2004年03月29日

薔薇物語

これまたブリジット・レーヌなどが率いるアラ・フランチェスカの演奏もので、『薔薇物語(Roman de la Rose)』(OPUS111、 op 30303)を聴く。薔薇物語といえば、ギヨーム・ド・ロリスの作品をジャン・ド・マンが書き継いだ13世紀の一種の夢物語。この物語自体はすでに当時黙読されていたらしいのだけれど(ライナーにも記されているが)、このCDは、その一節の朗唱に同時代人のアダン・ド・ラ・アルや、やや後れるマショー、その後のバンショワ、デュファイなどの作品を結びつけて構成しなおしたもの。なかなか面白い試みだし、アンソロジーとしてもなかなか。灰色の空が徐々に晴れてくるような、静かな春の到来を思わせる(この季節にぴったりかな)充実の一枚だ(欲を言えば、2〜3枚組にして、ド・マンの博学的な世界の音楽版にしたらもっと良かったような気も……)。余談だけれども、中世史への手引き書『中世ヨーロッパを生きる』(東京大学出版会)所収の上尾信也「楽師伝説−−人びとと音楽をつなぐもの」によると、同じ『薔薇物語』のタイトルをもつ別作品で、ジャン・ルナールなる人物の書物もあるのだそうで、そちらには当時の世俗曲が40数編入っているのだとか。うーん、ぜひ読んでみたいところだ。

さて、ジャケット絵はシャンティーイのコンデ美術館(シャンティイ城)にあるジャン・ド・マンの『薔薇物語』写本から取られたもの。ここでは同じ写本の別ページの写真を挙げておく。アベラールとエロイーズに言及した箇所だ。
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投稿者 Masaki : 20:25

2004年03月24日

ラ・ストラヴァガンツァ

以前に話題盤として扱われていたレイチェル・ポッジャーによるヴィヴァルディ『ラ・ストラヴァガンツァ(La Strabaganza)』(CCS 19598)を、遅ればせながらようやく聴く(笑)。「熱狂(もとの意味は「風変わりなもの」だけど)」という題名のこのヴァイオリン協奏曲集、この演奏は題名通りというべきか、どれも熱い疾走感に彩られている感じがとてもよい。もはやこの協奏曲集の定番というか、基準盤になった感じ。ポッジャーを支えているアルテ・デイ・スオナトーリはポーランドのアンサンブルだそうだが、こちらもいい仕事をしている(笑)。

今回のジャケット絵はヴァイオリン演奏を露出開けっ放しで撮影した写真のようなので、とりあえずヴィヴァルディの肖像画でも……と思ったのだけれど、これが意外とない。わりと有名なのは18世紀イタリアの風刺画家(?)ピエル・レオーネ・ゲッツィ(Pier Leone Ghessi)作とされるイラストか。あとはこちらのClassical Music Pagesをどうぞ。
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投稿者 Masaki : 20:44

2004年03月14日

「Quem quaeritis ?(誰をお捜しか)」

ジェラール・レーヌとイル・セミナリオが昨年12月に行った東京公演のテレビ放映が木曜にあったようだが、残念ながら逃してしまった。うーん、残念。再放送に期待しよう……。そこで、というわけでもないけれど(笑)、その妹にあたるブリジット・レーヌのアンサンブル、ディスカントゥスによる『Quem Quaeritis ?(誰をお捜しか)』(Opus 111, OP 30269)を。これは中世の典礼劇を再構成したもの。ライナー記載の出典を見ると、実に様々な写本から取られている(13〜14世紀が主)。この透き通るような声が実に印象的。ここでの「誰をお捜しか」は、収録曲の5曲目「羊飼い」の中の一節。キリスト生誕の報を天から知らされ、ベツレヘムに赴いた羊飼いたちに、祭司が尋ねるという場面だ(ルカの福音書にはないけれど)。

さて、ジャケット絵はジョット(ジョット・ディ・バンドーネ:1266-1337)がスクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)に描いた連作壁画『聖母および救世主伝』の一つ「聖母マリアの御訪問」(洗礼者ヨハネの母エリザベツを訪れる場面)。ジャケット絵にならって、下にはその一部を。連作全体は、ジョットの紹介ページを参照のこと。

