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中世の「ネイション」観

一般に、国民(ネイション)というのは近代的概念だとされ、中世などに当てはめるとたんに微妙な感じ、どこか落ち着かない感じがしてしまう。けれどもルネサンス期あたりでも、たとえばイタリアのナショナリズムは人文主義と密接に結びついていたとされ、そうしたナショナリズムの強化という時代の流れに乗じて、教皇たちはみずからをイタリア精神を体現する君主と捉えるようになり、都市国家側の野心と衝突することになる……なんて記述が、少し前に挙げたバラクロウ『中世教皇史』に見られたりもする。うーむ、では中世においてはどうだったのか。実際のところ、13世紀当時の大学において、学生が出身地別の「国民団」に属していたことはよく知られている。ブラバンのシゲルスなど、その団長として大暴れした話などが伝わっているくらいだ。総じて「国民」という意識はどの程度、あるいはどのように共有されていたのか。そのあたりがとても気になってくる……というわけで、リーズ・デーヴィス「中世世界における国民と国民的アイデンティティ:一つの擁護論」(Rees Davies, Nations and National Identities in the Medieval World: An Apologia, Revue belge d’histoire contemporaine, Vol.34, 2004)という論考に目を通してみた。近代以降についてのネイションの定義(アントニー・スミスによる定義など)には確かにそぐわないものの、中世においても人々は自分たちがなんらかの民族・国民に属していると信じていただろうという立場から、論文著者は中世研究においてもしかるべき「国民」概念を用いてよい、あるいは用いてしかるべきだと主張する。

その理由は、まずもってそもそも民族を指す意味でのnacio(natio)という言葉、あるいはgentes(民族・氏族)という言葉が中世の文書によく見られるからだとされる。ウェールズのルーワリン・アプ・グリフィズ(Llywelyn ap Gruffudd)の書状が例として挙げられているほか、ウェールズで初のノルマン人司教となったベルナルドゥスの教皇宛ての書状(1140年ごろ)や、シチリアのフリードリヒ二世が民族同化の危険を警告する文書(1233年)など、いろいろな史料に見いだせるようだ。著者は、そもそも中世人の民族意識は私たちが考えるよりもっと生々しいものだったろうとしている。民族自体が神が創ったものとされ、血縁関係こそがその所属を規定していたというわけだ。それは現代人に負けず劣らず現実的なものだったはずだ、と。

論文の後半では、イングランドを例に、ネイション・ステートの成立プロセスを描いている(イングランドは12世紀ごろのきわめて早い段階から一種のネイション・ステートだった、という話)。それは基本的に、外敵に対する集団の自己規定、民族名の付与、過去の共有(ルナンが言うところの歴史的神話の創設)という形でのアイデンティティの確立というステップを踏んでいる。とくにこの第三の点は、もとはベーダの『イングランド教会史』があり、11世紀のノルマン・コンクエストを経てもなお、イングランドの歴史的神話は改編を経てその出来事に適応しそれを吸収していったとされる(反ティントンのヘンリーが1120〜30年代に著した『イングランド史』)。このあたりはちょっと図式的すぎる感触もないわけではないけれど、議論の入り口としては悪くない気がする。

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