〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.146 2009/03/21 ------文献探索シリーズ------------------------ ギリシア思想は途絶えたのか(その6) 〜中世ギリシア語へ 前回まで5回にわたり、グーゲンハイム本が投げかけた「中世のギリシア 語研究の継続」問題の「さわり」を見てみました。そこで改めて思うの は、同書はフランス本国で批判を浴びたような欠陥も多々あるものの、一 応の端緒にはなりそうで、やはりその方向性には興味深いものもあるとい うことです。西欧中世のギリシア語理解については、これから新事実が出 てこないとも限りません。というか、それは十分にありそうな気がしま す。そんな期待を込めて、今回は少し中世期のギリシア語史について触れ ておきましょう。 この分野に関しては、少々古い本ですが今でも手に入るロバート・ブラウ ンニング『中世・近代のギリシア語』(Robert Browning, "Medieval & Modern Greek", Cambridge University Press, 1969-95)がなかなか 興味深い一冊です。ローマ帝政期から中世を経て近代にいたるまでのギリ シア語史を簡潔にまとめた概説的な小著ですが、全体像を掴む上でとても 有益です。 それによると、最も大きなポイントとして、ヘレニズム時代のコイネーが 徐々に簡素化していくという流れがあります。ですが、その詳細を追うの は並大抵ではないことも窺えます。概要としては、古代末期においてすで に、音韻変化は言うにおよばず、受動態・中間態の融合、完了形とアオリ ストの融合、希求法の低減などなど、形態的な変化もいろいろと生じてい ました。そしてその傾向は、中世初期にかけてさらに加速するようなので す。ところが、前にも出てきましたけれど、中世初期は「暗黒の時代」 で、文献資料の数は圧倒的に古代末期のほうが多いという逆説的な状況に あるのですね。 アラブ、スラブ人、ランゴバルド族などの侵攻が相次いだせいで、7、8 世紀のビザンツでは文献の生産そのものが低迷したといいます。しかも現 存するものもそのうちのごくわずかな部分にすぎないようです。中世初期 ごろと大まかに推定される言語的変化にはいくつか大きなものがあるよう なのですが(特にそれは話し言葉の変化です)、そんなわけで具体的にい つごろ生じたかは特定できないようなのです(政治情勢と言語の関わりは やはり密接ですね)。とはいえ8世紀から10世紀になるとようやく、年代 記などに話し言葉に近い文体のものが散見されるようになるといいます。 理想とされた古典の伝統と、民衆の話し言葉が混在するというわけです ね。両者はきわどいバランスを保っていたといいます。 その後11から12世紀になると、話し言葉を反映した文献はそれ以前より も増えていきます。と、その一方でこの時期、ある種の反動のように古典 ギリシア語への「振り戻し」も起きてきます。その代表格にミカエル・プ セロスがいます。その著書『年代記』の希仏対訳本(Psellos, "Chronographie", trad. Emile Renauld, Les belles lettresm 1967) に目を転じてみましょう。同書に収録された訳者エミール・ルノーの序文 によると、11世紀当時のビザンツのコイネー(書き言葉の)は大筋では4 世紀ごろのコイネーと同じだったものの、単語の意味の変化、新語の流 入、形態的変化など、細部についてはかなりの変化が生じていたといい、 上のブラウニング本の記述に呼応しています。言葉が変わるのは世の常で すが、教養人だったプセロスは、その豊かな古典的素養を背景に、形態論 や統辞論の「乱れ」を嘆き、書き言葉の純粋主義を貫こうとしたのです ね。「時代の用法から完全には自由になれなかったにせよ(…)、だから といって(プセロスを)乱暴と誹るわけにはいかない。古典の規則から離 れる場合でも、プセロスが採用する構文は言語の法則とは形式上矛盾しな い(…)」と、エミール・ルノーは記しています。 とはいうものの、言語の変化を押しとどめることは誰にもできません。再 びブラウニング本に戻ると、12世紀以降のビザンツは、一方でセル ジューク朝やオスマン朝トルコの脅威に晒され、もう一方では西欧の十字 軍や貿易商の中継地になるなど、絶えず外部との交易・交流を強いられ (不本意であったにせよ)、結果的に言語の面でもラテン語や各国語(世 俗語)の借用語が増えていったとされます。とくにイタリア語からの借用 が多いようです。そうして生じた最も大きな変化が、ギリシア語そのもの の威信の低下でした。なるほどこのあたり、昨今の英語論・日本語論など も思い浮かんできますね。言語が威信を失っていくとはどういうことなの か、改めて考えるヒントもそのあたりにもありそうです。 ブラウニング本でとても興味深いのは、近代のギリシア語の基本形が出来 上がるのが、考えられるよりもはるかに早い中世前期なのではないかと考 えていることです。