silva15


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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.15 2003/09/06

------クロスオーバー-------------------------------------

謎の楽器「ビウエラ」

vihuela(ビウエラ)というスペインの楽器があります。リュートなどと並び称
されるものの、流線型のくびれをもつ小型のギターのような外見で、中世以後の
撥弦楽器(弦を弾いて音を出す楽器)として紹介されることが多い楽器です。古
楽器が盛んな昨今でも演奏会はそれほど多くはなく、一部の熱烈なファン以外に
はさほど知られていないように思いますが、先月末、東京都内で「第一回ビウエ
ラ講習会」なる催しが開かれました。レクチャーと公開レッスンから成る催し
で、レクチャーを担当なさったのは音楽学者の小川伊作氏、レッスンはリュート
奏者の水戸茂雄氏でした。

とりわけこのレクチャーが興味深いものでした。いくつかのトピックスに分かれ
ていたのですが、そのうち語源に関わるお話の部分を、ごく簡単に紹介しておき
ましょう。このvihuelaなる語の初出は13世紀の「アポロニオの書」、「オンセ
ロの詩」(アルフォンソ11世による詩)、「よき愛の書」など、いずれも世俗
語(スペイン語)の詩なのだそうですが、「アポロニオの詩」ではviolaという
形になっています。「よき愛の書」ではviuelaという形に代わっており、まるで
もとの呼び名がviolaで、それが変化してviuela(現代語ではvihuela)になって
いくかのように思えます。15世紀ぐらいの音楽書(ティンクトリス)では、
viola d'arco(擦弦楽器)とviola de mano(撥弦楽器)との区別がなされてい
て、もとのviolaという形から、かたや各種のヴィオラへ、かたやビウエラへと
分岐していったような印象を与えます。ラテン語からの音韻変化(アクセントの
あるOがUEに変化したとされます)もやはり「状況証拠」をなしています。

ところが問題なのは、中世ラテン語のテキストに、撥弦楽器を指すviolaという
語がまだ見つかっていないことなのだそうです。状況証拠はいくつもあるのに、
決定的な証拠がないのですね。一方で、vihuelをオック語起源(viulaまたは
violaに由来)とする説もあるそうですし、質疑応答の時間には、「フィドル」
からの派生形とする説もあるという話も出ました。ですが小川氏はむしろ、語形
変化その他の推論から、中世ラテン語起源説を支持していらっしゃるようで、今
後ラテン語テキストで楽器を指すviolaの用法がないかどうか調べていく必要が
あると述べていらっしゃいました。このあたり、あるいは議論の尽きないところ
かもしれません。

語源一つとってみてもこのように謎を孕んだ楽器ですが、ルネサンス期の図像な
どを見ると、流線形のくびれではない、ヴィオラ・ダ・ガンバ型の切り込み形の
くびれの撥弦楽器の例もあるそうですが、今のところ、そうした楽器の実物は見
つかっていないのだそうです。これもまた謎だということで、これからの研究が
待たれるところです。ちなみにこのビウエラ講習会は今後第二回、第三回と続い
ていくようですので、それもまた楽しみです。聞くところによると、ビウエラで
弾く代表曲(16世紀のルイス・ミランやアントニオ・デ・カベソンなど)はク
ラシックギターの重要なレパートリーでもあるそうなので、ギターをやる人たち
からももっと注目されてよいはず、とのころです。関連リンクをご紹介しておき
ましょう。

○小川研究室(大分県立芸術短期大学)
http://www.oita-pjc.ac.jp/〜ogawa/

○日本ビウエラ協会(小川伊作氏主宰)
http://www.try-net.or.jp/〜iogawa/

○水戸茂雄氏ホームページ
http://members.aol.com/Nsckk/


------文献講読シリーズ-----------------------------------
「シャルルマーニュの生涯」その11

今回は18章から19章の途中までを見てみます。シャルルの家族構成が詳述され
ている箇所で、一応ここからが全体の後半部ということになっています。例に
よって固有名詞が多く登場しますが、今回はドイツ風の読み方を中心に、フラン
ス風を括弧で示してみました(少し正確さに欠けるきらいはありますが……)。
こうしてみると、王だけを「シャルル」とするのもちょっと違和感があります
が、どうかご了承ください。

# # # # # #
[18 ] Talem eum in tuendo et ampliando simulque ornando regno fuisse
constat. Cuius animi dotes et summam in qualicumque et prospero et
adverso eventu constantiam ceteraque ad interiorem atque domesticam
vitam pertinentia iam abhinc dicere exordiar.

