「数の学」カテゴリーアーカイブ

エピノミス

Charmides. Alcibiades I and II. Hipparchus. The Lovers. Theages. Minos. Epinomis (Loeb Classical Library)アカデメイア派での数学重視の基礎ともなったとされる対話篇『エピノミス』を読んでみた(Loeb版:Charmides. Alcibiades I and II. Hipparchus. The Lovers. Theages. Minos. Epinomis (Loeb Classical Library) Harvard Univ. Press, 1927-55)。なるほど、確かに学問の重要さを問う箇所が冒頭と末尾に出てくるけれど、全体としてはやはりコスモゴニー(宇宙開闢論)を語っている部分がメインという印象。普遍数学のような明確な視点が直接的に出てくるわけではないけれど、いちおう関連がありそうな箇所を確認の意味でメモしておくと、まず976E。その前段からの話の流れで、その修得がなければ思慮がなく良き市民ではありえない一学知として、数をもたらすものが挙げられる。977Cでは、数がなかったとしたらどのような理解もありえなかったということが語られる。次いで今度は990Bで、天体の話から再度学問の必要の話へと移り、そこで最も重要かつ第一のものとして、「数そのものの学」が挙げられている。物体的なものをもたず、それでいて奇数や偶数の起源をなし、事物の自然本性に対する影響力を有している、というわけなのだが(”τὸ δὲ μέγιστόν τε καὶ πρῶτον καὶ ἀριθμῶν αὐτῶν, ἀλλ’ οὐ σώματα ἐχόντων, ἀλλὰ ὅλης τῆς τοῦ περιττοῦ τε καὶ ἀρτίου γενέσεώς τε καὶ δυνάμεως, ὅσην παρέχεται πρὸς τὴν τῶν ὄντων φύσιν.”)、このあたりが、数学の普遍性の義論へと結びついてくということなのだろうな、と。

普遍数学前史 – ルネサンス期

Mathesis universalis
再びダヴィッド・ラブーアンの著書(Mathesis universalis
)からメモ。ルネサンス期の「普遍数学」概念の受容と変遷についての部分だ。普遍数学なるものを掲げはしても、アリストテレスにはその対象をめぐる統一性に曖昧さが残るしかなかった。なにしろ普遍数学が扱うとされる数それ自体と、量(大きさ)との間(あるいは算術と幾何との間)にはなにがしかの乖離があるのだから。これに対するプロクロスの解決策はある意味とても奇抜だ。プロクロスはそこに「想像力」の「投影」を持ち込み、これによって数学に固有の対象の存在領域を策定しようとする。つまり一種の心理学的作用によって論理学と自然学の間に新たな対象領域を画定しようというのだ。そしてまさにこれはルネサンス期のプロクロスの再発見において、とくに注目を集める部分の一つとなったらしい。数学が媒介的な学問であることもこれで担保される。

ルネサンス期の「普遍数学」の言及も思いのほか少なく、代表的なのはベルギーのファン・ローメン(16世紀末)や、ドイツのヨハン・ハインリヒ・アルシュテット(17世紀初頭)などで、両人の参照元としてスペインのイエズス会士ベニート・ペレイラ(16世紀末から17世紀初頭)がいた。イエズス会の中では、教育典範の改正が進み数学を重視する動きが強まっていたとされる。ペレイラでは「共通数学」概念と、数学の「確かさ」の問題(数学が対象とする量がいわば「二種類」あることをめぐる議論)とが連動しているというのだけれど、これもさらに少し遡ると、16世紀半ばのアレッサンドロ・ピッコロミニに遡るらしい。ピッコロミニはプロクロスのテーゼ(数学の対象が想像力と一部結びついていて、それがある種の抽象化をなし、その抽象的性質が論証になんらかの可塑性を与える、というもの)をもとの文脈から切り離した形で前面に出す。ちょうど16世紀半ばにはプロクロスの再発見があり(ダシポディウス、ラメなど)、「普遍数学」の表記そのものはなくとも、プロクロスの文献はそうした各種の議論において頻繁に使われるようになったという。

