2003年12月28日

メサイア

久々のFM。クリスティ指揮、レ・ザール・フロリサンの演奏によるヘンデル「メサイア」を堪能。個人的に「基準盤」にしているのはジョン・エリオット・ガーディナーの82年録音の『メサイア』(Philips、434 297-2)だが、その軽快な感じに比べるとこの演奏、緩急のメリハリとかが絶妙で、実にドラマチックに盛り上げてくれる。うん、聴きごたえ十分。2002年12月のパリ・シャンゼリゼ劇場でのライブ録音ということなので、今年2月の日本公演のちょっと前。残念ながらそれには行けなかったものの(ラモーのプログラムの方は行けた)、日本公演での「メサイア」もきっとこんな感じで素晴らしかったのだろうなあ。

投稿者 Masaki : 19:46

2003年12月23日

ミサ曲ハ短調

今日の一枚はイヴォル・ボルトン指揮、モーツァルテウム管弦楽団によるモーツァルト『ミサ曲ハ短調(KV 427)』(ORFEO、C 588 021 B)。妻コンスタンツとの結婚を神に感謝して作ったといわれる未完成のミサ曲(未完の理由は不明なのだとか)。2001年のザルツブルク音楽祭での録音で、初演(1783年)と同じ聖ペーター教会で演奏されたもの。この聖ペーター教会でのミサ曲演奏は1985年以来毎年恒例になっているのだとか。曲自体がモーツァルトのそれまでの作品とは一線を画すものだといわれるけれど、この録音ではとりわけバロック的な雰囲気が強く出ている感じ。メリハリのあるアーティキュレーション、豊かな余韻、荘厳な味わい。いいっすね〜。モーツァルトもやっぱり宗教曲がいいとは常々思っているけれど、そのことを改めて感じさせてくれる(笑)。

投稿者 Masaki : 22:33

2003年12月19日

スラヴ正教の聖歌

年末進行中なので、まとまった時間は取れないものの、このところ少しづつ聴いているのが『スラヴ正教の大聖餐式(Grande Liturgie orthodoxe slave)』(HMX 2908124)。時代的には比較的新しい、18世紀から20世紀前半の正教会の聖歌を集めたものだが(ロシアと一部ブルガリアのもの)、どの曲も実に丹念に練り上げられている感じで、実に素晴らしい歌曲集になっている。ちょっと感動ものの1枚。18世紀後半からロシアのサンクト・ペテルブルクでは、イタリアからの影響下にあって、ある種の楽派が形成されていたのだという。なるほど、旋律の動きやコーラスの加え方などにそういう部分が感じ取れるかも。

投稿者 Masaki : 22:40

2003年12月14日

リュート

昨日は都内某所でリュート発表会。うーん、チューニングが狂うハプニングにパニックしたりして、散々たる出来。ま、気分を直して新たに練習に励もう。で、口直しに聴いているのは、チャールズ・ダニエルズの歌とデヴィッド・ミラーのリュート演奏によるダウランド『スウィート・ステイ・アホワイル』(EMI、7243 5 72266 2 2)。うーん、この伸びやかな音と声。


今回の発表会のチラシに使われていた絵を紹介しておこう。バルトロメウス・ファン・デル・ヘルストの「音楽家(La Musicienne)」だ。女性がリュートのチューニングをしている姿が、なんだか暗示的だったりして(大笑)。ヘルストは17世紀に活躍したオランダの肖像画家。
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投稿者 Masaki : 08:06

2003年12月11日

フーガの技法

エマーソン・ストリング・カルテットによる話題盤、バッハ『フーガの技法』(474 495-2)。楽器指定も演奏の順番も与えられていないバッハ晩年の大作は、なるほどこういうカルテットに妙に映える気がする。うーん、それにしても端正な音だ。静謐感に満たされる。

バッハの関連でいうと、フランスの音楽誌『Classica』最新号に、BCJの鈴木雅明氏のインタビューが掲載されている。その紹介文が面白い。荒々しい身振りを期待する向きはがっかりするかもしれないが、との前置きに続き、「その音楽は様々な効果に溢れているが、自分を押しつけてくることがない。エレガンスを創り出すこの種の抑制、慎み、静謐さは、時に音楽的表現性を制限するが、作品の美を損なうことはない」(p.46)と記されている。西欧での現代的バッハ受容の傾向をわずかばかり伺わせる記述だ。とはいえ「彼らのバッハは、あらゆる瞬間が甘く時には悲しげな色に染まり、真の宗教的香りも漂う」(ちょっと意訳かな)と、一定の評価を得てはいる。上のエマーソン・ストリング・カルテットにも通じるものがある気が。

投稿者 Masaki : 07:03

2003年12月05日

シロス修道院

久々にグレゴリオ聖歌を。90年代に世界的なヒットとなったシロス修道院の合唱団による二つの録音をまとめたお得盤の『グレゴリオ聖歌』(EMI、7243 5 65217 2 8)。改めてそのこの端正さを味わう。残響をそのまま拾っているのが、またとても印象的だ。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院は、スペインはカタロニア地方にあるベネディクト会の修道院。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途中(ブルゴス)にある。こちらのページ別のページの写真でそのたたずまいが味わえる。

さて、こうした聖歌が今に伝えられるのも、楽譜という媒体があったおかげ。最近読んだA. W. クロスビー『数量化革命』(小沢千重子訳、紀伊国屋書店)は、西欧文明の覇権の根幹をなした「数量化」という現象を丹念に追った好著だが、そのうちの1章がその楽譜の成立に割かれていて、中世の音楽史のコンパクトなまとめになっている。うん、ネウマ譜は、音の長短をも視覚化するという画期的な試みだった。余談だけれど、普通はグイードが創始者とされている音階名が、実はアラビアに起源があるのではないかという話もあったりして(ジクリト・フンケ『アラビア文化の遺産』、高尾利数訳、みすず書房)、なんとも興味をかき立ててくれる(笑)。

ついでながら、上の『数量化革命』の表紙を飾り、本文中でも言及されているのが、16世紀のペーテル・ブリューゲルの版画「節制」。ここには「数量化」の諸相が描き込まれている。

投稿者 Masaki : 12:08