January 12, 2004

No.24

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.24 2004/01/10

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願
いします。新年最初の号をお届けします。新年早々風邪をこじらせてしまったせ
いで、本号はちょっと短縮版のような形です。ご了承ください。

------クロスオーバー-------------------------
周辺から考える

12月に開かれたEUサミットは、「EU憲法」の具体的な形をとりまとめるにはい
たらず、分裂状態の中で終了してしまいました。とりわけ興味深かったのは、票
の配分(発言権ですね)をめぐる攻防で、スペインとポーランドといういわば
EUの中の「周辺」部分から、フランスとドイツが占める「中心」への異議が唱
えられたという点です。スペインとポーランドは、イラク戦争についても、いち
早く米国支持を打ち出していました。英国も含めると、3方向からEUの中核部分
が包囲されている格好です。一方でフランスとドイツは共同歩調を取るケースが
増え、EUの中核部分の強化に乗り出しているように見えます。中央集権的な
「強いEU」くらいしか、米国に対抗できないということなのでしょう。です
が、すでにして周辺部から「軋み」が生じている感じですね。そもそも「強い
EU」など可能なのでしょうか。

もう一つのEUの問題にはトルコの扱いがあります。人権問題その他でトルコの
EU加盟は先送りになっていますが、宗教的な問題も絡んできそうです。EU憲法
の前文にキリスト教への言及を入れるようバチカンが求めたという話もありまし
た。谷川稔編『歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ』の序論では、キリ
スト教の「きずな」の擁護を図ろうとするバチカンの要請が、むしろ古代から近
世にいたる東欧・南欧の「ねじれ」を浮き彫りにするのではないかと危惧してい
ます。遠くビザンツからの流れの上にあるトルコの問題は、ヨーロッパの自己認
識、その歴史像を塗り替える試金石になる、とも指摘されています。昨年は「日
本におけるトルコ年」ということで、催し物などもあったようですが、そうした
歴史認識の問題などがクローズアップされたわけではないのがちょっと残念で
す。ビザンツの歴史は改めて考えてみる必要がありそうです。昨年末には新刊と
してポール・ルメルル『ビザンツ帝国史』が出ています。個人的にはプセロス
(11世紀のビザンツ皇帝の側近を務めた文人)あたりを読んでみたい気がして
います。いずれにしても、西欧の理解のためにその周辺から捉え直すというアプ
ローチも、時には必要ではないかと思うのです。

○『歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ』
谷川稔編、山川出版社、ISBN 4-634-64910-1

○『ビザンツ帝国史』(文庫クセジュ870)
ポール・ルメルル著、西村六郎訳、白水社
ISBN 4-560-05870-9


------文献講読シリーズ-----------------------
「マグナ・カルタ」その1

今回からは「マグナ・カルタ」を見ていくことにします。63ヵ条から成るこの
文章は、1215年6月15日付けで発布されています。ご承知の通り、当時の英国
国王ジョンはフランスの領土を失い(そのため失地王と呼ばれたりもします)、
その奪回のためにますます財政を悪化させていくのですが、それに業を煮やした
貴族たちは、王に対して反旗を翻し結束します。そして国王と臣民(貴族)の関
係に制限を加えるような文書をわずか1ヶ月あまりで作り上げ、国王に認めさせ
たのでした。これが「マグナ・カルタ」で、短期間で作成されたことや、反対派
の思惑が一様ではなかったことなどから、文書の内容は実に雑多なものになって
います。後世(19世紀以来)において考えられたような、立憲制度の確立を意
図していた、というようなものではなく、実情は封建法の確認だった、というの
が近年の捉え方だといいます(とはいえ、失策を繰り返す国王に、別の国王を立
てたりせずに文書で制限を加えたこと自体は画期的だった、とも言われていま
す)。ですが、例えば佐々木毅氏が『宗教と権力の政治』で簡単に触れているよ
うに、「具体的で迷路のように込み入った内容を持つ」という中世の特殊な「法
の支配」のありようを見ていくのも、案外興味深いのではないかと思います。

