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silva speculationis       思索の森

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no.4 2003/03/29

<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>

------クロスオーバー-------------------------------------

イラク戦争が始まって一週間以上が経過しました。世界的な反戦運動を平然と無視して始まった今回の戦争は、その目的にしてからに石油利権目当てだとか民主主義の大義だとか様々に言われていますが、宗教的なイデオロギーのようなものが根っこのところにあるような感触も当然あります。もっとも、そのあたりの話は、特に日本のメディアではあまり前面に出てきません。前回のアフガン空爆の際、「十字軍」という言い方を最初に口したのは確かブッシュの側だったとのことです。そういう表現が口をついて出てくることに、すでにしてどこか中世のキリスト教徒が異教徒を見る見方に通じるものがある気がします。

例えば13世紀末頃のリッコルド・デ・モンテ・クローチェの『巡礼記』(Liber peregrinationis)では、筆者(ドミニコ会修道士)は中東の諸民族に対してはかなり強烈な偏見の眼をもって接しています。サラセン人、トルコ人、タルタル人などです。クルド人などは野蛮で信用できないとされ、またイスラム教そのものについても、様々な矛盾点をあげつらっています。ところがそうした異教徒の民がひとたび改宗すると、実に穏和な理知的な人々になるというのです。リッコルドたち巡礼の一行は、十字軍の事実上の終焉をもたらしたアッカの陥落(1291年)の知らせを、当時のバグダッドで聞いています。以後、リッコルドたちはあたかも精神的リベンジのように、中東各地でキリスト教の布教を精力的に行っていくのです。

米英の軍事行動を下支えしているのは「民主主義」という大義ですが、それをさらに遡っていけば、あるいは宗教的感情の古層に行き着くのかもしれません。イスラム教の民族的な古層が原理主義的な激情の中でよみがえるように、米英もまた、そうした古層の再活性化に突き動かされているのかもしれない……こう考えてみるとなんだか空恐ろしい気もします。とするならば、そうした古層がいかに維持され、またいかに活性化するのかという問題を、きちんと考え直さなければならないかもしれません。そしてそれは人ごとではありません。その活性化のなんらかの要因(グローバル化時代の脱領土化への反発などが言われたりもしますが)が本当に世界的規模で関係するものであれば、アジアもまたそこから逃れられないかもしれないからです。ですからそうした要因を探ることは、きわめて重要な作業になるだろうと思うのです。

------文献講読シリーズ-----------------------------------

「コンスタンティヌスの寄進」その4

今回はこの「寄進」の末尾部分です。

7. Unde congruum perspeximus nostrum imperium et regni potestatem in orientalibus transferri regionibus, et in Bizantiae provinciae optimo loco nomini nostro civitatem edificari, et nostrum illic constitui imperium, quoniam ubi principatus sacerdotum et Christianae religionis caput ab imperatore celesti constitutum est, iustum non est, ut illic imperator terrenus habeat potestatem.

[7.ゆえに、われわれの国土ならびに支配権が東方の地域にまで及ぶことを、また、ビザンツ地方の最上の場所にわれわれの名を冠した都市を建設し、そこにわれらが帝国を確立することを、われわれは考えた。聖職者の長ならびにキリスト教の指導者は天上の皇帝によって定められる以上、地上の皇帝が権限を有していることは妥当ではない。]

8. Hec vero omnia que per hanc nostram imperialem sacram, et per alia divalia decreta statuimus atque confirmavimus, usque in finem mundi illibata et inconcussa permanere decernimus. Unde coram Deo vivo, qui nos regnare precepit, et coram terribili eius iudicio obtestamur per hoc nostrum imperiale constitutum onmes nostros successores imperatores, vel cunctos optimates, satrapas etiam, amplissimum senatum, et universum populum in toto orbe terrarum nunc et in posterum cunctis retro temporibus imperio nostro subiacentem, nulli eorum quoquo modo licere hec aut infringere, aut in quoquam convellere. Si quis autem, quod non credimus, in hoc temerator aut contemptor extiterit, eternis condempnationibus subiaceat innodatus, et sanctos Dei, principes apostolorum Petrum et Paulum sibi in presenti et in futura vita sentiat contrarios, atque in inferno inferiori concrematus cum diabolo et omnibus deficiat impiis. Huius vero imperialis decreti nostri paginam propriis manibus roborantes, super venerandum corpus B. Petri principis apostolorum posuimus. Datum Romae 3. Calend. Aprilis, Domino nostro Flavio Constantino Augusto quater, et Gallicano V. C. Coss."]

[8.以上のすべてを、われわれは皇帝の勅令、他の神々しき勅令により定め、確認するが、これはこの世の終わりまで、破棄されもせず揺らぐこともなく存続するものとする。われわれに統治を命じた生ける神を前に、またその恐るべき裁定を前にして、われわれはこの皇帝の誓約をもって、次のことを確言する。すなわち、今後の歴代の皇帝、すべての貴族、地方総督、最高位の元老院議員、そして全世界の民、さらにこれまでと今後、われわれの支配に従属するすべての者は、いかなる者といえど、またいかなる形でも、これを侵害し、背いてはならない。そんなことがあるとは思わないが、もし誰かこれを乱し逆らう者が生じたならば、その者は捕らえて永劫の罰に処す。かかる者は、神に仕える聖人、使徒を率いるペトロとパウロから、現世および来世にわたって誹りを受けていると感じ、低次の地獄で焼かれ、悪魔やあらゆる不敬の者とともにうち捨てられる。われわれはこの皇帝の命令書を自らの手で確認し、使徒の長、聖ペトロの畏敬すべきお体に捧げた。ローマ、3月29日、われらが支配者フラウィウス・コンスタンティヌス・アウグストゥス、執政官ガリカヌス]

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今回の部分にはあまり見るべきものはないかもしれませんが、奇しくもこの文章、日付が4月1日(calendae)の3日前ということで、3月29日になっていますね(笑)。ついでながら一応確認しておくと、この文書が入っているグラティアヌス法令集というのは、1140年ごろボローニャの修道士(カマルドリ会)ヨハネス・グラティアヌスが編纂した教会法の法令集でした。4000もの法令を収めたこの法令集は、神学から独立した教会法学の基礎ともなったとされています。

さて、このシリーズ、次回からはアインハルトの「カール大帝の生涯」あたりを見ていきたいと思っています。よく言われるように、コンスタンティヌスが「象徴的な」寄進を教会に対してなしたのだとすると、実際の「寄進」をなしたのはなんといってもカール大帝(シャルルマーニュ)です。また、シャルルマーニュは「ヨーロッパの建設」という昨今の問題などにも深く関係しているとされます。その意味でも、アインハルトのテキストは面白いのではないかと思います。



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