〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.144 2009/02/21 ------文献探索シリーズ------------------------ ギリシア思想は途絶えたのか(その4) 〜ギリシア語の翻訳・研究 今回はグーゲンハイム本と好対照をなす別の書籍をもとに、ギリシア語と その翻訳文献の話をまとめて振り返っておきたいと思います。参照するの は、前にも取り上げたことのある、レイノルズ&ウィルソン『古典の継承 者たち--ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』(国文社、 1996)です。原書の初版は1968年ですね。ビザンツ関連の一章がある ほか、西方でのギリシア語の普及についても触れられています。 ビザンツ関連で特に目を引くのは、オリエント、とりわけシリアでの翻訳 活動についての一節です。古代末期にギリシア語からの古代シリア語への 翻訳は始まったといいますが、同書では、ローマ帝政下において二カ国語 使用(現地語のシリア語と公用語としてのギリシア語)だったというのは 間違いで、一般人はギリシア語をほとんど話さないのが実情だったのでは ないかとしています。その裏付けとして、400年頃の『エゲリアの巡礼』 という作品が挙げられてています。そこに、司祭がギリシア語で典礼を行 い助手がその場でシリア語に訳した、という文言があるそうです。一方で 翻訳は確かになされていて、新約聖書から始まったのだろうと同書では述 べています。翻訳対象は拡大し、アリストテレスやテオフラストス(『気 象学』)、ルキアノスなどが残っているといいます。アラビア語訳はシリ ア語訳よりも多く残っていて、ほとんどは科学や哲学の文献ですが、イス ラム世界でもギリシア語文献そのものは温存され、ギリシア人共同体は修 道院を中心としギリシア語を使い続けていたらしいとも記されています。 9世紀の著名な翻訳者フナインがこのことを証言しているのだとか。 このフナインについて、グーゲンハイム本では彼がキリスト教徒だったこ とを強調していますが(イスラム教はギリシア文化の継承にさほど関与し ていないという見方です)、たとえばジクリト・フンケ『アラビア文化の 遺産』(みすず書房)などを見ても、その医者としての名声や交友関係は とうていキリスト教圏に収まってはいないことがわかります(彼が学校長 を務めたという翻訳学校はカリフが創設したものですし)。 レイノルズ&ウィルソン本に戻りましょう。西欧についても興味深い記述 が散見されます。まずは前回取り上げたシチリアやイタリア南端について ですが、レイノルズ&ウィルソン本では、地域としては限定されるような 言い方ですが、ギリシア語は話し言葉としても使われていたとしています ね。ギリシア正教の修道院の歴史も10世紀以降についてはよくわかって いるといい、オトラント周辺などには図書館や学校を擁する有名な修道院 があり、学校教育が栄えていたと述べています。もっとも、高度な学問の 形跡はないと留保が付けられています……。 それ以外の地域については、ギリシア語の使用はごくわずかなものだった とし、たとえばカッシオドルスが開いたというヴィヴァリウム修道院には 多数のギリシア語の本が所蔵されていたことを指摘しつつも、それがギリ シア語の保存に明確に貢献したことを示す証拠は何もないと述べていま す。文献の存在がその言語の使用を直ちに意味するわけではない、という 慎重な姿勢は、安易な推論を戒めようということなのかもしれません。学 問的スタンスとしては誠実なわけですが、そうした立場からすれば、次の ような結論に落ち着くのも順当というところでしょう。つまり、西欧もし くはラテン語文化圏でのギリシア語研究の歴史は、学派をなすにいたらな い「細切れの逸話の連続である」というわけです。イングランドに渡った ギリシア語話者の宣教師(テオドロス、ハドリアヌス)もそうなら、9世 紀のカロリング朝下でのギリシア語への関心の高まり(ビザンツ皇帝がフ ランス王に偽ディオニュシオス・アレオパギテスの写本を送ったなど)も そうです。アイルランド人のスコトゥス・エウリゲナによるギリシア語文 献の翻訳ですらギリシア学の伝統となるにはいたらなかった、と同書はや や手厳しく述べています。 12世紀はピサのブルグンディオなど、ギリシア語文献の翻訳が広くなさ れるようになりますが、これについても同書は、影響力の点では同じく限 定的だったと見ています。グーゲンハイム本のタイトル「モン=サン・ ミッシェルのアリストテレス」は、モン=サン・ミッシェル修道院でアリ ストテレスの翻訳をしていたというヴェネツィアのジャコモ(フランス読 みではジャックです)にちなんでいるわけですが、レイノルズ&ウィルソ ン本では、その手になる『分析論後書』をソールズベリーのジョンが 1159年に目にしているとしつつも、ジャコモ本人についての詳細はわか らないとしています。そのほか、同時代のシチリアでの翻訳活動について も触れていますが、全体として、それら翻訳者たちのもたらした影響は 「彼らの期待したほどではなかった」とし、その裏付けとして、『アルマ ゲスト』をトレドでアラビア語から訳したクレモナのジェラルドが、既訳 の存在を知らなかった事実を挙げています。さらに13世紀、ギリシア語 の知識のあったロバート・グロステストやロジャー・ベーコンなどについ ても、彼ら(とりわけ後者)が唱えた原典研究の必要性に賛同者は少な かった、と捉えています。 グーゲンハイム本が注目し積極的に評価しようとする逸話の数々(実際、 以上取り上げた逸話はほぼすべて、ゲーゲンハイム本でも取り上げられて います)を、レイノルズ&ウィルソンはひたすら慎重に扱おうとしていま す。このあたりが基本認識の差なのですが、逆に言うと、前者が後者を説 得するには、なんらかの新材料がなくてはなりません。材料はすでに揃っ ている、あとはそれをどう再構成するかだ、というのでは定説は覆せない という印象です。