〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.152 2009/06/20 ------文献探索シリーズ------------------------ インペトゥス理論再訪(その6) いよいよ私たちも西欧のほうへ目を転じてみることにしましょう。前回、 マイヤーが「インペトゥス理論の萌芽のようなものは同時多発的に生じた 可能性がある」と示唆した話をしました。同著書ではその後、中世盛期の 具体的な例がいくつか示されています。まず取り上げられているのはボナ ヴェントゥラです。 ボナヴェントゥラは『命題集注解』二巻三一区分第一項において、人間の 感覚的魂は創造されたものかという問題を扱いますが、その議論の中でイ ンペトゥス理論に類似の考え方に触れているというのですね。具体的に は、胚(胎児)に感覚的能力が刻まれるというのはどのような意味でか、 という問題を考察し、胚が完全な生物の形をもつ前に、感覚がその中に 入っているという考え方を示し、続く箇所ではこう述べています。「そこ での実体は、完成体の魂ではありえない。しかしながらそこに、父の魂の 力は存在しうる。それは種子の中にも、力を伝える主体の場合と同様に存 在するものである。ちょうど動者の力が、投げられた石とともに (simul)伝わるように」。 投擲物の譬えの部分に、力が「伝わる」ことが示されてはいますが、いさ さか曖昧な感じもします。力が何によって伝えられるのかは必ずしも釈然 とせず、アリストテレスの媒質説のように取ることもできそうに思えま す。そうした曖昧さは、どうやらこの時代にインペトゥス理論の先駆け的 な文章を残している著者全般に見られるもののようで、その最たる者が、 続いてマイヤーが取り上げるトマス・アクィナスだといいます。トマスに インペトゥス理論のような考え方がある、という話自体がちょっと意外で すね。先走って言えば、もちろん留保つきです……。マイヤーは、トマス のテキストから四つの箇所を紹介していきます。 最初の二つは、後世のトマス主義者だったドミニクス・ソト(16世紀の セゴビアの神学者)が引用しているテキストだといいます。一つめなどは さらにヨハネス・カプレオルス(15世紀のトマス注解者)も引用してい るもので、どうやら後世のトマス主義者たちは、インペトゥス理論の先駆 けとしてのトマス、という解釈にもっていこうとしていたらしいのです ね。で、その最初のテキストというのは、『潜在態についての定期討論 (Questio disputata de Potentia)』の問三第一一項です。「魂がもた らされるのは創造によってか、それとも種子からか」との問いに、「種子 の中にある力は感覚的魂の現実態ではないが、感覚的魂の力として働く。 それは種子をもたらした父のもとにあった力である」という異論(第五) が示され、トマスはそれに、「道具はそれを動かす主要な人物によって動 かされると理解されるが、一方で動かす者がもたらす力は刻印されて保持 される。ゆえに、矢は射る者によって動かされるが、射る者が加えた力は とどまるのである」とコメントしています。 もう一つは、『魂についての定期討論(Questio disputata de Anima)』の問一第一一項です。「人間において理性的・感覚的・植物 的魂は実体であるか」という問いが立てられています。「植物的・感覚的 魂の現実態は、胚に入っている魂によってではなく、親の魂から受け継が れて胚に存在する力によって、胚に存在する」という異論を受けて、トマ スは「父から種子にもたらされる力は、投擲物における運動の力のよう に、内部にとどまる力であって、外部から流入する力ではない」と述べて います。 ボナヴェントゥラもそうですが、トマスのこれら二つのテキストも、種子 において親から受け継ぐ力が問題になっています。そしてそこで投擲物が 比喩として用いられている点が共通していますね。種子に伝えられる力と いうのは、おそらく当時の神学的討論において、それなりによく取り上げ られる問題になっていたのかもしれませんね。そして投擲物の比喩もま た、その議論とセットになっていたとすれば、何かこのあたりに共通の参 照元がありそうな感じもします。これはちょっと奥深そうなテーマです ね。そのうちあらためて探ってみたい気がします。 さて、マイヤーが挙げる四つのテキストのうち二つは以上ですが、残り二 つはまた別の議論になっています。そしてまた、この後マイヤーはさらに 別の箇所から、トマスの問題含みな見解を取り上げていくのですが、誌面 の都合により、それらは次回に持ち越し、ということにしたいと思います (あしからず)。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの場所論を読む(その2) 今回も引き続き、最初に掲げられる異論の残りの部分です。当然まだトマ ス自身の考えではありません。後で反論するために取り上げる、すでに出 回っている議論の概括です。ではさっそく見ていきましょう。 # # # 5. Preterea. In ferro ingito simul est ignis et ferrum. Vtrumque autem est corpus. Ergo possibile est simul esse duo corpora in eodem loco. 6. Preterea. Elementa in mixto non sunt corrupta, alias mixtum non sequeretur dominantis motum. Set omnia quatuor elementa sunt corpora, et simul in qualibet parte mixto. Ergo possibile est duo corpora esse in eodem loco. 7. Preterea. Quod duo corpora non sint in eodem loco, hoc non potest conuenire corporibus ratione materie, cum materie secundum se non debeatur locus; nec ratione forme, propter idem; nec ratione dimensionis, cum dimensiones non repleant locum, quod patet ex hoc quod quidam locum ubi erant sole dimensiones dicebant esse uacuum. Ergo hoc non conuenit corpori nisi ratione aliquorum accidentium posteriorum, que non sunt omnibus corporibus communia, et que possibile est a corporibus separari; et sic uidetur quod duo corpora possint esse in eodem loco. 8. Preterea. Secundum astrologos qui sequntur Ptolomeum, sex planetaarum corpora mouentur in epiciclis, qui sunt circuli intersecantes speras excentricas planetarum; oportet ergo quod planete corpus quandoque perueniat ad locum sectionis. Set non potest dici quod ibi sit aliquid uacuum, cum uacuum natura non patiatur; neque quod substantia sperarum sit diuisibilis, ut intelligatur cedere corpori planete quando peruenit illuc sicut cedit aer lapidi aut alii corpori; cum celi "solidissimi quasi ere fundati" sunt, ut dicitur Iob XXXVII. Ergo oportet quod corpus planete sit simul cum corpore spere eius in eodem loco; et sic falsum est quod dicit Boetius hic, quod duo corpora numquam unum obtinent locum. 五.加えて、熱した鉄においては火と鉄とが同時に存在する。しかるにそ れらはいずれも物体である。よって、二つの物体が同じ場所にあることは 可能である。 六.加えて、混成された元素は滅してはいない。さもないと、混成物は支 配的な元素の運動を被らないことになってしまう。しかるに四大元素はい ずれも物体であり、混成物の任意の部分に同時に存在する。よって、二つ の物体が同じ場所にあることは可能である。 七.加えて、二つの物体が同じ場所にはないこと、これは物体の質料の概 念には適合しない。質料そのものは場所には置かれないからだ。同じ理由 から、形相の概念にも適合しない。次元の概念にも適合しない。次元は場 所を完全に満たすわけではないからだ。このことは、次元のみが存在する 場所は真空であると言われることから明らかである。したがって、それが 物体に適合するのは、後からもたらされたなんらかの付帯性の概念による 以外にない。そうした概念は物体すべてに共通することもなく、また物体 から引き離すことも可能である。以上のことから、二つの物体は同じ場所 にありうると考えられるのである。 八.加えて、プトレマイオスの一派の天文学者たちによれば、六つの天体 は周転円上を動くという。周転円とは離心円の天球を分かつ円である。と するならば、天体はいつか分割する場所へと達しなくてはならない。しか しながら、そこがなんらかの真空であるとは言えない。自然は真空を受け 入れないからだ。