5.メディオローグ的日常
(書誌)
98年7月〜9月

今村仁司『近代性の構造』
(講談社選書メチエ、1994)

かつてジラールのスケープゴート理論をもとに『排除の構造』(青土社、1985)などを著した著者が、その後「近代」という大きな問題に取り組むこととなったのはある意味で必然だったのかもしれない。近代が生み出した国民国家は、公民の平等をうたうその理念とは逆に、きわめて差別的な構造をその内部に抱え込んでいるからだ。先にメディオロジー関連領域の一つとしてラトゥールの仕事に触れたが、そこでもまた「近代」は今、あらためて取り上げなくてはならない問題として設定されていた。もちろん両者のスタンスや議論展開は大いに異なる。ラトゥールがどちらかと言えば巨視的な「自然/社会」の分離の構図から巨視的に構えて静的な分析を行うのに対して、同書はむしろ、広い視点を設定しながらも、いわば動的な分析が放射状に広がる印象を与える。例えば近代以前の円環的な時間意識が、「量的なオブジェクト」としての直線的時間になる発端を、同書はは商業の発達に見ている。また、それが企てる精神、先取りする意識へとつながっていく。それはすなわち自然の制作という自然機械論へといたる。その機械論的世界像は経験主義と合理主義に共通の認識だという。唯物論も観念論もしかり。そして日本では機械論について真剣に考えた経緯というものがほとんどないと批判している。これは興味深い指摘だ。

著者は、象徴の革命が産業革命をうながしたのであって逆ではないという。古い世界像が破壊されてはじめて産業の激変が可能になるというのだ。だがこれは意識を中心に見る立場だろう。視点をずらせば、世界像、すなわち意識の転回を準備するのも、まさしく技術的な変化だと言えるのではないだろうか。つまり、象徴の変容と技術、そして産業の変容とは、相互に関わりあいながら動的に進んでいくものなのではないのだろうか。それはともかく、いずれにしてもそうした機械論は、人間をも物体化する視点を育み、結果的に排除を招くとされる。この機械論がもたらす排除という部分はあまり紙面を費されておらず、結果的に読者に考察を促す形になっているといえる。これは検討に値する問題だろう。同書では最後に、再び国民国家の排除の構造が語られる。排除と囲い込み(同質化)の二重の作用は表裏一体なのだ。近代について理解し、新しい世界像を求める作業を開始することと、暴力に加胆しないために自らを犠牲者の立場におくという倫理的戦略を著者は提唱する。この一種不可能性をも秘めたようなスタンスははたして可能なのだろうか。そして可能だとすれば、そこからどのような新しい世界像が開かれうるのか。ぜひともそうした問題を検討してみたいものだと思う。

渡部裕『音楽機械劇場』
(新書館、1997)

文化が技術によって育まれ、時には変容をきたす。そのダイナミズムを追うためには、現代人が歴史を振り返る時に陥りやすい「進歩史観」から自由になることが必要だ……著者の基本的なスタンスはそういう部分にある。18世紀以降、西欧の音楽は様々な楽器によって彩られた。あるものは消え、あるものは改良を経て現代にまで残る。それは決して直線的に進歩してきたものではなく、様々な力学が交差する場所において育まれてれてきたのだ。例えばピアノのペダルについて、著者は次のように述べる。今現在の観点では、音の響きをよくするものと、弱音化するものとがあり、ベートーベンはハイテク好きで、そのためペダルを多用した音楽表現を展開したと見がちだ。だがペダルはもともと、今はなくなってしまった膝レバーの延長線にあり、音色を変えるための装置として認識されていたらしい。結果的に19世紀初頭のペダルが多数あっても不思議ではないということになる。技術は最初から方向性が定まっているのではなく、最初は過去からのアナロジーで用いられる、という。