グーゲンハイム本は、ギリシア文化への関心は西欧にお いても維持され、実際に翻訳や研究といった具体的活動が続けられるほど に強い流れになっていた、とする方向での解釈を進めますが(イデオロ ギー的にアラブ世界の評価を引き下げないという条件つきなら、その説は 結構魅力的でもあります)、そういう方向を打ち出すためには、やはり逸 話の数々にとどまらない、具体的な新史料なり新データなりが挙げられな くてはならないでしょう。それらがありうるとしたら、どのあたりに求め られるのでしょうか?ヴェネツィアのジャコモなのでしょうか? (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの個体化論を読む(その9) 『ボエティウス「三位一体論」注解』問四第二項から、今回はいよいよト マス自身の見解が開示されていく箇所です。さっそく見ていきましょう。 # # # Responsio. Dicendum, quod ad euidentiam huius questionis et eorum que in littera dicuntur, oportet uidere quid sit causa huius triplicis diuersitatis que in littera assignatur. Cum autem in indiuiduo composito in genere substantie non sint nisi tria, scilicet materia, forma, et compositum, oportet ex aliquo horum cuiuslibet harum diuersitatum causas inuenire. Sciendum est ergo quod diuersitas secundum genus reducitur in diuersitatem materie, set diuersitas uero secundum speciem in diuersitatem forme, set diuersitas secundum numerum partim in diuersitatem materie, partim in diuersitatem accidentis. Cum autem genus sit principium cognoscendi, utpote prima diffinitionis pars, materia autem secundum se sit ignota, non potest secundum se ex ea accipi diuersitas generis, set solum illo modo quo cognoscibilis est. Est autem cognoscibilis dupliciter: uno modo per analogiam siue per proportionem, ut dicitur in I Phisicorum, hoc est ut dicamus illud esse materiam, quod hoc modo se habet ad res naturales sicut lignum ad lectum; alio modo cognoscitur per formam, per quam habet esse in actu: unumquodque enim cognoscitur secundum quod est in actu et non secundum quod est in potentia, ut dicitur in IX Metaphisice. Et secundum hoc dupliciter sumitur diuersitas generis ex materia. Vno modo ex diuersa analogia ad materiam, et sic penes materiam distinguntur prima rerum genera. Id enim quod est in genere substantie comparatur ad materiam sicut ad partem sui, quod uero est in genere quantitatis non habet materiam partem sui, set comparatur ad ipsam sicut mensura, et qualitas sicut dispositio; et his duobus generibus mediantibus omnia alia genera nanciscuntur diuersas comparationes ad materiam, que est pars substantie, ex qua substantia habet rationem subiecti, secundum quam ad accidentia comparatur. Alio modo penes materiam sumitur diuersitas generis secundum quod materia est perfecta per formam: cum enim materia sit potentia pura, et Deus actus purus, nichil est aliud materiam perfici in actum qui est forma, nisi quatenus participat aliquam simiitudinem actus primi, licet imperfecte; ut sic illud quod est iam compositum ex materia et forma sit mendium inter potentiam puram et actum purum. 回答。次のように述べなくてはならない。この問いとその字義的な意味を 明らかにするためには、字句に示された三種類の相異の原因が何であるか を見なくてはならない。しかるに、実体の類における複合的な個物には、 質料、形相、複合の三つがあるだけなので、そのうちのいずれかに、かか る相異の原因を見いださなくてはならない。