ペレイラによって前景に押し出された数学の「確かさ」問題は、ピッコロミニやバロッツィ、さらにはラムス、ダシポディウスなども絡んだ議論の中心をなしていたといい、ほかにも算術を拡張した一般算術を唱える論者などや(マウロリコ:16世紀半ば)、アラブ世界に発する代数学をそうした一般学として提唱する者たち(16世紀後半のヴィエト、ステヴィンなど)もいて、算術と幾何学の接合をめぐる諸論はなにやら実に錯綜している印象だ。なかなかデカルトには行き着かないようだが、同書の著者ラブーアンは、デカルトへの導線は多数あり、そのうちのどれかを直接的な導線として特権化できるような要素はどこにも見当たらないと指摘している。数学の位置づけをめぐる遡及(アヴェロエス主義からロジャー・ベーコンにまで遡れるという)もそうだが、ルネサンス期の数学的議論の多様性もまた、まだまだ奥深い探求領域であるのだという。なるほどね。

普遍数学前史

Mathesis universalisダヴィッド・ラブーアン『普遍数学』(David Rabouin, Mathesis universalis, PUF, 2009)を読んでいるところ。とりあえずざっと前半のみ見てみたけれど、いろいろと興味深い。とりあえず大筋のエッセンスだけメモ。普遍数学(学問的序列の上位に位置するという考え方)はもちろんデカルト以降のものだけれど、一応その大元の発想はアリストテレスにあり、ルネサンス期にその概念の再発見がなされたという経緯がある(実際、たとえば中世盛期のゲントのヘンリクスあたりでは、数学は神学、形而上学、自然学の下に位置づけられていたりする。ルネサンス期のピコ・デラ・ミランドラでもそうみたい)。同書の前半は、アリストテレスの発想が結実しなかったのはどこに問題があったのか、またそれがどのように継承され、ルネサンス期の復興やデカルトにいたってそれをどう処理したのか、といった点を跡づけようといういう試み。アリストテレスにおいては、実は普遍数学への言及は二度ほどしかなく(『形而上学』のE1とK7)、その定義も問題含みで、まずもってそれが扱う対象が自然学の対象から明確に分離されていないという。というか、基本的に曖昧だとされる。たとえば数と大きさについて、アリストテレスはそれらを別個に扱うとしながら、一方では「大きさとは数である」といった言明も見られる(通約可能な大きさの比を扱う際など)。この立場は、曖昧さも含めてエウクレイデス『原論』に合致しているという。

その後、「普遍数学」は後世の新プラトン主義が受け継いでルネサンス期へと橋渡しする。けれどもその大きなモチーフとなったらしいのが、プラトンの対話篇(別人の作ではないかという説も当時から根強くあるようだが)『エピノミス』で、『原論』とは違う観点による数学の一体性の議論が見出されるという。そこでは数学は学知のほとんど最高位を占めるかのようで、コスモロジーにまで及ぶ範囲をカバーしているのだとか。要は数学的事象の一般理論の可能性を示唆しているというわけ(『エピノミス』は未読だけれど、俄然読んでみたくなった)。いずれにしてもアカデメイアでは、プロクロスにいたるころまで、そうした数学的位置づけが伝統としてあったらしい、と。

で、再びエウクレイデスを持ち出してそれと統合しようとするのがプロクロス(エウクレイデスへの注解)ということになるようなのだが、プロクロスは実に慎重に論を進めていて、数学が自然学との仲介役になるといった重要な観点を示しつつも、一般理論の提示にはなかなか至らない。アリストテレスにあった対象の設定問題がまたしても立ちふさがることになるようだ。で、ここから後半のルネサンス期の再考へと繋がっていく、ということになるようだ。

エウクレイデス(とプロクロス)

Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid (Loeb Classical Library)先のアルキメデスに続き、今度はエウクレイデスの『原論』をごく一部だけれど、同じくLoeb版の『ギリシアの数学著作集』(Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid, Loeb Classical Library, Harvard Univ. Press, 1939-98)で読んでみた。例によって、なにやら解せない部分も多い。プロクロスの注解など他の文献の抜粋なども収録されていたりして、『原論』が扱っている問題の広がりはイメージできるものの、中味はかなりわかりにくい。とくに、これこれの証明は何のためにやっているのか、というあたりがとてもわかりにくい(苦笑)。

ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典 (岩波科学ライブラリー)……というわけで、とりあえず全体の見通しを立てる(あるいは補助線を引く)意味もあって、アルキメデスの概説に続き斎藤憲『ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典 (岩波科学ライブラリー)』、岩波書店、2008-2013を読み始めたのだけれど、そうしたわかりにくさの正体の一端が見事に解説されていてとても有益だ。たとえば二章め。上のLoebの選集には入っていないけれど、『原論』第一巻は最初の命題1が正三角形の作図、命題2と3は点と線がそれぞれ与えられとき、点を起点とし、その与えられた線と同じ長さの線を作図する問題、そして命題4で二辺夾角が等しい三角形は合同という条件の論証となるのだとか。プロクロスなどはこの命題1が何を意味しているのか掌握しきれずに、「三角形が存在することの証明なのだ」として、注解に二等辺三角形や不等辺三角形の作図方法まで載せているという(笑)。さらに命題4より前の証明は不要だとも説いているらしい。けれども著者によると、この命題3までの論証は、「直線の移動、重ね合わせという、三角形の合同条件を証明するために不可欠な操作を保証するための、最小限でまったく無駄のない準備だった」(pp.38-39)のだという。

命題に入る前の最初の「定義」に続く「要請」部分は、あらかじめ承認すべきことが列挙されていて、その冒頭には「点から点へ直線を引くこと」「円を描くこと」などがあるのだが、これについて同書は、パルメニデスが始祖とされるエレア派の、運動をすべて否定する考え方による批判を予め牽制したものではないかという説を紹介している。その点についても、「運動の可能性を命題でわざわざ証明することはプロクロスには思いつかなかった」(p.39)のではないか、と記している。プロクロスは「要請」での直線や円の作図保証を、点の運動によって直線や円が生成することを記述したものと捉えているようだという(同)。エウクレイデスのはるか後世のプロクロスにとっては、もはや運動は当たり前のことで、エウクレイデスがもしかしたらエレア派に対して張ったかもしれない予防線になど、とうてい思い至らないようだというわけだ。そういう話を聞くと、逆にプロクロスの注解が俄然面白そうにも思えてくる(笑)。

アンチ世界永劫論−−ボナヴェントゥラの場合

かなり前にダウンロードしたベンジャミン・ポール・ウィンター「ボナヴェントゥラによる六つの反・世界永劫論の哲学的・神学的分析」(Benjamin Paul Winter, A Philosophical and Theological Analysis of Bonaventure’s Six Arguments against the Eternity of the World, Villanova University, 2014)(修論のようだが、あれれ、これは現在ダウンロード不可?)にざっと眼を通す。ボナヴェントゥラはアリストテレスの議論を踏まえつつも、その「世界永劫論」に対しては否定的なスタンスを取っていた。けれどもそれはトマス・アクィナスなどの議論とは大きく異なっている……。というわけで、同論考はそのあたりを具体的に見ていこうとし、結果的にまとめとして有益な論考になっている。ボナヴェントゥラが展開した議論は6つ(ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』への注解として論じている)。(1)無限には別要素を加えることができない。(2)無限の数は秩序づけることができない。(3)無限であるものを横断することはできない。(4)有限の能力によって無限を掌握することはできない。(5)無限数の事物が同時に存在することはありえない。(6)無から有になったものが、永遠の存在を得ることはありえない。論文著者はこのうち(1)から(3)を数学的・哲学的議論、残りを神学的議論(無からの創造の教義に関わるもの)と区分している。

個人的にはとりあえず前者に目が惹かれる。ボナヴェントゥラが問題にしているのは現実態としての世界の永劫性だ。最初の三つの議論は、どれも数の無限が「現実態として」はありえないという論点にもとづいている。算定できるような数的無限は定義上あり得ず、無限同士の比較もできない、とされる。地球の回転、太陽の回転、月の回転は、数量的に互いに異なっているかもしれないが、無限の回転という意味では同一だとされる。けれども、今日の回転が昨日までの回転よりも一回分多いことは理に適っており、したがってその回転が無限だという前提は誤っていることになる……これが(1)の議論。また「最初」が特定されないならば、2番目以降も特定されえず、そこにはいっさいの序列、秩序がありえないことになってしまう。だが第一原理の存在は認めなくてはならない云々。これが(2)の議論。「過去」を潜在的に無限の出来事が連なるものと考えた場合、そこには時間と出来事との対応関係がなくてはならなず、時間もまた無限ということになるが、そうした属性を認めるかどうかが問題となる。ボナヴェントゥラはもちろん、そうした対応関係を認めない。これが(3)。これら三つの議論はどれも相互に連関している。無限同士の比較(それが可能になれば全体の連関が崩れる)という議論が出るのには、ボナヴェントゥラの次の世代以降(一四世紀)を待たなくてはならないのだけれど、この論考はさしあたりそうした思想史的な話を追おうとはしていない。そこがちょっと個人的には残念……かな?