Mail Magazine



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silva speculationis       思索の森

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創刊号 2003/02/15

これはヨーロッパ中世研究のためのメールマガジンです。「中世」として括られる長い期間は、現ヨーロッパに通ずる様々な問題の萌芽が見られ、実に興味深いものがあります。本誌は、そうした中世を眺めるためのささやかな小窓たるべく企画しました。一口に中世といっても、古代末期からルネサンスに至る長大な時代ですし、当然ながらそこには文学、史学、神学、美術史、音楽学など、様々な要素が関わってきます。本誌では、そうした要素のいずれかに特化せず、できるだけ広く全体像を見通していきたいものだと考えています。さしあたり各号は「特集」「新刊情報」「書評」「文献講読シリーズ」などで構成します(どれか一つという場合もあります。また内容はその都度変更するかもしれません)。発行は隔週もしくは月によって3回程度を見込んでいます。どうぞ末長くおつきあいください。

-----書評コーナー-----------------------------------------------------------------

その時々の短評をまとめていきます。今回はアーサー王物語群関係を日仏各一冊取り上げました。学術書と小説です。アーサー王関係は、こうした裾野の広さこそが魅力です(笑)。

『中世アーサー王物語群におけるアリマタヤのヨセフ像の形成』

横山安由美著、渓水社、2002 ISBN4-87440-680-7 C3098

アーサー王物語群に登場する「漁夫王」は、アリマタヤのヨセフの子孫なのだという設定がなされているが、アリマタヤのヨセフは聖書においてキリストの亡骸をピラトに請うた人物として登場する。これがどういう系譜をたどってアーサー王物語群へと入っていったかを文献学的に追った研究が同書だ。どうやら基本線は、中世に流布していた聖書外典の『ニコデモ福音書』から『主の復讐』を経て、ロベール・ド・ボロンの『聖杯由来の物語』へ、アリマタヤのヨセフ像は様々な変形を被りつつも受け継がれていくという流れのようだ。研究としては労作だが、個人的に一番興味深いのは、本文の最後の章で触れられているグラストンベリー修道院をめぐる政治的配慮という問題で、このあたりはもっと詳細に論じてほしいところ。また、補遺に収録された物語の時空間構造の話も、より大きな問題系につながっていきそうで、むしろそちらを深める方が書籍としても興味深いものになったのではないかという気もする。

"Deodat ou la transparence"(デオダ、または透明なるもの)

Michel Zink, Seuil, 2002 ISBN2-02-054040-1

フランスの中世文学者ミシェル・ザンクは、このところ中世を舞台とした小説を発表している。前作『三つめの愛』(Le tiers d'amour)はジョングルールの話、そして今回の『デオダ』はなんと傍系のアーサー王物語という風だ。アーサー王の宮廷で近習だったカユスは、ある時王のお供をすることになっていたが、それを果たせず不審な死を遂げる。その弟デオダは、兄の死の謎を解こうとするが、近習にすらなれない彼は、軽くあしらわれる。それでもあきらめない彼は、様々な騎士たちとの出会いを通じて、謎へと徐々に近づいていく。だが彼がそこで本当に見いだしていくのは……というのがあらすじだ。そこに描かれるのは、中世の文学作品では決してありえないような騎士の狂気や血であり、その雰囲気は陰惨だったり殺伐としたりしている。独特の味わいともいえなくはないが、アーサー王物語的な舞台を現代風に語り直すことのある種の限界が見られるようにも思えてくる。とはいえ、なぜ今アーサー王ものなのか、という問いかけにはある種の答えが用意されている気がする。デオダは、アーサー王的世界の住人が皆、聖杯探求をめぐる「物語(コント)」を生きているにすぎないことを認識する。軽んじられ透明であるかのように扱われる位相にあるからこそ、主人公は「物語」から抜け出ることができる。この「物語」からの覚醒というテーマを、作者はおそらくは自己に重ね合わせて(2000年東京での講演の際、クレティアン・ド・トロワへのみずからのこだわりを述べていた)語っているのではないか。したがって、これはある種、ザンクのアーサー王物語への精神的決別の書とも読める。

