5.メディオローグ的日常
(書評の試み)
00年4月〜6月

中沢新一『はじまりのレーニン』
(岩波書店、同時代ライブラリー、1998)

94年に刊行されて以来、同書はいくつかの書評で取り上げられるなど、一部で話題になっていたようだった。その意味でずっと気にはなっていたのだが、実際に読んでみて、この着眼点には学ぶところが多いと感じた。マルクスが棚上げにしている「いかに」(思想を具現化するか)という問題系を、レーニンとその同時代人たちは真向から取り上げざるをえなかった。だが、当時隆盛だったというマッハ主義によって唯物論を作り変えるといった立場を、レーニンは斥ける。物質は客観として意識の外に実在する、というレーニンは、そこからへーゲル的な精神へと「とんぼがえり」する地点に到達する。意識が客観に近付くほど、「自分をとりまく世界を非現実であると考え、実践によって、それをより客観的な、新しい世界として創造しなおそうとする」(p.93)。ここにレーニンの唯物論の深みがあるのだという。

後半では、ドイツ神秘主義の生みの親とされるベーメが展開したという「底なしの無」としての神について取り上げている。それに「底」を与える西欧カトリック的思考に対して、マルクスやレーニンがベーメにつらなるものとして、「『生命のようなもの』(=概念)の『底』を破って、そこから生命そのものにたどりついていく、未知の思想の運動を発芽させ」(p.172)ようとしているのだと論じられる。その意味で、レーニンにおける党とはグノーシス的なものだったとされるのだ。「資本主義のつくりあげるコスモスにたいして、はげしい否定の精神をもった人々からなる『党』」(p.182)ということだ。だが、グノーシスはドブレ流にいうなら「刀身ばかりが大きくて柄の小さな刀」ということになる。それは幅広い人々を組織しうるものではない。著者はレーニンの思想が東方的な三位一体論という西欧にとっての外部を切り開くものだったと評しているが、おそらく、そこには共産主義の敗北そのものの萌芽があったというふうに取ることもできるだろう。では底を打ち破る思想は、結局は底を与えるものにはかなわないのだろうか?

山口昌男『天皇制の文化人類学』
(岩波現代文庫、2000)

初版は89年。王権のもつアンビバレントさを暴いた山口昌男のトリックスター論はつとに有名なので、ここで改めてどうこう言うべきことはない。だが、仮に大きな神話というものとうに消えてしまっているとしても、その空隙を埋めるかのように、今やメディアの力学も加わって、小さな神話がいたるところで乱造されている。そしてそれらが不気味な収斂を見せているような危機感もある。こうした状況を捉え、はぐらかすためには、今一度、神話論が再浮上しなければならないのではないか、と思われるのだ。

そうした視点で読む場合、王権構造そのものよりも、それが反映された神話の方を注目してしかるべきだろう。例えば同書所収の「『源氏物語』の文化記号論」では、同作の基礎には「アルカイックなパターン」があると指摘される。それは皇子を異人へと記号的に変換するパターンであり、それが「既成の説叙のパターンの中に、『エントロピー』(…)を導入することを可能ならしめる」のだ(p.133)。エントロピーとはこの場合、得体のしれないもの、予期せぬもののことだ。こうしたアルカイックなパターンは、日常の様々な部分に忍び込んでいる。「権力のコスモロジー」と題された対談では、明治期の政治的均質化の過程の中に、「儀礼的なものが薄められながら拡散されていった」のだと著者は述べる。その形成過程そのものは「いまなお潜在的に残っている」のだ(p.180)。このような密かな、温存されたアルカイックなパターンに光を当て、浮き彫りにすることこそ、批判・相対化のために今必要なことではないだろうか。安易な神話素抽出などに陥ることなく(それはテクスト分析などが陥った沼地だった)、クルーシャルな批判を展開しえなくてはならない。

上尾信也『音楽のヨーロッパ史』
(講談社現代新書、2000)

キリスト教の布教過程において音楽が(絵画とともに)大きな役割を演じたのは周知の通りだ。カトリック、そして後には宗教改革派も、ドブレのいう「大きな柄」を差し出したのだ。国家もまた、国民意識を高めるために様々な装置を駆使する。その一つには音楽もある。同書は、いわば「音楽の政治学」の序論として読むことができる。ラッパや笛などが、政治権力によってどのようなイメージに位置づけられてきたか。教会は、歌や楽器をどのように取り込んできたか。宗教改革における「説教パフォーマンンス」とはどういうものであったか。そして軍楽の誕生の問題(芸術の発展と戦争の関係)。このように、同書は様々な問題を投げかけている、と見ることができる。おそらくは音楽、あるいは諸芸術は、一度そうした権力の相のもとに、位置付け直してみる必要があるだろう。メディオロジー的な関わりは視覚芸術にのみ留まらない。音楽が、その重要な理論的視座をもたらす可能性もある。したがって、同書を一つの出発点として検討をめぐらしいく必要があるだろう。

今村仁司『交易する人間』
(講談社選書メチエ、2000))