したがって、類における相異 は質料における相異に帰され、種における相異は形相の相異に帰され、ま た数の上での相異は、部分的には質料の相異に、部分的には付帯性の相異 に帰着することを知らなくてはならない。 しかるに、類は定義の第一の部分という意味で認識の原理をなすが、質料 はそのものとしては知られない以上、質料(そのもの)から類の相異が理 解されることはありえず、ただそれ(質料)が認識可能になる様態でのみ 理解される。しかしながら、その認識可能性は二つある。まず一つの様態 は、『自然学』第一巻に述べられているように、類比もしくは比例による ものである。それはつまり、木が寝台に対してもつような関係を、質料が 事物に対して持っていると言うような場合である。もう一つの様態は、形 相による認識、つまり質料が現実態として存在する上での拠り所による認 識である。『形而上学』第九巻に述べられているように、いかなるものも 現実態にあるものとして認識されるのであって、潜在態にあるものとして ではない。 以上のことから、類的な相異は質料から二つの様態でもたらされる。まず 一つの様態は、質料との様々な類比による。質料にもとづいて事物の第一 の類が区別されるような場合である。実体の類にあるものは、みずからの 一部であるかのように質料へと関係づけられる。一方、量の類にあるもの は、みずからの一部に質料をもつのではなく、尺度として(質料に)関係 づけられる。質の類にあるものは、態勢として関係づけられる。そしてこ の二つの類がほかのあらゆる類を仲介することによって、質料への様々な 関係が生まれる。質料は実体の一部をなし、質料ゆえに実体は基体の道理 となり、それにより付帯性にも関連づけられるのである。もう一つの様態 は、質料が形相によって完成されることにもとづき、質料から類の相異が もたらされる場合である。質料は純粋な潜在態にあり、神は純粋な現実態 であるのだから、なんらかの質料が現実態、すなわち形相において完成さ れるのは、不完全なものではあっても、第一の現実態との類似に与する限 りにおいて以外にない。ゆえに質料と形相から構成されるものは、純粋な 潜在態と純粋な現実態の中間物となる。 # # # トマスは相異(diuersitas)の原因を、質料、形相、複合の三つとし、そ れぞれ類における相異、種における相異、個における相異に対応するもの と考え、その三つを順に考えていきます。今回の箇所はそのうちの類の相 異についてで、質料による相異とはどのようなものかを検討しています。 質料による相異はさらに類比的な相異と形相的な相異の二つに下位区分さ れています。 トマスの場合、まだ後のフランシスコ会の論者たちのような唯名論的な先 鋭化にはいたっていないので、「類」はいわば共通するものとして、多少 なりとも実在論的に捉えられています。とくに二つめの形相的な相異の場 合にそのことが如実に感じられます。「類」に属するものは、すでにして 形相と質料から成るものであって、潜在態と現実態との中間物だというわ けですね。動物と鉱物がどう違うかということを考えてみるなら、それぞ れが取りうる形状もまったく異なりますし、そもそも前者は力が外部から 加わらなくとも動き、後者は動かないなど、形相に帰着させうるような違 いがいろいろ指摘できます。もちろんそういうことを考える際には個物か ら出発して考えるわけですけれど、「動物」「鉱物」の違いを少しばかり 抽象度を上げて捉えれば、「形相的な相異」ということで括れる、という ことになります。 これに対して、一つめの類比による区別というのは少し次元が異なってい ます。実体、量、質は、アリストテレスの十のカテゴリー(いわゆる第一 の類)の筆頭のものですね。十のカテゴリーが質料から切り出される仕方 は、類比(アナロギア)の関係性による、と述べられているわけですが、 これはどういうことでしょうか。存在の類比という場合には、絶対的な存 在「に与る・から分与される」ものとして個別の存在が考えられていまし た。絶対的な存在そのものは認識できないけれど、個別の存在を分与的に 認識することで、前者にも遡及できるという考え方です。同じように、質 料そのものからは何も浮かび上がりませんが、たとえば事物が質料から尺 度の観点でもって切り出される(つまり認識される)場合、「量」という 第一の類が、事物の量的側面として浮かび上がることになります。 再びちょっと先走りになりますが、上の二つの相異について長倉久子『神 秘と学知』の論考部分は、これを西欧に時間差をともなって導入されたア リストテレスの二つの分類法、すなわち論理学と自然学の分類法の違いの 説明にもとづくものだとしています。トマスはその違いの説明として二種 類の質料概念を区別しているといいます。それが「物質性の根源として抽 象的に考えられた第一質料」と「形相によって具体化された質料」です。 それぞれ論理学と自然学に対応する質料概念ということですが、ある意味 でそれは、トップダウン的な見方とボトムアップ的な見方というふうにも 言えそうです。説明のベクトルがそもそも逆なのですね。 アリストテレスのカテゴリーは存在するものの基本属性ですから、その意 味では一種の付帯性ともいえ、ある種の形相的なものでもあります。前回 もちょっと触れましたが、トマスは増大・強化の余地を形相に認めている ことからして、付帯性を形相の側に位置づけていくように思われます。そ んなわけで、抽象度や説明のベクトルは異なるものの、この類比的な差異 も、形相的なものによる質料の切り出しが問題になっていると捉えること もできます。自然学的な質料的相異と論理学的な質料的相異は、こうして 見ると確かに次元こそ違いますが、「類」を切り出す操作という点では重 なってきそうです。 トマスの議論はこの後、こうした話にも及んでいき、質料と形相の問題、 そして種の相異(種差)の問題を巡っていきます。そのあたりはまた次回 に。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は03月07日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------