〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.143 2009/02/07 ------文献探索シリーズ------------------------ ギリシア思想は途絶えたのか(その3) 〜シチリアの状況 ローマとビザンツの行き来をした人物の例として、グーゲンハイム本は2 人の学僧(7世紀のジスレヌスと、タルソのテオドルス)を挙げていま す。いずれもアテネで教育を受けて、後にローマにやってきた聖職者だと いうことです。さらに10世紀のゲルマンでも、オットー2世(妻のテオ ファヌはビザンツの皇帝ツィミスケスの姪)やオットー3世の時代に、ビ ザンツで教育を受けた学僧が重用されたといいます。代表的な人物として 何人かの名前が挙げられています(トレーヴのシメオン、ライヒェナウの シメオンなど)。ですが、これだけでは西欧とビザンツの行き来について の全体像はわかりません。全体的傾向として、グーゲンハイム本は記述の 大胆さと、挙げられる実例とのギャップが目についてしまいます(笑)。 同書はまた、スペイン北東部のカタロニアでも、9世紀ごろからギリシア 系の姓の人物名が司法官や僧侶の中に数多く見られるようになるとし、さ らにギリシア文字の走り書きが残る写本や、ギリシア語表現を用いた公文 書などが見つかっていて、一種のギリシア趣味のようなものがあったらし いとしているのですが、このあたりはどうなのでしょうか。次に挙げるシ チリアの場合と同様、これもまた若干保留をつけたくなってしまう気もし ますが……。 さてそのシチリアですが、当時のギリシア語使用という文脈でグーゲンハ イム本も比較的大きく取り上げています。ビザンツとの関係において、シ チリアが特殊だったことは広く認められるところです。フランスで刊行さ れた『ビザンツ世界第2巻--ビザンツ帝国』(ジャン=クロード・シェネ 編、PUF、2006)所収の、ジャン=マリー・マルタンによる「ビザンツ 時代のイタリア」という概論では、シチリアがビザンツ皇帝らの地政学的 関心の的であったことや、他の総督領(太守領)よりも帝国との結びつき が強かったことが記されています。史料としては大グレゴリウスの書簡類 が残っているのですね。 また、イタリア南部カラブリアやシチリアでは、7世紀ごろから、イタリ アに逃れてきたらしいギリシア名の聖職者が散見されるといい、人数的に わずかではあっても、シチリア東部のギリシア系住人の重要性は高まり、 正教会的な修道院制度も発展していったといいます。一方でアラブ人勢力 が大挙押し寄せる中(シチリアは10世紀までにイスラム領になってしま うわけですが)、島の北東部の山岳地帯は、限定的とはいえキリスト教の 要衝となり、小規模ながらギリシア語圏を形作っていたとされています。 グーゲンハイム本もそのあたりのことは取り上げていて、J. イリゴアン という人の研究を挙げ、パリンプセスト(書き直しされた羊皮紙)の形で 数多くのギリシア語文献が見つかっている、と述べています。ただニュア ンスは上のマルタンの記述とは相当違っていて、グーゲンハイム本はそこ でギリシア語がいかに流布していたかを強調するわけですが(もとのイリ ゴアンの研究もそうらしいのですが、これは確認が取れていません)、上 のマルタンの論考では、ギリシア語圏は命脈を保ったとはいえ、ごく一部 の地域に限定されていたということを淡々と述べています。マルタンによ ると、9世紀ごろまでは、アラブによる侵攻のせいでシチリア島の大半の 部分はギリシア文化にもキリスト教にも与ることがなかったといいます。 ノルマン人がやってくる11世紀初頭まで、シチリアはイスラム教徒に よって支配されたわけですが、高山博『中世シチリア王国』(講談社現代 新書)などによれば、パレルモなどは逆にアラブ人支配のせいで文化的に 栄えることにもなったようです。11世紀から12世紀にかけてのノルマン 征服下についても、グーゲンハイム本は、東方正教の修道院やその庇護に あたった有力者らによって、ギリシャ文化は温存されたとしています。確 かに『中世シチリア王国』にも、ノルマン人の王が学問を愛し、アラブや ギリシアの学者たちを重用し、シチリアを東西を結ぶ一大中継地にしたこ とが記されています。ですが一読しての印象としては、ギリシア文化がそ れなりに保存されたとしても、それはグーゲンハイム本が言うようにアラ ブに抗する形で生き延びたというよりは、むしろアラビア経由で伝わった ものが主で、ビザンツ的伝統はそれに刺激されて再び見いだされ、ノルマ ン人指導者の調停のもとに共存することになる、という旧来の図式のほう が受け入れやすい感じですが……。 うーん、歴史をバランスよく読んでいこうとするのはなかなか難しいです ね。いずれにしても、ギリシア文化の重要な担い手が学僧たちだったこと は確かでしょう。というわけで、そのあたりの動向についても見ておかな くてはなりません。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの個体化論を読む(その8) 『ボエティウス「三位一体論」注解』問四第二項を読んでいますが、今回 は、前回とは逆の異論が列挙される箇所を見ていきます。 # # # Set contra est quod Porphirus quod indiuiduum facit collectio accidentium que in alio reperiri non possunt. Set illud quot est principium indiuiduationis est principium diuersitatis secundum numerum. Ergo accidentia sunt principium pluralitatis secundum numerum. 2. Praeterea. In indiuiduo nichil inuenitur nisi forma et materia et accidentia. Set diuersutas forme non facit diuersitatem secundum numerum set secundum speciem, ut patet in X Metaphisice, diuersitatem uero secundum genus facit diuersitas materie: dicit enim Philosophus in X Metaphisice quod genere differunt quorum non est materia communis nec generatio ad inuicem. Ergo diuersitatem secundum numerum nichil potest facere nisi diuersitas accidentium. 