5.メディオローグ的日常
(書誌/書評)
98年10月〜12月

川添登『東京の原風景』
(ちくま文庫、1993)(原版は1979、日本放送出版協会)

最近はガーデニングがブームなのだそうで、街の花屋に並ぶ鉢もずいぶん多彩になっているが、これなどはドゥブレーの言う「ジョギング効果」の最たるものだろう。車社会になって反動的に人々が走るようになったのと同様に、自然が侵されいよいよ危機感が高まって来ると、人々は手もとのごくわずかな「自然」をいたわろうとする。だが、結局それは技術に対して文化の側か均衡を取り戻そうとあがく姿であって、ジョギング効果が現れる時には、すでに技術の影響は取り返しのつかないところまで来ているのではないだろうか。そう考えるならば、現在のガーデニングブームを手放しで称賛することはできない…。

かつて東京には、きわめて豊かな草木の文化が存在した。これを著者は詳細に記してみせる。江戸中期、将軍吉宗が開発した飛鳥山の桜は市民のレクリエーションの場だったし、つつじで知られる染井は、植木の供給センターの役割を果たしていた。広い庭を有し暇のあった下級武士たちは植木いじりに精を出し、また火事などによる強制移転もあって、植木の需要は大きく広がった。中期以降には庶民の間にも園芸が広がり、さい銭を集めようとする寺院などが演出を手掛ける形で、一大文化産業、レジャー産業が誕生した、という。宮廷文化を市民社会が受け継いだヨーロッパに対して、江戸時代の日本は「下からつくり上げられる文化」を誇っていたのだと著者は言う。だがこれは明治期になって根本から覆される。都市化によって、市民たちの積極的な環境づくりは失われ、花の文化も衰退していく。花そのものの文化から、それを素材とみなす意識へと変化していくのだ。本書は必ずしも「失われたものへの郷愁」を述べ立てた書ではない。だが、昨今のガーデニングブームを見ても、近代化の功罪について改めて考えずにはいられない。当り前のことだが、エコロジー問題も突き詰めていけば近代化そのものの問題へと行き突くのであって、逆にそういう視点を欠いたならば、それは空虚な反動にしかならないのではないだろうか。

J.ロビンソン=ヴァレリー編『科学者たちのポール・ヴァレリー』
(菅野昭正ほか訳、紀伊国屋書店、1996)

「知の巨人」ヴァレリーについてドゥブレーは、文学の領域においてユゴーやディドロに並ぶ「着想の源泉」であると述べている。実際にヴァレリーは、同時代の科学について並々ならぬ関心を寄せていた。本書はヴァレリーが残した膨大な「カイエ」について、フランスその他を代表する諸科学の第一人者がそれぞれの専門領域に関連づけて論じた講演の集成だ。そこからは、諸科学に対するヴァレリーの洞察がいかに優れたものであったかが浮かび上がってくる。だがわれわれはそうしたヴァレリー賛はひとまず置いておかなければならない。むしろ、メディオロジーに直接関わってくると思われる領域への言及を拾い上げていかなくてはならないだろう。そのためには「カイエ」そのものに向き合うことが必要だが、これは他日の課題になるだろう。

「《思考そのもの》ではなくその機能作用(…)を表象するような機械的=電気的=化学的モデルの構築を試みるほうがましだろう」(同書、p.195)などといった一節を読むと、ヴァレリーの立脚する場所が実証主義的であるような錯覚を受ける。だが、と編者のロビンソン=ヴァレリーは「ヴァレリーが実証主義に閉じこもったことは決してなかった。(…)非合理なもの、情感、想像の部分すべてに触れ、(…)それをまず受け入れ、ついで点検し、秩序だて、知力それ自体の動きのなかに組み込むのは、知力そのもののなすべき仕事」だと編者のロビンソン=ヴァレリーは述べる。そこには科学的認識の不完全さを強調するヴァレリーの姿があるという。そうした視点を忘れない限りにおいて、その実証主義的な言及もまた、新たな文脈へと移し替えることができるはずだ。

坂上康博『権力装置としてのスポーツ』
(講談社選書メチエ、1998)

オリンピックでは自国のメダル数ばかりが報道され、野球やサッカーを観てはひいきのチームの勝敗に一期一優するわれわれ現代人。これほど心情に深く訴える、マスメディア化されたイベントはないと言っても過言ではない。そうした事態はどのようにして生まれてきたのか。こういう問いから本書を眺めると、いくぶんもの足りなさを覚える。確かに著者は、明治末期には反対キャンペーンの対象だった野球が大正期にいたって逆に称揚される様子や、アナウンサーの名調子やラジオ体操に見られるラジオ放送の果たした役割、皇族たちのスポーツ熱、そして思想善導という名でのスポーツの政治的利用などを軽やかにめぐっていく。特にこの政治利用の文脈では、中央の指導と地方での実践(民間のスポーツ団体)が相互に及ぼし合う影響にも触れている。それらは興味深い指摘でもあるのだが、事象の配置が散慢な印象を受け、結果として全体的な輪郭がぼやけてしまってはいないだろうか。だが、取り上げられている事例の考察には参考になるものも多く、スポーツ社会学としての今後の展開が期待される、とは言えるだろう。

W-J.オング『声の文化と文字の文化』
(桜井直文他訳、藤原書店、1991)