以上が、シャルルによる王国の防衛、拡大、整備に関してである。ここからは、
彼に備わった天賦の才、結果がうまくいこうがいくまいが平然たるその指揮ぶ
り、その他私生活や内面に関わることを述べていこう。

Post mortem patris cum fratre regnum partitus tanta patientia simultates
et invidiam eius tulit, ut omnibus mirum videretur, quod ne ad iracundiam
quidem ab eo provocari potuisset. Deinde cum matris hortatu filiam
Desiderii regis Langobardorum duxisset uxorem, incertum qua de causa,
post annum eam repudiavit et Hildigardam de gente Suaborum praecipuae
nobilitatis feminam in matrimonium accepit; de qua tres filios, Karolum
videlicet, Pippinum et Hludowicum, totidemque filias, Hruodtrudem et
Berhtam et Gislam, genuit. Habuit et alias tres filias, Theoderadam et
Hiltrudem et Hruodhaidem, duas de Fastrada uxore, quae de Orientalium
Francorum, Germanorum videlicet, gente erat, tertiam de concubina
quadam, cuius nomen modo memoriae non occurrit. Defuncta Fastrada
Liutgardam Alamannam duxit, de qua nihil liberorum tulit. Post cuius
mortem quattuor habuit concubinas, Madelgardam scilicet, quae peperit ei
filiam nomine Ruothildem, Gersuindam Saxonici generis, de qua ei filia
nomine Adaltrud nata est, et Reginam, quae ei Drogonem et Hugum genuit,
et Adallindem, ex qua Theodericum procreavit.

父親亡き後、兄とともに王国を共同統治していたシャルルは、兄からの羨望や嫉
妬をただひたすら耐え、そのことに怒りを抱くこともない様子は、皆が驚き眺め
るところだった。その後、母親のすすめでランゴバルド王デシデリウスの娘を妻
にするが、理由ははっきりしないものの、一年後には離縁し、シュワーベン地方
の高位の貴族の娘であるヒルデガルトと結婚した。こうして息子が3人生まれ
た。すなわちカール(シャルル)、ピピン(ペパン)、ルートヴィヒ(ルイ)で
ある。また娘も同数生まれた。ロートラウト(ロトリュード)、ベルタ(ベル
ト)、ギーゼラ(ジゼル)である。この他に、テオデラーダ(デオデラード)、
ヒルトラウト(ヒルトリュード)、ロートハイデ(ロティード)の3人の娘がい
るが、そのうち2人は、東フランク、つまりゲルマニアの部族出身の後の妻ファ
ストラーダ(ファストラード)との間に出来た。3人目は、妾との子だが、その
妾の名は思い出せない。ファストラーダが亡くなると、アルマニアのルトガルダ
(リュトガルド)を妻としたのが、子どもは出来なかった。この者が亡くなった
後には、4人の妾がいた。まず、マデルガルダ(マデルガルド)はロットヒルデ
(ロティルド)という名の娘を生んだ。ザクセン人のゲルスヴィンダ(ジェルス
ヴィンド)はアデルトラウト(アデルトリュード)という娘を生んだ。レギナ
(レジーナ)との間にはドロゴネ(ドロゴ)とフーグ(ユーゴ)が生まれた。そ
してアーデリンデ(アデリンド)からはテオデリクスが生まれた。

Mater quoque eius Berhtrada in magno apud eum honore consenuit. Colebat
enim eam cum summa reverentia, ita ut nulla umquam invicem sit exorta
discordia, praeter in divortio filiae Desiderii regis, quam illa suadente
acceperat. Decessit tandem post mortem Hildigardae, cum iam tres
nepotes suos totidemque neptes in filii domo vidisset. Quam ille in eadem
basilica, qua pater situs est, apud Sanctum Dionisium, magno cum honore
fecit humari. Erat ei unica soror nomine Gisla, a puellaribus annis religiosae
conversationi mancipata, quam similiter ut matrem magna coluit pietate.
Quae etiam paucis ante obitum illius annis in eo, quo conversata est,
monasterio decessit.

彼の母ベルトラーダも、大いなる栄誉の中で年を取った。シャルルは母を大いに
尊敬し、両者の間に不和が生じることはなかった。ただ、母の薦めで結婚したデ
シデリウス王の娘との離縁だけは別だった。ヒルデガルトの死後、母親も亡く
なったが、家では3人の孫と3人の孫娘に恵まれた。父親が安置されたサンドニ
の大聖堂に、母親も荘厳な葬儀をもって埋葬された。シャルルにはギーセラ(ジ
ゼル)という妹が一人いたが、幼少の頃から宗教生活を送るよう預けられた。彼
女に対しても、シャルルは母と同じように愛情を注いでいた。彼女もシャルルの
死の少し前、暮らしていた修道院で亡くなった。

