〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.161 2009/12/05 ------文献探索シリーズ------------------------ インペトゥス理論再訪(その15) マイヤー本で紹介されている主要な理論家としてはもう一人、インヘンの マルシリウスがいます。やはりビュリダンの弟子で、14世紀後半に活躍 した人物です。最初はパリ大学で教鞭を執り、後にハイデルベルク大学の 創設者となりました。ザクセンのアルベルトと同様、彼もまた『命題集』 ほかの注解書を残しており、概説書として盛んに読まれたといいます。 インペトゥス理論関連では、『アリストテレス「自然学」要約書』という 一種の注解書があり、パリ大学を去る1377年以前に執筆されたものと考 えられているようです。また、真正な著書かどうか今ひとつ不明とされ る、より長い自然学注解書が16世紀の写本として残っているといいま す。インペトゥス理論の話が出てくるのは、上の『要約書』八巻の第四問 題です。例によって投擲の問題が扱われ、異論を排した後、投擲物が運動 し続けるのは、投擲手によって投擲物に刻印されたインペトゥスによるも のである、と結論づけています。 その後に想定反論が挙げられており、マルシリウスはそれに対する返答の 中で、インペトゥスの具体的な面について論じています。全体としては ビュリダンの説に近い感じがしますが、マイヤーも指摘するように、いく つか際立った記述が見られます。まず、インペトゥスとは動体が産出され た後から獲得される第一種の性質(ハビトゥス)である、と明示されてい るのが特筆すべき点でしょう。また、それは恒常的に存続する性質ではあ るけれども、実際には漸減すると述べていて、「光が光源から離れると弱 まるように」という譬えを持ち出しています。これも他には見られない譬 えです。 マルシリウスはさらに、インペトゥスの区分という問題も提起していま す。重量のある物体が上方に動く場合のインペトゥス(重量によって減衰 する)と、下方に動く場合のインペトゥス(重量により保持され、産出さ れる)とを分けて考えています。言い方を変えると、自然な運動のインペ トゥスとそれに逆らう運動のインペトゥスを、保持・残存の観点から分け ているのですね。前者は残存され、後者は減衰するわけです。後者はま た、直線運動、円環運動でも種類が異なるとされます。これら自然でない 運動のインペトゥスの違いをもたらすのは、刻印の仕方の差だとされてい ます。投擲ならば、投げる方向で投げ手の投げ方が違うのは当然で、それ が異なるインペトゥスをもたらすというのです。 インペトゥスのこうした区分は実在的な区分です。このあたりがマルシリ ウスの新しい議論の真骨頂という感じもしますが、ある意味これは恒常性 と漸減性の矛盾を回避する方策という感じがしなくもありません。一方加 速度に関連してマルシリウスが提示している仮説は、あくまで可能性とし てという留保つきながら、かなり斬新なものになっている気がします。投 擲などで最初に著しい加速が生じるのはどうしてかという問題について、 マルシリウスは仮説の一つとして(ほかに二つほどありますが)、インペ トゥスが刻印されるとき、それは動因に触れている部分から動体全体に一 挙に拡がるのではないかと述べているのです。動体と動因の接触からイン ペトゥスは生じ、動体全体に拡散して大きな運動を起こさせるというので すね。ですがこうなると、インペトゥスは運動の成立自体に関与する、と ても重要なものということにもなります。 マルシリウスのこうした説明は、インペトゥスの下位区分と合わせて後世 に受け継がれていくようです。インペトゥスはもはや投擲運動の継続と いった限定的な説明にとどまらず、運動概念の枠組みの中で大きな場所を 占めることになっていくようです。前回のザクセンのアルベルトと並ん で、インヘンのマルシリウスは、インペトゥス概念の拡大に一役買ったと 言えそうです。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ドゥンス・スコトゥスの天使論を読む(その2) 今回も問七の冒頭部分の続きです。異論の提示が続いています。さっそく 見ていきましょう。 # # # Praeterea, omnis forma "seperata a materia" habet in se totam perfectionem speciei illius; igitur si ponatur aliqua talis forma in specie (ut forma huius angeli), et alia, - illa erit ista et ista erit illa, quia uterque angelus est forma separata a materia, et per consequens quilibet habet perfectionem totius speciei. Probatio antecedentis: quia quod forma non habet totam essentiam speciei, hoc est quia participat eam; non autem habet essentiam formae per participationem nisi quia est in materia; igitur etc. Praeterea, in entibus perfectis nihil est quod non intenditur a natura; sed pluralitas numeralis non per se intenditur a natura, quia differentia numeralis - quantum est ex se - potest intendi in infinitum: infinitas autem non intenditur per se ab alio agente, ergo non est differentia numeralis in entibus perfectis. Quae autem sunt in angelis, conveniunt eis tamquam perfectissimis entibus universi; ergo non est in eis differentia numeralis, sed tantum specifica in qua principaliter consistit pulchritudo universi. Confirmatur: intentio naturae stat per se in illis entibus quae pertinent ad ordinem universi, - huiusmodi vero sunt species et non individua; nihil autem est in angelis quod non pertinet ad ordinem et pulchritudinem