プセロスなどのはるか以前に(おそらくは10世紀ま でに)近代ギリシア語につながる話し言葉の大枠(母音体系の簡素化や接 頭辞の脱落など)は成立していた、との仮説を立てています。文献資料的 には中世後期以降の方がはるかに潤沢にあるようですが、ブラウニング は、各種の文献にはプセロスが指向したような「純粋な」書き言葉の伝統 に則ろうとする意志が少なからず働いているとしつつ、とはいえ話し言葉 の影響により実際の運用面ではその意志が裏切られるという、ある種ダイ ナミックな動きも読み取れると考えているようです。なるほど、そういう 資料の読み取り方は難しい作業でしょうけれど、確かに面白そうでもあり ます。そのあたり、現在の研究状況はどうなっているのでしょうか。同書 以後のギリシア語の歴史研究についても、ぜひ機会を見つけて探してみた いと思います。 # # # さて、とりあえずグーゲンハイム本に関連したこの連載はひと区切りとい たします。ギリシア語関連でまた何か面白いものが出てきたら取り上げる ことにして、次回からは全く別に、中世版の慣性の法則ことインペトゥス 理論を振り返ってみたいと思っています。お楽しみに。 ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの個体化論を読む(その11) 『ボエティウス「三位一体論」注解』問四の第二項の続きです。今回の箇 所は論理学と自然学での類概念の解釈の違いに触れています。今回も都合 により少し短めにて失礼します。 # # # Sciendum tamen quod cum illud materiale unde sumitur genus habeat in se materiam et formam, logicus considerat genus solum ex parte eius quod formale est, unde et eius diffinitiones dicuntur formales; set naturalis considerat genus ex parte utriusque. Et ideo contingit quandoque quod aliud communicat in genere secundum logicum, quod non communicat secundum naturalem: contigit enim quandoque quod illud de similitudine primi actus consequitur res aliqua in materia tali, aliud consequatur sine materia, et aliud in alia materia omnino diuersa; sicut patet quod lapis in materia que est secundum potentiam ad esse pertingit ad hoc quod subsistat, ad quod idem pertingit sol secundum materiam ad ubi et non ad esse, et angelus omni materia carens. Vnde logicus, inueniens in omnibus his illud materie ex quo genus sumebat, ponit omnia in genere substantie; naturalis uero et metaphisicus, qui considerant omnia principia rei, non inuenientes conuenientiam in materia, dicunt genere differre, secundum hoc quod dicitur in X Metaphisice, quod corruptibile et incorruptibile differunt genere, et quod illa conueniunt genere quorum materia est una et generatio ad inuicem. Sic ergo patet quomodo materia facit diuersitatem in genere et forma diuersitatem in specie. しかしながら次のことを知っておかなくてはならない。類が得られるもと となる質料的なものは、みずからのうちに質料と形相をもっているため、 論理学者は類をそのうちの形相的部分からのみ考え、そのためその者の類 の定義は形相的と言われる。一方、自然学者は類をその両者から考える。 したがって、論理学者によると同じものとして類に括られるものが、自然 学者によると同じものとして括られないということが時に起きる。すなわ ち、第一の現実態との類似にあるものに、何らかの事物がしかじかの質料 において生じ、別のあるものは質料なしで生じ、さらに別のあるものは まったく異なる別の質料において生じるということが時に起きるのであ る。ちょうどそれは次の例に明らかである。