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投稿者 Masaki : 23:57

2004年03月11日

マタイ受難曲

昨日は聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団によるバッハ「マタイ受難曲」の公演へ。正真正銘の正統派という感じの、落ち着いた、高らかに歌い上げる「マタイ」だった。ところどころ、合唱が爆走しすぎのきらいもあったけど(人数多すぎない?)、全体的にゆるやかなテンポで、ここぞという聞かせどころはじっくり、ダイナミックに、という感じか。管弦楽団もさすがに重厚で深い表現力がずっしりとくる。

今回の「マタイ」は復元した初期稿。1727年と29年の聖金曜日に演奏されたものだという。後の改訂版(1736)が普通に演奏される「マタイ」で、初期稿というのは自筆譜では残っていないという。で、大きな違いは前半最後の曲が違うのと、56曲から57曲のレチタティーボ&アリアが、ヴィオラ・ダ・ガンバではなくリュートになっていること。うん、このリュートの伴奏がまた違った味わいで素晴らしい。このパート譜とか欲しいなあ。

投稿者 Masaki : 23:38

2004年03月06日

タウリスのイフィゲニア

5日深夜(6日早朝)のBSで放映していた「タウリスのイフィゲニア」(チューリヒ歌劇場)。エウリピデス原作のギリシア悲劇をもとにしたグルックのオペラだ。この舞台、かぶり物が出てきて最初ぶっとんだりしたけど、なるほどこれは亡霊の暗示。ちょっとチャチい気もしなくもないが、それはともかく、モーツァルト的な微妙な心理の襞がまだないバロック系のオペラ全般で問題になるのは、「いかに心理描写を処理するか」という点。いきおい無駄な動きを入れたり、展開が唐突になってりしがちだ。この上演もちょっとそんな感じはあったけれど、プロットにうまくのって、そこそこの情感を作り出してはいた(やはりウィリアム・クリスティ指揮の音楽の貢献が大きいかな)。

それにしてもこういう舞台を視ると、現代風アレンジの問題が改めて感じられる。大崎滋生『音楽史の形成とメディア』(平凡社、2002)をこの間読んだのだけれど、そこでは音楽史研究の様々な側面について批判的アプローチが提唱されている。著者は古楽演奏には否定的。演奏環境、聴取環境が変わった現代に、古楽器で昔風を装っただけの演奏に意味があるのか、というのがその主旨だ。ま、古楽演奏もまた現代的なパフォーマンスの一つの形だけとは思うけど(昔の演奏環境の情報がそれなりに出てこなければ、そもそも「復元」の発想もありえないという意味で「現代的」だ)、古楽風の演奏と、現代風の舞台アレンジとの共存は(しかもテレビを通して放映される……)、ある意味シュールな風景でもあるわけで。ここで私たちが感じ取っている「バロックオペラ」あるいは「バロック音楽」なるものは一体なんだろうという難しい問題が再浮上する……。

投稿者 Masaki : 22:02

2004年03月02日

ニコラ・ヴァレ

5月に来日公演があるポール・オデット(リュート)。残念ながら東京公演のチケットはゲットできなかったけれど、とりあえず新譜のニコラ・ヴァレ『ミューズの秘密(Le Secret des Muses)』(HMU 907300)を聴く。相変わらず端正な渋い演奏にため息……うーん、なかなか(けれどもやはり生で聴きたいよな〜)。曲そのものも味わい深い名曲ぞろいだ。ヴァレは17世紀初頭の作曲家、リュート奏者。宮廷に仕えず、オランダで音楽と踊りを教えるという異色のキャリアの持ち主。オランダに移り住んだのはプロテスタントへの迫害が強まったからだという。アムステルダムで4冊の曲集を出版している。当時の独立した音楽家の生活という点からも、ヴァレは面白そうなコーパスかもね。

さて、ジャケット絵はアドリアン・ファン・デ・フェルデの「曲集をもつ淑女とリュートをもつ紳士」(大英博物館)だというが、残念ながらネットでは写真が見つからない。てなわけで、代わりにライナーの中にあるヴァレの4曲集の一つ『王の敬虔(Regia Pietas)』の表紙絵を挙げておこう。もっと大きい絵はDatebase of Violin Iconographyのページをどうぞ(解説つきだ)。

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投稿者 Masaki : 23:44