3. Praeterea. Illud quod inuenitur commune in pluribus specie differentibus, non est causa diuersitatis secundum numerum; quia diuisio generis in species precedit diuisionem speciei in indiuidua. Set materia inuenitur communis in diuersis secundum speciem; quia eadem materia formis contrariis subditur, alias habentia contrarias formas non transmutarentur inuicem; ergo materia non est principium diuersitatis secundum numerum, nec forma, ut probatum est. Ergo relinquitur quod accidentia sint huius diuersitatis causa. 4. Praeterea. In genere substantie nichil inuenitur nisi genus et differentia. Set indiuidua unius speciei non differunt genere, nec substantialibus differentiis. Ergo non differunt nisi differentiis accidentalibus. しかしながら異論として次のようなものがある。ポルピュリオスは、他に は見あたらない付帯性の集まりが個をなすのだと述べている。その一方 で、個をなす原理であるのは、数の上での相異の原理である。したがっ て、付帯性は数の上での多性の原理となる。 二.加えて、個には形相、質料、付帯性以外のものは見いだせない。しか しながら、『形而上学』第十巻が示すように、形相の相異がもたらすのは 数の上での相異ではなく、あくまで種としての相異である。また、質料の 相異は類における相異をもたらすのである。というのも、哲学者は『形而 上学』第十巻で、共通の質料もなく相互の生成もないものは類において異 なる、と述べているからだ。したがって数の上での相異は、付帯性の相異 以外にはありえない。 三.加えて、異なる複数の種に共通して見いだされるものは、数の上での 相異の原因にはならない。というのは、類の種への分割は、種の個への分 割に先んじているからだ。しかしながら質料は、種における相異を通じて そこに共通するものと見なされる。なぜなら、同じ質料が相反する形相に 従属することはあっても、相反する形相をもつものが互いに相手へと変化 することはないからだ。したがって質料も形相も、すでに(上で)証明さ れているように、数の上での相異の原理ではない。よって残るは、付帯性 がその相異の原因であるということだけである。 四.加えて、実体の類には類と種差しか見いだせない。しかしながら、一 つの種における個は、類において異なるわけでも、実体の差異において異 なるわけでもない。したがって、付帯性の差異による以外に異なりはしな いのである。 # # # 前回の「テーゼ」部分では、付帯性が多性の原因ではないという議論が紹 介されていましたが、今度は逆に、付帯性が多性の原因だという議論が列 挙されます。例によってトマス自身の見解はこれに続く部分からというこ とになります。 第一節ではポルピュリオスが引かれていますが、これは『エイサゴー ゲー』の第二章「種について」の末尾(15節)で、そこでは人物として のソクラテスが例に挙げられ、「それが個(atma)と呼ばれるのは、そ れぞれが特性(idiote^s)から成り、その特性の集まりは他のものでは同 じにならないだろうからだ」とされています。この場合は「特性」であっ て、付帯性とはなっていませんが、どうやらこれが後に付帯性と解釈され るようになったようで、その解釈の成立にはニュッサのグレゴリオスが噛 んでいるという話もあります。 フランスの中世史家アラン・ド・リベラの還暦を記念した論集(『実体を 補完するもの』、Vrin、2008)が昨秋刊行されましたが、これは付帯性 と本質の問題をめぐる様々な論文を集めていて、そのうちの一つに、編者 でもあるクリストフ・エリスマンの論考があります。それがまさに上の問 題を扱っています。それによると、ニュッサのグレゴリオスはポルピュリ オスの議論を敷衍する形で多様性の問題を捉え、神的なものと世界の実体 に共通する理論を探っていたのだとか。そこから、共通する本質としての ウーシアと、個別的なものとしてのヒュポスタシスを区別し、付帯性は ヒュポスタシスの存在基盤であると考えるようになる、というのですね。 エリスマンは、ボエティウスがグレゴリオスを直接読んでいた確証がある わけではないものの、それがボエティウスの議論の背景・遠景をなしてい るのではないか、と結んでいます。 第二節は『形而上学』から、「ロゴスのうちに対立がある限りにおいて、 種の違いがもたらされる」(1058b1)と、「類を分けるのは、質料が共 通せず、相互の生成もないものである」(1054b27-29)が参照されて います。第三節とも相まって、質料も形相も個の相異の原因にはならない とする議論が示されているわけですが、ここでちょっと先走っておくと、 トマス自身の形相の考え方は意外に柔軟なもののようです。これまた上の 論集から、ジャン=リュック・ソレールの論考がそのあたりの問題を検討 しています。それによるとトマスは、形相のなかには、なんらかの不確定 な部分のあるものあるということを認めているといいます。形相そのもの の中に、たとえば「強化」や「増大」などの余地を残しているわけです。 余談になりますが、同じくソレールによると、トマスの弟子筋のうちロー マのジルなどは、強化・増大は形相に内在するものという立場を取ります が、一部にはそれをより過激に敷衍し、形相の分割可能性まで認める論者 も出てくるようです。それに対するフランシスコ会の論者たちは、強化・ 増大は形相への付加であるという立場を取るのですね。つまり強化・増大 が可能な形相では、新たな現実を獲得されることで「等級」が一新し(つ まり複数の個の全体的統一が刷新される)、以前の「等級」とは異なった ものになるのだ、という考え方を示していたといいます。このあたり、な かなか興味深いところです。 いずれにせよ、こうした異論をも踏まえつつ、次回からいよいよトマス自 身の考え方が展開する箇所に入っていきます。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は02月21日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------