また、「個別の(天球の)実体は分割可能で、空気が石 やその他の物体に(場所を)明け渡すように、天体がそこに達するときに は天体に(場所を)明け渡すのだと考えられる」とも言えない。なぜな ら、ヨブ記三七章に述べられているように、天は「銅でできているがごと くに頑強である」からだ。したがって、天体は天球の物体と同時にその同 じ場所に存在することになる。それゆえ、ここでボエティウスが言う、二 つの物体が同じ場所を占めることは決してないということは誤りとなる。 # # # プトレマイオスの周転円の話は伊訳の注によれば『アルマゲスト』の三巻 の三を参照とありますが、これは目下のところ手元にテキストがなく確認 できていません。ですが一般的な説明として、この周転円と離心円(従 円)の話はよく知られているものですね。天動説において惑星は、まず地 球を取り巻く大きな円(離心円)の上にあるのですが、さらにもう一段 あって、その大きな円の円周上に中心をもつ小さな円(周転円)の上を動 いているとされます。つまり大きな円は、小さな円の直径の分だけの厚み をもつことになります。 さて、天動説では惑星ごとにそうした離心円があり、惑星軌道の外周(限 界)をなす空間を天球と称するのでした。それぞれの天球は、惑星の周転 円上の軌道とどこかで接しますが、その接点は天球の境界(そこから先は 別の天球の領域になる)上にあることになります。すなわちその接点は天 球の分割点でもあるわけですね。周転円上を回っている惑星は、そのうち 必ずその天球の分割点を通ります。天球は実体として考えられているの で、すると天球の分割点に惑星(これもまた実体です)が到達するとき、 その天球と惑星との関係はいったいどうなってしまうのか、という問題が 出てきます。上のテキストで問題になっているのはまさにそれで、この異 論での答えは、その分割点には天球と惑星の両方が存在する、というもの なのですね。『神秘と学知』では、この箇所の注として、アルベルトゥ ス・マグヌスの『命題集注解』が出典に挙げられていますが、残念ながら それも未確認です。 いずれにしても、場所の問題は自然学(あるいは形而上学)の議論ときわ めて密接な関係にある、ということが顕著に窺える箇所です。というか、 この異論部分全体がそういう印象を与えています。混成物(地上世界のモ ノ全般ということでしょう)は支配的な元素の運動によって特徴づけられ るという話もそうです。これはトマスの別のテキスト、『元素の混合につ いて』(De Mixtione Elementorum)に詳述されています。次元のみが 存在する場所は真空であると言われるという部分もそうですね。その出典 はアリストテレス『自然学』四巻八章(216b6-21)で、真空が存在しな いことを論じた箇所です。立方体と同じ場所に同じ大きさで真空が置かれ たとしても、立方体とイコールにはならないということ(つまり場所は大 きさだけで満たされるのではないということ)が述べられています。 さて話は変わりますが、トマスの場所論を読む上の参考として、アリスト テレスというか、逍遙学派を中心とする伝統的な場所の考え方もさらって おきたいところです。「インペトゥス理論再訪」でも登場願ったピエー ル・デュエムは、『世界の体系』に(第七巻)そのあたりのことを簡潔に まとめていますので、それを数回にわけて紹介していきましょう。まずは 逍遙学派系の全般的なスタンスについてです。デュエムによれば、場所に ついての逍遙学の基本原則は二つあって、一つは場所というのは物体を 「容れる」ものでなければならないということ、もう一つは物体の占める 場所は運動をともなわない、ひるがえって場所は運動の指標になるという ことです。 ですがそうなると、たとえば天球のうち最も外側にあるものは、それを 「容れる」ものがないのですから場所をもたないことになります。すると そこでは運動ももたらされないことになるのですが、中世においては昼夜 の移り変わりがその究極の天球そのものの動きと解されていたといいま す。結果的に上の原則と矛盾が生じてしまうわけですね。逍遙学派の自然 学はその矛盾を解消しなくてはならなくなります。デュエムが言うには、 西欧のスコラ学の場合、タンピエの禁令が出る1277年を境に対応が異 なってきます。それ以前は部分修正が主だったのに対し、1277年以後は より抜本的な反アリストテレス的理論が登場することになるのですね(イ ンペトゥス理論なども、そういう文脈から出てくることになるのでしょ う)。確かにトマスのアリストテレスへの対応は、一般論ですが「部分修 正的」な側面が強い気がします。ちなみに『ボエティウス「三位一体論」 注解』は、1255年から59年ごろに書かれたもの、という説が大勢とされ ています(『神秘と学知』)。 1277年以前・以後の場所論の考え方にどんなものがあったのか、とても 気になるところですが、それらも追々見ていくことにしましょう。本文 も、次回は異論に対する反対異論の部分を読んでいきます。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は07月04日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------