存在への潜勢をもった質料の うちにある石は、存続する状態へと至るわけだが、太陽は、存在ではなく 場所への潜勢をもった質料により、その状態に至る。そしてあらゆる質料 を欠いている天使もその状態に至る。それゆえ論理学者は、類が得られる おおもとの質料をあらゆるものに見出し、あらゆるものを実体の類に括 る。自然学者および形而上学者はというと、事物のいっさいの原理を考え る者であるため、質料における一致を見いだすことがなく、『形而上学』 第十巻が述べる、「滅しうるものと不滅のものは類において異なり、質料 が一つであるようなもの、相互に生成するものは類が一致する」というこ とにもとづき、類は異なると言うのである。したがって、質料がどのよう に類の相異をなし、形相がどのように種の相異をなすのかは明らかであ る。 # # # 前々回になりますが、トマスは二種類の質料概念を前提に論理学と自然学 の分類法の違いを説明している、という長倉本の一節に触れました。その 場合の「二種類の質料概念」とは、根源的物質性としての質料と、形相に よって具体化した質料でした。この「二種類の質料概念」は、実はアリス トテレスのテキストそのものに見出され、そちらにおいてもなにがしかの 解釈上の問題を孕むものであるようです。 たとえば桑子敏雄『エネルゲイア - アリストテレス哲学の創造』(東京大 学出版会、1993)の第六章「類としての質料」では、『形而上学』第七 巻の記述を中心にアリストテレスの質料概念の整理を行っています。それ によると、『形而上学』第七巻の生成論では、生成の起点となる質料と、 生成の終局となる質料とが区別され、この後者は具体的な生成物の中に見 出される「感覚される質料」、一方の前者は生成物から翻って推断される 「思惟される質料」とされています。そしてこの「思惟される質料」(あ るいは説明における質料)を、アリストテレスは「類としての質料」と見 なしているというのですね。 同書の説明にもとづくと、つまりこういうことです。家を指して「これは 何か」と問うとき、家がまだ完成していなければ、たとえば「石と木材で ある」と言うことができます。それは質料による答えです。ところが家が いったん完成してしまえば、「家である」が答えになり、「石と木材」は 家の性質を表す属性にすぎなくなります。この場合、「石と木材」はもは や指される具体物ではなく、指される「家」を定義づける(述語づける) 抽象的な一般概念としての「石と木材」になります。いわばカテゴリーが 変わるのですね。そしてこのときの「石と木材」こそが「質料としての 類」になります。どういうことかというと、石と木材でできたものはいろ いろあり(類)、目の前の具体物はなんらかの限定が加わりその類の下位 区分をなす「家」(種)になるというわけです。これは述語付けの問題を 扱っているので、論理学的な質料の捉え方だといえます。 視点を変えてみると、「家」は住居としての形を備えたものを指すわけで すから形相でもあります。石と木材はそれからすると質料であり、そして 家ができる前の質料が「思惟される質料」(家が完成してからその家を初 めて見るような場合、質料だった「石と木材」は完成した「家」から推断 するしかなく、その意味で「思惟される」ものです)、家ができた後の質 料が「感覚される質料」(家を見るとき、形だけでなくその質感も受け取 るので)ということになります。これは具体物を考えているので自然学的 な捉え方といえます。この場合、家の質料は家の形相を通して思惟もしく は感覚されるのですね。 ここから、上のトマスのテキストにあるように、自然学者は類を形相と質 料の両方から考えなくてはならないということになります。具体物として の家から捉えた石と木材は、いわば家の潜在態でもあり、完成した家はそ の現実態とも見なされます。こうしてそれは生成過程(潜在態が現実態に なる)に位置づけられます。一方の論理学では、上に挙げたように、「石 と木材」は家の完成の有無によって実体のカテゴリーか性質のカテゴリー かのいずれかに区分されます。つまりそれは、石と木材がそのものの形相 で捉えられるか、それとも家の形相で捉えられるかの違いになります。論 理学者は形相的部分を考えるというのはそういうことなのでしょう。 桑子本によれば、アリストテレスは定義の分析に際して、形相と質料への 分割の必要性を説きつつも、定義を形相にのみ一律に還元する立場には異 を唱えているといいます。また、アリストテレスの議論はものごとの「実 体であるための条件」を探るためのもので、「個体実体が個体であるため の条件に向いているのではい」ともいいます。トマスの基本スタンスはど うなのでしょうね。とくにその質料概念には、なんらかのずれがありそう にも思えます。そのあたりのことも、類、種に続きいよいよ個の差異を検 討する次回以降の箇所に探っていきたいと思います。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は04月04日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------