個人的には音楽には疎いが、こうした技術の混沌とした様子が記された書は読んでいて興味深い。その他にも練習曲の体系化や楽器の練習用器具など、様々な方向性の試みが浮上しては消えていく。その中から、巨大なうねりのように技術が、文化が変化していくのだ。この視点は後半、蓄音器にまで至る自動楽器を扱った章、ブルジョワ的なイデオロギーの中で楽器の練習を課せられた女性が蓄音器によって解放されるという略史などにも生かされている。特に、日本におけるライフスタイルの変容としてのポータブル蓄音器の受容が、伝統的文化である山岳信仰に裏付けられているといった指摘は刺激的だ。これはまさに、技術/文化受容におけるクレオール的現象ともいうべきものだろう。いずれにせよ、総じてこの視点は、吉見俊哉『「声」の資本主義』(講談社選書メチエ、1995)などと通底するものであり、メディア史/文化史研究(メディオロジー的な)の一つの成果だといえるだろう。

西原稔『ピアノの誕生』
(講談社選書メチエ、1995)

上にあげた『音楽機械劇場』が総論をなすとすれば、刊行年こそ先だが、こちらは音楽技術史のいわば各論を形づくっていると言えるだろう。ピアノを取り巻く産業、音楽、市民生活の絡み合いを、控えめな筆致ながら丹念に読み解いていこうとする姿勢が見られる。多少教科書的な扱いになってはいるが、とりわけ随所で言及されるピアノをめぐる意識変化の問題が目をひく。製造技術でしのぎを削るウィーン・アクションとイギリス・アクション、さらには米国のスタンウエーなどの競争は、戦争や革命を逃れるためピアノ製造者が流出するという事実を背景としていたという一文。金属フレームがドイツやアメリカで採用され、イギリスで遅れるのは、木工職人の生理的嫌悪があったのではないかとの指摘などは、製造サイドでの話だが、消費サイドからのアプローチももちろんある。上流意識を持ち始めた庶民は、演奏会場での「聴衆」をなし、それは「客間」を出現させる。音楽はそこから流通経済の商品となり、事実、19世紀には楽譜出版が一大産業になる。また、ピアノは家具として位置付けられ、あるいは精神修養の場ともなっていく。できれば最後の日本の洋楽受容については、もう少しページを割いてほしいところだ。

村上陽一郎『科学者とは何か』
(新潮選書、1994)

これもまた、ラトゥールの「科学の社会学」の成果と通じる一冊だ。ラトゥールは近・現代の科学者像を、様々な例を引きながら微に入り細に入り検討したが、こちらはむしろ巨視的なスタンスから出発し、中世の西欧の知識人層への言及から説きおこし、将来の科学者像への提言にまでいたる。大著ではないが野心的な一冊だといえるだろう。最初に歴史的アプローチがある。中世の職能集団は徒弟制度を経て大学に設置された職業人養成機関によって育成されることとなったが、その職業倫理は神との契約において確立されていた。19世紀になって科学者という一団が誕生すると、その倫理的基盤が崩れ、一方で知識の専門化が進み、相互認知のための集団が形成されていく。一つ面白い視点は、ヨーロッパの場合、科学と技術は純粋に分離されていたものが、産業革命や市民意識の変化、市民革命による技術官僚の不足から、徐々に科学の場である大学に取り込まれていったのだが、日本には真に両者の対立がなく、明治時代の近代化においては、帝国大学内にいきなり工学部が設置された、というくだりである。ここには、明治以前の状況との関係で検討しなおすべき問題が含まれていると思われる。また、明治期の日本の近代化の特殊性を考える契機にもなりそうだ。

同書は続けて、科学者集団の内部規定、マンハッタン計画やアシロマ会議(遺伝子研究の実験にモラトリアムを設定した会議)を経た後の科学者の意識の変化、さらにそれを一般化した、多様な知識の組合せが求められるこれからの科学者像と、集団の外部に向けての倫理について述べていく。環境問題など複雑化する諸問題は、確かにマクロな、学際的アプローチを必要とするのだろうが、一方で学際性を高めつつ、非専門分野の知識をも吸収していくというのは至難の技だ。まずは意識改革を、という提言はうなづけるものの、そうした学際性と専門知識のバランスをどう保てばいいのか、あるいは知識をどのように組織化すればよいのかなど、基本的な問題も残る。この認識論的ともいうべき問題は、そのままメディオロジーそのものが抱える問題ともいえる。こうした問いをつき詰めるためには、例えばオーギュスト・コントなどの総合学としての社会学構想などを見直さなくてはならないのではないか。個人的には今、そんなことを考えている。

Text: 98年10月



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*Copyright (C) 1998 Masaki Shimazaki