口承文化と文字文化とをめぐる、もはや古典と化した一冊だ。例えば文芸の研究においても、口伝えの文芸を文字のそれと比較する視点は今でこそ市民権を得てきたように思われるが、まださまざまな部分で、われわれは文字文化にあまりに影響されている。書くことは技術であり、それは「意識を内的に変化させるもの」だ、とオングは述べる。また、「人工的であることは、人間にとって自然なのである」とも言う。一方で、文字を中心とした私たちの意識を補完しているのは、ほかならぬ口承性なのである(ドゥブレー)。

声の文化においては、リズムや反復、対句といった、思考を記憶しやすくするための技術が発達した。逆に書くことは正確さや厳密さ、線形性をもたらし、それは話し言葉にもフィードバックされた。ラジオ以降(あるいはそれ以前から)の声の文化は、したがって二次的なものでしかない。一方で文字は印刷術によってその特徴がいっそう際だつこととなり(聴覚から視覚への移行を決定づけた)、やがては一方言の国民言語化をも招くこととなる…。論考の主軸を簡単にまとめると以上にようになるだろう。だがオングは、そこからニュークリティシズム以降の文芸批評に対する批判を展開していく。構造主義人類学が口承伝承の中に文字文化的な二項対立を導き入れている点や、デリダ派の脱構築がロマン主義以降のテキストにしか(印刷されたものにしか)言及しない点を突き、それが「テキストにしばられたイデオロギー」だと切ってみせるわけだ。ある意味で痛快な筆づかいだが、例えばデリダなどはどこかで、ロゴス中心主義が、書くことが内面化し始めたギリシアを出発点としていることに着目して(オングが指摘していることそのものだ)議論を進めていたのではなかったか。その意味では、オングの批判を受け取る形で、脱構築の概念が声の文化をどのように射程におさめることができるのかという問題を再考してみることも、価値あることなのでははないだろうか?

ベネディクト・アンダーソン『増補想像の共同体』
(白石さや他訳、NTT出版、1997)

「国民」概念の期限を、アンダーソンは出版資本主義に見る。出版語が重要な位置を占めるにしたがい、読者の間には「共同体の胚」(p.84)が形成されていく。その無自覚な仮定はやがてモデルとして機能するようになり、支配階級が逆にそれを利用する場合、それは「公定ナショナリズム」と化す…。ナショナリズムの純粋化、つまり「国民」の意味が利害をもたないと考えられるようになる(透明化していく)と、それは死をもいとわないファナティックなものとなっていく。多彩な事例に裏付けられたこの図式的理解は、実に見事だというほかない。およそあらゆる図式化に言えることだが、その図式化が取りこぼすであろう細部を、それが再びどう取り込んでいけるかという点にこそ、その図式化の説得力が宿る。ラテン・アメリカの事例などは、その点でこうした主軸を補強する材料となっている。だが日本の明治維新に関する下りはどうか。ドイツをモデルにした公定ナショナリズムの採択と、それにともなう男子の教育促進を取り上げているが、日本人がみずからを日本国民と見なし、しいては単一民族であるかのような幻想のもとに見なしているのには、かなり複雑な歴史的作用が重層的に働いていることだろう。図式的理解はやはり、それを踏台として各論が整備されてこそ、その真価も問われ、また実り豊かな研究成果をもたらすはずだ。すでにそうした作業もあちこちで始まっているように思われるが、その意味で、本書はこれから先、スプリングボードとして、またはメルクマールとして、重要なものとなっていくだろう。

イ・ヨンスク『「国語」という思想』
(岩波書店、1996)

過去の日本における言語政策の変遷は、一般には知られていない。意識的に顧みられていないというべきか。よって本書の出現は、それだけでも称賛すべきことのように思われる。明治初期、日本には森有礼の英語採用論や前田密の漢字廃止論があった。前者に歯止めをかけたのは、近代言語学の先駆者と目されるホイットニーだった。明治期の言語政策に多大な影響をもたらした上田万年も、ソシュールに先立つドイツの青年文法学派からの影響を受けていたが、上田の場合には「国体」を内面化するために有機的言語観が導入される。科学的な方法論と心情的な訴えかけとが折衷されるのだ。その後を受け継いだ保科孝一の場合、伝統的な国語学との対立を繰り返しながら、植民地の同化主義政策のために標準語の整備に参加していく。保科の場合にはオーストリア、ハンガリーにおける言語政策モデルを用いたため、「国語」という自然的要素は後退し、むしろ国家語としての日本語政策を進めようとしていた、と筆者は述べる。こうした本線の要所要所の間には、筆者の鋭い洞察が差し込まれる。例えば「日本語」と言わず「国語」と称する場合、そこには対立すべき「外部」がなく、それは無限に肥大化する可能性が宿るという。それは日清戦争前後の精神状況において整備された近代的概念なのだという。国家との有機的な結び付き、そして漸進的改良に向かう意識によって育まれた概念としての国語。われわれはこうした経緯に意識的であるべきだろう。それはまた未来を照射することにもなる。すでに今、情報工学などによって全世界的な均一化が進むにつれて、再び民族的な分裂状況が前面に出てきている(ジョギング効果だ)。過去の轍を踏まないために、われわれは自分たちが自明の理としていること、あるいは意識に立ちのぼらせないことを、再びクリティカルに検証していかなければならないだろう。本書はそのためのガイドラインとしても読みうるだろう。

Text: 98年12月



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*Copyright (C) 1998 Masaki Shimazaki