[19 ] Liberos suos ita censuit instituendos, ut tam filii quam filiae primo
liberalibus studiis, quibus et ipse operam dabat, erudirentur. Tum filios, cum
primum aetas patiebatur, more Francorum equitare, armis ac venatibus
exerceri fecit, filias vero lanificio adsuescere coloque ac fuso, ne per otium
torperent, operam impendere atque ad omnem honestatem erudiri iussit.
Ex his omnibus duos tantum filios et unam filiam, priusquam moreretur,
amisit, Karolum, qui natu maior erat, et Pippinum, quem regem Italiae
praefecerat, et Hruodtrudem, quae filiarum eius primogenita et a
Constantino Grecorum imperatore desponsata erat. Quorum Pippinus unum
filium suum Bernhardum, filias autem quinque, Adalhaidem, Atulam,
Gundradam, Berhthaidem ac Theoderadam, superstites reliquit. In quibus
rex pietatis suae praecipuum documentum ostendit, cum filio defuncto
nepotem patri succedere et neptes inter filias suas educari fecisset. Mortes
filiorum ac filiae pro magnanimitate, qua excellebat, minus patienter tulit,
pietate videlicet, qua non minus insignis erat, conpulsus ad lacrimas.
Nuntiato etiam sibi Hadriani Romani pontificis obitu, quem in amicis
praecipuum habebat, sic flevit, acsi fratrem aut carissimum filium
amisisset. Erat enim in amicitiis optime temperatus, ut eas et facile
admitteret et constantissime retineret, colebatque sanctissime
quoscumque hac adfinitate sibi coniunxerat.

シャルルは子どもたちに教育を施すべきと考え、息子にも娘にも、自分も学んで
いた自由学芸を学ばせた。息子たちには、年齢的に可能になるとすぐに、フラン
ク族の慣習に則って、馬に乗り武術や狩りを行うよう、また娘たちは、機織り、
糸巻き、紡錘に親しみ、暇をもてあますことのないよう、仕事に精を出し、あら
ゆる礼節を学ぶよう指示した。彼の子どもたちのうち、息子2人と娘一人は、
シャルルの存命中に亡くなった。長男のカール、イタリアを統治していたピピ
ン、長女でギリシアの皇帝コンスタンティヌスに嫁いだロートラウトである。ピ
ピンには一人息子のベルンハルト(ベルナルド)と、5人の娘、アーデルハイト
(アデライド)、アトゥラ(同)、グントラーダ(同)、ベルルトハイデ(ベル
タイド)、テオデラーダ(同)が残った。それらの者に対して、王はこの上ない
愛情の証を示した。つまり、息子が亡くなった際、その孫に父の跡を継がせ、孫
娘たちには自分の娘たちとともに教育を受けさせたのである。息子や娘の死を、
彼は悲しみをこらえてという以上に、その秀逸なる寛容さもって堪え忍びもした
が、これまた歴然たるその愛情ゆえに、やはり涙に暮れもした。この上ない友好
関係にあったローマ教皇ハドリアヌスの死が伝えられると、まるで兄弟か最愛の
子が亡くなったかのようにむせび泣いた。王はすこぶる友情に篤い性格で、たや
すく親しくなっては、友好関係を長く続けた。友情の関係で結ばれた者に対して
は、すべからく最大限の敬意を払うのだった。
# # # # # #

この記述によれば、シャルルマーニュの生涯で妻は3人、妾は5人いて、子ども
の数を合計すると息子6人、娘8人となっていますが、実は何人か省略された人
物がいます。シャルルマーニュには、教会以外で(フランク族の風習によって)
婚姻関係にあった最初の妻(ヒンメルトラウト?)がいて、その間に「せむしの
ピピン」といわれる子があったらしいのです。またマデルガルダの前にも妾がお
り(ヒンメルトラウト?)、ロートハイデなる娘があったといいます。また、正
妻のヒルデガルドにもさらに3人の子があるほか、相手は不明ながら、一番最後
にピピン(次男とは別人)が生まれているそうです。このあたりの話の信憑性は
不明ですし、仮に記述漏れであるとするなら、なぜアインハルトがそうしたのか
真意も不明です(単に詳しく知らなかったのか、異教の風習が絡んでいたからな
のか、何か特殊な事情があったのか……)。

教育熱心だったというシャルルマーニュは、子どもにも自分にも、教師を雇って
自由学芸(いわゆる自由七科)を教え込ませたといわれています。また、彼がそ
うした教育を行うために「宮廷学校」を開設したことも知られています。著者ア
インハルトも、フルダの修道院学校からその宮廷学校へと移ったのでした。教皇
ハドリアヌス(1世)との関係については前にも出てきましたが、父ピピンが教
皇に寄進していた土地を、ランゴバルド王国を破って併合した後に確認し、これ
が教皇領のもとになったのでした。ランゴバルド併合が774年ですが、ランゴバ
ルド王の娘との離縁が771年とされており、ちょうどその頃、ランゴバルド王は
ローマへの攻撃に打って出ます。上の話では母のすすめでランゴバルド王の娘と
結婚した、となっていますが、これにはそれ以前のピピン前王の対ランゴバルド
政策が絡んでくるようで、こうしてみると、政略がらみの結婚・離婚劇だったこ
とが容易に想像できます。

次回は19章の残りと、20、21章を見ていきます。

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*本マガジンは隔週の発行です。次回は9月20日の予定です。
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(C) Medio/Socio (M.Shimazaki)
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