καὶ καθ᾿ αὑτὸ ἀσωμάτῳ, ἀόγκῳ ὄντι καὶ ἀδιαστατῳ, οὐδ᾿ ὅλως τὸ ἐν τόπῳ πρόσεστιν, ὥστε τὸ εἶναι πανταχοῦ τῷ ἀσωμάτῳ οὐκ ἦν τοπικόν.

Οὔτε ἄρα μέρος μέν τί ἐστιν αὐτοῦ τῇδε, μέρος δὲ τῇδε – οὐκέτι γὰρ ἐκτὸς ἔσται τόπου οὐδὲ ἀδιάστατον – ἀλλ᾿ ὅλον ἐστίν, ὅπου καὶ ἐστιν· οὔτε ἐνθάδε μέν ἐστιν, ἀλλαχοῦ δὲ οὔ – κατειλημμένον γὰρ ἔσται ὑπὸ τόπου τῇδε, ἀφεστηκὸς δὲ τοῦ ἐκεῖδε – οὐδὲ πόρρω μὲν τοῦδε, ἐγγὺς μέντοι τοῦδε, ὡς τὸ πόρρω καὶ ἐγγὺς τῶν ἐν τόπῳ πεφυκότων εἶναι λέγεται κατὰ μέτρα διαστημάτων. ὅθεν ὁ μὲν κόσμος τῷ νοητῷ διαστατῶς πάρεστι, τὸ δὲ ἀσώματον τῷ κόσμῷ ἀμερῶς καί ἀδιαστάτως.

各々のものは、みずからの本性において、どこかに存在する。仮にどこかに全体としてあるとしたならば、もちろん本性に逆らってはいない。

質料のもとにあり、大きさのもとに置かれた物体にとって、どこかにあるとは場所にあることを意味する。ゆえに、質料と大きさを伴って存在する世界の諸物体にとって、遍在するとは拡がりにおいてあること、場所に拡がって存在することを意味する。一方、可知的な世界や、一般的に非質料的なもの、それ自体で非物体的なもの、大きさをもたず拡がりももたない存在には、場所に存在することはまったくありえない。そのため非物体にとって遍在するとは、場所にあることを意味しない。

ゆえに、その(非物体の)どれかの部分はここ、別の部分はそこというふうにはならない。そうだとすると、それらはもはや場所の外にあるとか、拡がりをもたないということではなくなってしまうからだ。むしろ、それがある場所にすべてあるのだ。「ここ」にあるのであって、他の場所にはない、というわけでもない。それでは「ここ」の場所に包み込まれてしまって、「そこ」からは離れていることになってしまう。また、そこから遠くにあるとか、そこの近くにあるとかいうわけでもない。その場合の「遠い」「近い」とは、ごく自然に場所のもとにあるものについて、距離の尺度で言われることだからだ。したがって、世界は可知的なものには拡がりとして現れ、非物体的なものは世界にとって、部分も拡がりもないものとして現れるのである。

歯車機械

先のジャンペル本では、西欧では機械式時計が発明されたのは13世紀ごろとされ、振り子式やエスケープメントも14世紀半ばには定着していたと記されている。これがまあ、従来の妥当な定説。しかしながら、はるか昔のギリシア時代、同じような歯車式の機械がすでに存在していたとしたら……。という問いを突きつけてきたのが、「アンティキテラの機械」と言われるものなんだそうで。1901年に古代の沈没船から引き上げられた物品の中から発見された、ボックス型の歯車機械。何をする機械なのか、どういう仕組みで動くのか、いつごろの機械なのか。そうした疑問に取り組んだ人々を活写した、サイエンス・ルポルタージュの好著だったのがジョー・マーチャント『アンティキテラ – 古代ギリシアのコンピュータ』(木村博江訳、文藝春秋)。うーむ、以前のブログに記したフェルマー最終定理本や線文字B解読本などもそうだったけれど、これも実に読ませる一冊。こういうサイエンス系のジャーナリズムの充実ぶりは、日本ではとうてい考えられない。なにせこちらではせいぜいが「プロジェクトX」とか、専門家が勝手に書き散らすエッセイ本どまりになってしまう(のはなぜなのかしら、という疑問もあるのだが)……。