例によって毎回少しづつ、10数回かけて見ていきたいと思っています。また、
これまで同様、訳は大まかに内容を取ることを主眼としていますので、細かな訳
語の選択などには問題がある場合があります。ご了承ください。テキストは
http://www.thelatinlibrary.com/magnacarta.htmlにあります。今回は序文と
第1条あたりを、と思っていたのですが、体調を崩したため、序文だけとなって
しまいました。というわけで今回はまったく内容的には空疎です(苦笑)……申
し訳ありません。

# # # # # #
Johannes Dei gracia rex Anglie, Dominus Hibernie, dux Normannie,
Aquitannie et comes Andegravie, archiepiscopis, episcopis, abbatibus,
comitibus, baronibus, justiciariis, forestariis, vicecomitibus, prepositis,
ministris et omnibus ballivis et fidelibus suis salutem.

神の恩寵により、英国の王、アイルランド君主、ノルマンディー公、アキテーヌ
公、アンジュー伯たるジョンより、大司教、司教、教父、伯爵、男爵、司法官、
森林官、州長官、地方総督、行政官、そしてすべての執行吏および臣下の者たち
へ、幸いあらんことを。

Sciatis nos intuitu Dei et pro salute anime nostre et omnium antecessorum
et heredum nostrorum ad honorem Dei et exaltacionem sancte Ecclesie, et
emendacionem regi nostri, per consilium venerabilium patrum nostrorum,
Stephani Cantuariensis archiepsicopi, tocius Anglie primatis et sancte
Romane ecclesie cardinalis, Henrici Dublinensis archiepiscopi, Willelmi
Londoniensis, Petri Wintoniensis, Joscelini Bathoniensis et Glastoniensis,
Hugonis Lincolniensis, Walteri Wygorniensis, Willelmi Coventriensis, et
Benedicti Roffensis, episcoporum; magistri Pandulfi domini pape subdiaconi
et familiaris, fratris Aymerici magistri milicie Templi in Anglia; et nobilium
virorum Willelmi Mariscalli comitis Penbrocie, Willelmi comitis Sarisberie,
Willelmi comitis Warennie, Willelmi comitis Arundellie, Alani de Galewey a
constabularii Scocie, Warini filii Geroldi, Petri filii Hereberti, Huberti de
Burgo senescalli Pictavie, Hugonis de Nevilla, Mathei filii Hereberti, Thome
Basset, Alani Basset, Philippi de Albiniaco, Roberti de Roppel., Johannis
Mariscalli, Johannis filii Hugonis et aliorum fidelium nostrum.

この憲章は、神の思慮に鑑み、われわれ、ならびにわれらが祖先、われらが子孫
の魂の救済のため、神の栄光と聖なる教会の賞賛、そしてわれらが王国の制度改
革に向けて、次に挙げる尊ぶべきわれらが教父たちの助言を得て、記すものであ
る。カンタベリー大司教で英国全土の首座大司教、ローマ教会の枢機卿スティー
ブン、ダブリン大司教ヘンリー、ロンドンのウィリアム、ウィンチェスターの
ピーター、バースとグラストンベリーのジョン、リンカーンのヒュー、ウスター
のウォルター、コヴェントリーのウィリアム、ロチェスターのベネディクト、そ
して司教たちである。教皇の副助祭で側近でもあるパンダルフ、英国テンプル騎
士団団長のアルメリク兄弟、名だたる名士たちである。ペンブルックのウィリア
ム・マレシャル伯、ソールズベリーのウィリアム伯、ウォレンのウィリアム伯、
アランデルのウィリアム伯、スコットランド行政官のアラン・ド・ギャロウェ
イ、ジェラルドの息子ウォレン、ハーバートの息子ピーター、旧ピクタビアのユ
ベール・ド・ブルグ、ネヴィルのヒュー、ハーバートの息子マシュー、トマス・
バセット、アラン・バセット、フィリップ・ド・アルビニアック、ロベール・
ド・ロペル、ジョン・マレシャル、ヒューの息子ジョン、その他のわれらが臣下
である。
# # # # # #

次回からは各条文の内容について検討していきたいと思います。

*本マガジンは隔週の発行です。次回は1月24日の予定です。
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(C) Medio/Socio (M.Shimazaki)

投稿者 Masaki : January 12, 2004 07:00 AM