------文献講読シリーズ-----------------------------------------------------------

「コンスタンティヌスの寄進」その1

毎回何かの文献を取り上げて読んでいくというシリーズ。手はじめに取り上げるのは、15世紀にクザーヌスやロレンツォ・ヴァッロが偽書であることを暴いた「コンスタンティヌスの寄進」です。教皇権の優位を記した文書とされていた「寄進状」ですが、成立は諸説あり、大体9世紀ごろとされているようです。様々な考察を呼ぶ文書のようで、例えばギンズブルク『歴史・レトリック・立証』(上村忠男訳、みすず書房)などは、まさに表題の3要素の絡み合いとして「寄進状」を考察しており、興味深いものがあります。テキストは『グラティアヌス法令集』(12世紀半ば)第1部96部14章で、羅英対訳がHanover Historical Texts Project (http://history.hanover.edu/texts/vallatc.html)にあります。今回は冒頭部分だけを見てみます(以下はだいたいの粗訳です)。

CAPITULUM XIV

CONSTANTINUS imperator quarta die sui baptismi privilegium Romanae ecclesiae Pontifici contulit, ut in toto orbe Romano sacerdotes ita hunc caput habeant, sicut iudices regem. In eo privilegio ita inter cetera legitur: "Utile iudicavimus una cum omnibus satrapis nostris, et universo senatu optimatibusque meis, etiam et cuncto populo Romanae gloriae imperio subiacenti, ut sicut B. Petrus in terris vicarius Filii Dei esse videtur constitutus, ita et Pontifices, qui ipsius principis apostolorum gerunt vices, principatus potestatem amplius quam terrena imperialis nostrae serenitatis mansuetudo habere videtur, concessam a nobis nostroque imperio obtineant, eligentes nobis ipsum principem apostolorum vel eius vicarios firmos apud Deum esse patronos. Et sicut nostram terrenam imperialem potentiam, sic eius sacrosanctam Romanam ecclesiam decrevimus veneranter honorari, et amplius quam nostrum imperium et terrenum thronum sedem sacratissimam B. Petri gloriose exaltari, tribuentes ei potestatem, et gloriae dignitatem atque vigorem, et honorificentiam imperialem. Atque decernentes sancimus, ut principatum teneat tam super quatuor precipuas sedes, Alexandrinam, Antiocenam, Ierosolimitanam, Constantinopolitanam, quam etiam super omnes in universo orbe terrarum ecclesias Dei, et Pontifex, qui pro tempore ipsius sacrosanctae Romanae ecclesiae extiterit, celsior et princeps cunctis sacerdotibus totius mundi existat, et eius iudicio queque ad cultum Dei vel fidei Christianorum stabilitatem procuranda fuerint disponantur.

[第14章

コンスタンティヌス帝は、洗礼から4日後、ローマ教会の教皇に特権を与え、王が司法官の長たるように、ローマ世界全体で教皇が聖職者たちの長となるよう取り計らった。その特権は、とりわけ次のように記されている。「われわれは、全地方総督ならびに元老員、貴族、そして輝かしきローマ帝国に仕えるすべての民とともに、こう宣言した。ペトロが地上における神の子の後継者と見なされるように、その使徒の長たる地位を担う歴代の教皇もまた、地上の帝国の晴朗なる温良さをしのぐほどの支配権を、われわれおよびわれらが帝国から与えられて保持するものと見なす。われわれおよびわれらが帝国は、使徒の長、歴代の長が、神に対する確たる代理人であると考える。そしてわれわれは、われらが地上の帝国の権能と同様、この神聖なるローマ教会をも謹んで讃えられることを、また、われらが帝国と地上の玉座以上に、この上なく神聖なるペトロの玉座を高きものと見なし、そこに、支配権、栄誉の威信、活動の自由(?)、皇帝の名誉を与えることを定めた。また、われわれは決定により、その者がアレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノポリスの4つの首座の上に、さらには地上世界のすべての教会の上に君臨するよう、また教皇が、その治世におけるローマ教会の長として、他の全世界の司教たちの上に立ち、またその長となるよう、そして教皇の決定により、神への礼拝ならびに信徒の安定に関わる事柄が秩序立てられるよう、その者を神聖なるものと見なす。]

法律文書のいわば総論部分に相当するこの箇所ですが、帝国と教会との上下関係が明言されていて、政治色の濃い文章であることがすでにしてわかります。「与える」という訳語(あまり適切ではありませんが)に相当するのは、順にconfero(譲り渡す)、concede(許し与える)、tribuo(分け与える)などで、ローマ帝国側から教会へ権利が付与されたにもかかわらず、その権能は地上の玉座以上だと規定されています。なんだか洗礼者ヨハネとキリストの関係にも似た関係性ですが、この後により細かい規定が続きますので、次回はそちらを見てみることにします。



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