ちょっと思うところあって、久々に友愛論がらみの論考2本ほどに目を通す。一つはM.E.ミュレット「ビザンツ:友愛の社会?」(By M. E. Mullett, ‘Byzantium: A Friendly Society?’ in “Past and Present” Vol.118:1 (1998))。ビザンツ社会(とくに神学者や宮廷などのエリート層)の一般的なイメージというと、どこか禁欲的で堅苦しい社会を思い描きがちだけれど(西欧から見たら、ということかしら?)、実は友好的な関係を重んじた社会だったという話が展開する。堅苦しさの固定観念は、一つには文献的に友愛に言及するケースが乏しいからだということなのだけれど、著者によれば、ビザンツの知識階級は古代ギリシア的な友愛の伝統を忘れておらず、友愛についての哲学的議論や賞揚は標準的なトポスとなっていたという。たとえば、友人同士の間で盛んに交わされていた書簡のやりとりは、友愛の感情にあふれたものが一般的で、中には面識はない文通友達の関係も数多くあったという。彼らは「フィリオイ(友人たち)」という言葉は盛んに使っても、あまり「フィリア(友情)」という抽象名詞はあまり使わなかったのだそうで、哲学的議論にしても、友愛とは何かということではなく、どういう人が良き友かといった話に始終しているらしい。著者はまた、ビザンツはいわゆる「コネ社会」で、「手段としての友人関係」が幅を利かせていたとも指摘する。友情の関係にはいわゆるパトロネージの関係なども含まれているのだとか。プセロスには養子がたくさんいたというけれど、これなどは一種のパトロネージ関係だったのでは、と……。
ミネソタ大学のジャスパー・ホプキンズというと、アンセルムスとニコウラス・クザーヌスの専門家ということで、その筋では有名なのだそうだ。サイトもあって、論文などをダウンロードできる。で、当然ながらというべきか、両者の関連についての論文もある。というわけで、その「ニコラウス・クザーヌスの、カンタベリーのアンセルムスとの知的関係」(Jasper Hopkins, ‘Nicholas of Cusa’s intellectual relationship to Anselm of Canterbury’, in “Cusanus – the legacy of learned ignorance”, ed. Peter J. Casarella, The Catholic University of America Press, 2006)(PDFはこちら)を読んでみる。なにやらいきなり冒頭の「煽り」が奮っている(笑)。クザーヌスを単純にカントの、またひいてはドイツ観念論の先駆的存在とみるカッシーラーその他の論調にクギを刺し、そういう誇張された解釈に走らず、より実直な影響関係を考えるほうがよいと強調する。クザーヌスの基本的教義(無限と有限の不均衡、学識ある無知、対立物の一致)の検討は、ライムンドゥス・ルルスやエックハルトあたりから始めるのがよい……みたいな。そういう中で、同論考では、意外にクザーヌスの中で言及も少なからずあるらしいカンタベリーのアンセルムスを取り上げている。
これはまた、なんとも面白い論文が紹介されていた。リアン・スピエック「中世カスティリャにイブン・シーナーの『東方哲学』を求めて」というもの(Ryan Szpiech, ‘In search of Ibn Sina’s “Oriental Philosophy” in Medieval Castile’ in Arabic Sciences and Philosophy, 2010, pp.185-206)。イブン・シーナー(アヴィセンナ)には膨大な著作があったとされ、その多くは失われているわけだけれど、とりわけ論争の的になっているのが「東方哲学」なる一冊。現物がないので、間接的な言及しか手がかりがないというが、これが果たして世に言う照明派なる神秘主義的な哲学をなしていたのかどうかが問題となっているという。アンリ・コルバンの一派(さらには最近の研究者もいるらしい)はイブン・シーナーの神秘主義的傾向を前面に出して論じているのに対して、ディミトリ・グータスなどはこれに懐疑的なのだそうだ。で、この論文はそれに一石を投じるという形で、東方哲学が言及されている14世紀のカスティリャのユダヤ教思想家(後にキリスト教に改宗)、ブルゴスのアブネルによる引用を検証しようという趣向だ。引用部分は神秘主義的な色合いが濃く、これがイブン・シーナーのものであるとなればその神秘主義的傾向の可能性は強くなるが、逆にそうでないとなれば、神秘主義的解釈は一種の歪曲である可能性が残るという次第。なかなかサスペンスフルな論考ではある……。