universi; ergo nulla est in eis differentia numeralis. Praeterea, II De anima videtur Philosopus dicere quod multitudo individuorum non est nisi propter salvationem speciei; sed in incorruptibilibus salvatur sufficienter natura in uno individuo; igitur etc. Confirmatur etiam per eundem, I Caeli et mundi, quia in corporibus caelestibus non est nisi tantum unum individuum unius speciei, sicut unus sol et una luna; ergo etc. Contra: Damascius in Elementario suo, cap. 12. 加えて、「質料から分離した」あらゆる形相は、みずからのうちにその種 の全体的な完成を宿している。したがって、種のもとにあるかかる形相 (たとえばこれこれの天使の形相)と、もう一つの形相があると考えた場 合、前者は後者であり、後者は前者であるだろう。なぜなら、いずれの天 使も質料から分離した形相であるからだ。したがってどちらも種の全体的 な完成を宿している。 上の議論の論拠:形相には種としての全体的な本質があるのではないとさ れるのは、それが本質を分有するものだからである。しかるに、分有を通 じて形相的な本質を有するというのは、それが質料のもとにあるからにほ かならない。したがって……以下略。 加えて、完全な存在の場合、本性によって意図されないものは何もない。 しかるに数的な多様性は、本性によりそれ自体として意図されたものでは ない。というのも、数的な違いは(それ自体による限りにおいて)無限に 広がりうるが、しかるに無限はそれ自体として、他のはたらきかけによっ て意図されるのではないからだ。したがって、完全な存在には数的な違い はないことになる。天使のもとにあるものは、天使が宇宙で最も完全な存 在である限りにおいてそこに属する。よって天使には数的な違いはなく、 主として宇宙の美が宿る種的な違いがあるのみである。 確証:本性の意図はそれ自体として、宇宙の秩序に関わる存在のもとにと どまるが、そのような存在は種であって、個物ではない。しかるに天使に おいては、宇宙の秩序と美に関わらないものなどない。したがって天使に は数的な違いはまったくない。 加えて、『霊魂論』第二巻で哲学者は、個物の多様性はあくまで種を救う のためであると述べているように思われる。しかしながら不滅のものに あっては、単一の個体において本性は十分に救われる。したがって……以 下略。 このことはまた、『天空・世界論』第一巻でも確証される。なぜなら、天 体においては、太陽や月が一つしかないように、一つの種には一つの個物 があるだけである。したがって……以下略。 反論: ダマスキオス(ダマスクスのヨアンネス)の『教義提要』第一二章。 # # # 数的な(つまり個体の)多様性は質料のうちにあり、質料を伴わない存在 であれば本質そのものが完全な形で発現しているはずだという論点は、ト マスにも見られたものでした。かくしてトマスは「天使には種的な差異が あるのみである」と論じるのでした。スコトゥスはこれを批判対象の異論 として冒頭に掲げていることになります。スコトゥス本人がこのあとどう 反論するのかが注目点になりますね。 本文の最後のほうで言及される『霊魂論』第二巻の箇所は、仏訳本の注に よると四章(415a26〜415b7)となっています。そこには「動物は個 物としては神的なものに与れない、なぜなら可滅的なものは数的に一のま ま(個物のまま)では恒久的には存続できないからだ、存続できるのは数 的な一ではなく、像(種)的な一である」といったことが記されていま す。『天空・世界論』というのはアリストテレスの『天空論』で、参照箇 所は278a22〜278b9です。「天空が質料の部分ではなく全体によって 構成されていたら、それは多様なものだったろう」などと記されていま す。 同じ注によれば、ダマスクスのヨアンネスについては混同があり、実際に はこれは『キリストの二つの意志、二つの本性、一つの位格について』と いう小品からのものだといいます(第八節)。「創造主は最大限の多様性 を望んだのであり、天使だけでなくあらゆる種に複数の位格を創った、か くして天使は互いに限定なく本性を通じ合わせることができる」といった ことが記されているようです。 さて、ここでは何回かにわけて、仏訳の解説(ジェラール・ソンダグ)を も参照しながら、問一から問六がどんなものか一通り見ていきましょう。 全体は天使の個体化の問題に向けて、まずは事物の個体化を考えるという 流れでした。問一は「質料的実体はそれ自体で個物をなしているか」と問 うています。これが「しかり」なら議論はここで終わってしまうのです が、あいにくそうはなりません。ここで言う質料的実体とは、ひわば非限 定の(「これ」「あれ」と限定されていない)実体のことで、スコトゥス はそうした質料的実体はそれ自体では個物をなしていないと論じていきま す。 スコトゥスの考えでは、非限定のモノ(それはそのモノの本性だとも言わ れます)は個物でもなければ普遍でもなく、個物や普遍に先立つものとさ れています。ここでアヴィセンナの『形而上学』から、「馬性はあくまで 馬性としてあり、一でも多でもなく、普遍でも個物でもない」という有名 な一節が引かれます。普遍というのは、非限定のモノを知性が対象として 把握することによって生ずるモード(様態)なのだといいます。知性が非 限定のモノを対象に据えることで、その対象には「一性」が付与されま す。 たとえば人が石について考えるとき、その概念的な石は「一つ」であると 見なせます。つまり、すでにしてそれは質料的実体ではなく、その実体を 対象化した概念であり、一つの石、限定された石になっているのですね。 ですが、それはあくまで石一般であり、まだこの石、あの石というもので はありません。石一般は個物をなしてはいないのです。個物は「これ」 「あれ」と数的に区分できるもののことをいいます。その意味で個物の一 性は、石一般の一性よりも限定の度合いが強いことになります。これがス コトゥスの言う「強い一性」「弱い一性」ですね。 普遍は非限定のモノを対象化することによって成立する概念です。では個 物はどうでしょうか。個物を限定する個体化の原理も、上の普遍と同様、 質料的実体の外に求めなくてはならないことになります。それが何なのか をめぐり、こうして問二以降の検証が始まっていきます。そのあたりはま た次回に。本文も異論の提示を終えて、次回は「他者の説」へと進んでい きます。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は12月19日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------