不可思議なそのボックスに魅入られて、ひたすらその再構築に人生をかける研究者たちの群像劇。なんとも人間くさくて興味深い(笑)。また、その対象となる機械そのものの不可思議さがまたいい。差動装置や遊星歯車などの機構を、古代ギリシアの技術者たちがとうに知っていたかもしれない、なんて仮設も出てくる。うーむ、ま、邦題の「コンピュータ」というイメージはちょっと違うかなという気がするけれど、最終的な結論もとても興味深いもの。古代ギリシアのコスモロジーへと一挙に誘ってくれる感じだ。この間の日蝕の前に読んでおくとよかったかもなあ(笑)。

アカデミー・フランセーズ辞書

このところ、仏語のいくつかの単語について、16、17世紀ごろの表記がどうだったかというのを調べる機会があって、オンライン版TLF(Trésor de la Langue Française)とかを覗いたりしていたのだけれど、17世紀以降はやはり基本的にアカデミー・フランセーズ辞書(Dictionnaire de l’Académie Française)の変遷を押さえておく必要を痛感した。というわけで、名著だと思う山田秀男『フランス語史』(駿河台出版、1994)から抜き出しておこう。

  • 1694年 初版 着手から60年で刊行。綴り字は旧態依然とされ、配列は語族による分類。
  • 1718年 第二版 配列をアルファベット順にする。iとj、uとvの区別が明確に。
  • 1740年 第三版 Pierre Joseph Thoulier d’Olivetによる綴り字改革を反映。ただし中途半端。たとえばoiはeの発音になっていたにもかかわらず、そのまま残る。ただ、発音されなくなった子音はだいぶ省かれるようになっている(chasteau → chateau、recepvoir → recevoirなど)。yもiに改めている(celuy-cy → celui-ci)。
  • 1762年 第四版 新語、専門用語を拡充。二重の子音を一つにし、発音されない子音を省く(appeller → appeler、paschal → pascalなど)。
  • 1798〜1801年 第五版 革命関係の語を追加。後にアカデミーはこの版を否認。
  • 1835年 第六版 oiがようやくaiに改められる(j’aimois → j’aimais)。1842年に一万語以上の補遺も出る。
  • 1878年 第七版 特記事項なし。リトレの辞書などに負けている?
  • 1932〜35年 第八版 第七版を大幅に改定。グラン・ロベールやグラン・ラルース、さらには紙版のTLFに負けている?
  • 1986〜 第九版 仏版Wikipediaによると、2007年10月の段階でpiécetteまでとか。

辞書と実際の文献での表記にタイムラグやばらつきがあることは言うまでもないので、これはあくまで目安。実際、第三版の綴り字改革などは世論に押されてやむなく、ということだったようだし、辞書の歩みはいつの時代も遅々たるものか……。

iPod TouchでEBPocket

今日は昼間からここのレンタルサーバが落ちていて、しかも急遽ディスクまで入れ替えるというメンテナンスをやっていたらしい。お盆休みだろうに、IT技術者はこういうことがあると忙しくなってしまって大変だなあ……と。そんなわけで、このページを見ようとしてアクセスできなかった方、ごめんなさい。

さて気を取り直して本題。いまだにWindows CEとかで重宝しているEBPocket。これのiPhone/iPod Touch版が出ていたので、早速使ってみる(こちら無料版→EBPocket free)。ロワイヤル仏和やランダムハウス英和をかなり以前にEPWING形式にしたのだけれど、これでそれらがiPod Touchで(もちろんiPhoneでも)使える(これは嬉しい)。FTPサーバが付いているので、辞書転送も楽。使い勝手は悪くないのだけれど、多少速度が遅いのと、うちのiPod Touchでは、なぜか本体がやや不安定な感じで、ある操作シークエンスで(必ずというわけでもないのだけれど、高い確率で)落ちたりする。有料版(こちら→EBPocket Professional)にしても状況はほぼかわらず。これって何が問題なのかよくわからないが、まあ、今後の改良に期待しよう。

そういえばEPWING形式の辞書が使えるものとしては、ほかにiDicとかもあるようだ(iDictとか、iDictionaryとかの類似品と間違えないよう要注意)。こちらは試したことがないので、詳細は不明。