資本主義の暴政ともいえる今の状況に対して、オルタナティブを探ろうとする動きが活発化してきている。同書もそうした戦略の一つと位置づけられるだろう。ここでのキーワードは交易だ。相互行為の複合性を示すために、交易概念の拡大が図られる。そもそも交易とは何か?この問いに、著者は根源的な「負い目感情の解消の努力」こそがその契機になっていると答える。自然から存在を「贈与」された人間は、それを霊性(アニマ)として受け止める。だが、人間の認知の欲望は人間を人間として価値づけており(動物性の否定だ)、そこから聖俗の差異が、記号世界の形成がもたらされる。その発展形が「アニマなき世界としての近代」だ。

負い目感情の解消からは自発的贈与が導かれる。そこから導かれる社会生活は二つに分かれる。負い目の共有を否定する競争社会と、負い目を共有する非競争社会だ。中世においては、贈与体制と、遠隔地交易とは共存していた。贈与体制は、蓄積、拡大差異生産過程の成立を阻止する歯止め装置として作用していたというわけだ。そして贈与体制は歓待をベースとしているという。要するに著者は、こうした贈与体制を何らかの形で資本主義社会の中の囲い地に出来ないかと問うているのだろうと思われる。だがその方策は示されていない。ここが問題だろう。今や理論構築は具体策を伴ってしかるべきだ。その点では、柄谷行人『可能なるコミュニズム』(太田出版、2000)には試みとしての具体案が示されていて興味深い。

もう一つ吟味が必要なのは「歓待」など中世をめぐる言説だ。例えば阿部謹也などは、例えば貧民の救済がシンボリックなものとして小数の貧民にのみ限定され、富者の魂の救済のためにあったことを指摘している。そこでは貧民の存在は神の配慮(富者にとっての)とされ、貧民を根絶する方向での救済はなかったのだという(阿部謹也『甦える中世ヨーロッパ』(日本エディタースクール出版部、1989))。さらに、中世都市の贈与/貨幣の並立状況が、貨幣経済へと収斂していくのはいかにしてなのか、という点も吟味が必要だろう。オルタナティブを探ることは容易ではないが、そうした吟味の中から、新しい道が探れるのかどうか、再検討を要するだろう。

鈴木理生『江戸はこうして造られた』
(ちくま学芸文庫、2000)

江戸の成立に、組織体制と土木工事の観点から迫った力作。その視野はきわめて広大で、著者は中世の熊野信仰から語り出す。信仰拡大において御師たちは地域間のコミュニケーションの媒体となり、寺が主導する形で「いちば」が形成されていく。それは海上輸送の体制を作り、足利氏時代には、人、モノ、情報の移動は寺社が中心となって組織される。開発と生産力の拡大を見た戦国時代を経て、いよいよ江戸が整備される。それはきわめて政治的、地政学的な営為だった。というのもそれはまず円覚寺領を取り上げることから始まるからだ。水利の整備において最大の問題となった下水処理(勾配の確保)から、町割にも大きな影響が与えられた。また、人手の確保として地方大名に自給自足での「御手伝」を課したことから、物資輸送の体制がいっそう整備されていく。利根川水系の開発にしてからが、治水というよりは船運確保こそが主な目的とされている…。都市の整備に関わる問題系は、このように必然的に広い視野を要求する。ヨーロッパ都市の成立をめぐる研究も数多くあるだろうが、同書を読むと、こうした水利系、運搬状況からのアプローチを改めて検証してみたくならずにはいられない。歴史が刺激に満ちた場であることの証左をなす一冊だ。

室井尚『哲学問題としてのテクノロジー』
(講談社選書メチエ、2000)

上に挙げた『交易する人間』もそうだが、資本主義と結びついた今の社会への代案を探ろうという著者の姿勢は真摯なものだ。ここでは技術の暴政が問題に付される。だが、フルッサーによる言説と対話の区分けを受けて著者が掲げる問題には、適切な解答が与えられたといえるのだろうか。問題は「ネット型のコミュニケーションを情報生産の場所にする工夫」はいかなるものでありうるか、ということだ。著者は「モノの経済から情報の経済(ボランタリー経済)へ」ということを言い、トフラーの「経済の2部門」(それはいわば、贈与体制と貨幣体制に相当する)を「導線で結びつけること」、あるいは「もう一つの経済を育てること」が、真の情報社会への道だと述べる。だがここでも具体案は示されていない。例えば、ネットのフリーのソフトウエア開発モデルすらも、その導線にはなりえていない(『伽藍とバザール』にその功罪があるといってもよいかもしれない)現在、一体どのような導線が用意できるのかが考え抜かれてしかるべきだろう(例えば『可能なるコミュニズム』で示されたLETS(Local Exchange Trading System)は果してそうした導線たりうるのか要注目だ)。

また、より哲学的な観点からすれば、それは呪術や宗教が担ってきた「アナザーワールド」への合流の動きであり、文化とはそもそもそういうものだったのだから、問題はそのアナザーワールドの書き換えだと言う。だがそれもまた容易ならざる道ではある。意識化(驚きと言ってもよい)は第一歩だが、そこから先の道を開くことこそ急務なのではないだろうか。そのためには、上でも述べたが、歴史的に贈与体制が駆逐されていった過程というものを再び吟味してみる必要があるだろう。さらに、それとの関係で、宗教的な「アナザーワールド」がどう変容していったのか(例えばヨーロッパ中世において)も再検討すべきだろう。課題はむしろそういうところにあるのではないだろうか。

Text: 2000年7月



Topへ

*Copyright (C) 2000 Masaki Shimazaki

*メールでのご意見等はMasaki Shimazakiまで