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偶有的属性についての論集

フランスの著名な中世思想史家アラン・ド・リベラの還暦を記念する論集『実体を補完するもの–アラン・ド・リベラに捧げる、偶有的属性についての論集』(“Compléments de substance – Études sur les propriétés accidentelles offertes à Alain de Libera”, ed. Ch. Erismann et A. Schniewind, Vrin, 2008)を読み始める。さすがにその分野の大物だけあって、記念のエッセイと論文合わせて30本以上が寄せられている。論文はいずれも、タイトルにあるように偶有性の問題を中心とするもの。ページ数こそ限られているものの、それぞれ力の入った論考のよう。まだ最初のいくつかしか見ていないけれど、面白いものはメモしておこうか。以下まずとりあえずのメモ(笑)。

編者でもあるクリストフ・エリスマンの「偶有で説明される個体性–ポルピュリオスがたどった<キリスト教的>運命についての一考察」は、『イサゴーゲー』の差異についての解釈がその後どういう受容と変遷を辿ったかについて、ニュッサのグレゴリオスを中心にまとめたもの。ごく短い論考だけれど、とても刺激的。それによると、グレゴリオス(とそれに影響を与えたバシレイオス)は、属性をめぐるポルピュリオスのモデルを活用し、それを拡張する形で位格について論じているのだという。実体(ウーシア)を共通なもの(普遍)ととらえ、偶有にもとづく差異を位格の側に置くというのがその議論の骨子で、単に個体化は偶有によるのだとする場合の難点(偶発的事象があたかも実体以前にあるかのような解釈になってしまう)を回避しているというのだけれど、そのベースはポルピュリオスにあるという。また、あるいはボエティウスなどもグレゴリオスを経由してこの考え方を受け継いでいるのではないかとの仮説も末尾で提出している。うん、これは面白い視点だ。ちょうど、少し前に古書店で購入したバシレイオスの書簡集が手元にあるのだけれど、グレゴリオス宛ての書簡が重要なソースとして挙げられているので、これはちゃんと原文を読んでみようと思う。

プロティノス論

岡野利津子『プロティノスの認識論–一なるものからの分化・展開』(知泉書館、2008)を一通り。プロティノスのヌース(知性)からの発出論を中心に、手堅くまとめた一冊。確かにその知性論は、一見(表層的になぞるだけなら)わりとすんなりわかった気にさせられるのだけれど、読み込むといろいろと難しい(苦笑)。その意味では、こうした整理はやはりありがたく、プロティノスを読むときの参考書として有益だ。けれども個人的には、最新の研究動向の紹介とかをもっと入れてほしかったなあと思う。一部の章は博論をまとめたものといい、先行研究への言及が少しだけある。おそらくはそうした先行研究のまとめみたいなところはばっさりカットしてあるのだろうけれど……。うん、プロティノスに続いて、プロクロスあたりの発出論とかもきちんと整理したものがあるといいなあ、と改めて思う。