〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.176 2010/07/17 *お知らせ 本メルマガをご愛顧いただき、ありがとうございます。本メルマガは隔週 での発行ですが、例年7月後半から8月下旬まで夏休みとさせていただい ております。そんなわけで今年も本号が夏休み前最後の発行となり、次号 は8月28日を予定しています。一ヶ月以上間が空いてしまいますが、ご理 解のほど、よろしくお願いいたします。 ------文献探索シリーズ------------------------ 胚をめぐる冒険(その14) 引き続きエギディウス・ロマヌスの『子宮内の人体形成について』につい てまとめていきましょう。男性・女性双方が放出するとされる種子の話に 続いて、九章と一〇章では、種子(とくに男性側の)とともに放出される とされる「精気」(spiritus)について検討されています。 「精気」とは何かについてエギディウスは、「なんらかの繊細な物体であ り、心臓で生み出され血管を通じて全身に行き渡り活力をもたらす」とい うコスタ・ベルーチェなる人物の定義を取り上げています。これは器官の 中に生じたものという意味で「器官的精気」と言われます。ところが動物 の生殖においてはもう一つ、それとは別の精気がなくてはならないとされ ます。種子とともに放出される精気がそれで、特定の器官に依存しないこ とから「非器官的精気」と称せられています。器官的精気は心臓で作られ るのに対し(経血がその質料だと言われます)、非器官的精気は胚に心臓 が作られる以前から存在しなくてはなりません(心臓は最初に形成される 器官だと言われます)。 ではそれはどこから来るかというと、種子とともに放出されるのですか ら、父親の心臓、そして父親の魂に由来するのではなくてはならないと考 えられています。「もし私たちが、そうした精気をいずれかの器官に帰着 させるのであれば、力を及ぼす父親の心臓と魂に帰着させるのであって、 子の心臓や魂にではない」(九章、115〜117行)。父から子へと精気が 渡されるというのはいかにもキリスト教的な枠組みという感じもします が、いずれにせよ、そうして渡った精気は諸器官の形成に携わります。一 方後から生じる器官的精気は、そうした諸器官の作用を司ります。という わけで、両者は決定的に性質が異なっています。 では、非器官的精気はどのように諸器官の形成に関わるのでしょうか。こ こからは一〇章の内容となりますが、その精気が及ぼすのは「形相付与 力」(virtus informativa)であると語られています。エギディウスによ れば、アヴェロエスはその作用を「知性が及ぼす作用に類似したもの」と 考えているといいます。作用するにあたって身体を介在させず、器官から 分離している点が、通常の自然な形成力(virtus formativa)とは異なる というのですね。 エギディウスはアヴェロエスのコメントを受ける形で、この精気が及ぼす 作用が神的なものに比されることを様々な面から検討していますが、特に 重要なのは、この精気が器官から分離して作用する点です。そもそも当時 は、存在するもの(ens)は物体的なものと(質料から)分離した実体に 分かれるとされ、この後者は神と物体との中間に位置するとされていまし た(一〇章、180〜185行)。親から子へと渡される精気は、まさにその ようなものなのだと言われます。 さらにそれは、知性にもなぞらえられます。エギディウスの説明によれ ば、「ちょうど知性が天球を介して下位の形相を生じせしめるように、父 親の魂は種子を介して、形相を受け取るべく経血を配備する」といいます (286〜288行)。当時は、天球を動かすものは知性(的存在)であると されていたわけですね。「天体における魂は本質によって結びついている のはなく(中略)、作用において一つであるというふうに力能において (in virtutem)結びついている。なぜなら天体は知性にとっての器官だ からであり、したがって天体の任意の動きは知性への帰属させられなくて はならない。同様に、父親の魂は、力能において種子に結びついていると 言われる。なぜなら種子は父親の魂の力能でもって作用し、父親の魂の器 官をなしているからだ」(293〜299行)。またこの直前の行では、形相 付与力は種子の中の熱によって作用するとアヴェロエスが述べていること が示されています。 エギディウスにとっての種子の精気とは、自然的というよりは神的な、遠 隔的に作用する魂の力能であるとされ、しかもそれは父と子の継承関係に よって決定づけられているものなのですね。父子関係の秩序はキリスト教 においては格段に重要ですが、ここでは異教的なコスモロジーをも取り込 んで、神的な関係にまで拡大されています。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ドゥンス・スコトゥスの自由意志論を読む(その3) 前回に続き、第56節の残り部分です。「秩序の考え方からすると、偶有 があるとするならそれはもとの第一原因に起因しなくてはならず、しかも 必然でないものは意志によって生じるとされているので、偶有は第一原因 の意志に起因することになる」というのがスコトゥスの推論でした。スコ トゥスがみずから挙げた、これに対する反論は、末端こそが偶有の原因で あり(第一の反論)、それはアリストテレスも認める通りで(第二の反 論)、事実、原因を阻害する対立物が末端に生じることもあるではないか (第三の反論)、というものでした。スコトゥスはそれらに再反論を加え ていくわけです。では、さっそく残り部分を見ていきましょう。 # # # Ad secundum : Non dico hic contingens quodcumque non est necessarium nec sempiternum, sed cuius oppositum posset fieri quando istud fit. Ideo dixi : "Aliquid contingenter causatur", non : "Aliquid est contingens." Modo dico quod Philosophus non potuit consequentiam negare salvando antecedens per motum; quia si ille motus necessario est a causa sua, quaelibet pars eius necessario causatur quando causatur, hoc est, inevitabiliter, ita quod oppositum tunc non posset causari. Et ulterius : Quod causatur per quamcumque partem motus, necessario tunc causatur, id est, inevitabiliter. Vel igitur nihil fit contingenter, id est, evitabiliter, vel primum sic causat, etiam immediate, quod posset non causare. Ad tertium : Si alia causa potest impedire istam, nunc potest virtute superioris causae impedire, et sic usque ad primam; quae si immediatam causam sibi necessario movet, in toto ordine usque ad istam impedimentem erit necessitas; igitur necessario impediet; igitur tunc non posset alia causare contingenter causatum. 第二の反論にはこう述べよう。私はなにもここで、偶有とは必然でも永続 でもないいっさいのものと述べているのではない。そうではなく、かかる 何かが生じるときにその対立物となりうるもの、と述べているのである。 ゆえに私は「偶発的に生じるものもある」と言い、「偶有なるものもあ る」とは言わなかったのだ。私はただ、たとえ哲学者が先行原因を運動で もって救っても、そこから生じる結論を否定することはできなかったと言 うのみである。なぜなら、もしかかる運動がすべて必然的におのれの原因 から生じているのだとするなら、そのいかなる部分も、生じる場合には必 然によって、すなわち不可避的に生じていることになり、対立物は生じえ ないということになるからだ。さらに、運動の任意の一部分から生じるも のは、必然によって生じることになり、不可避的ということになる。する となんら偶発的、つまり回避可能なものはなくなってしまうか、あるいは また第一原因から、これまた直接に、生じないこともありうるものが生じ ることになってしまう。 第三の反論にはこう述べよう。なんらかの原因が妨げうるなら、それは上 位の原因の力でもって妨げうるのであり、それは第一原因にまで至る。こ こでそれが中間的な原因を必然によって動かすのだとすると、その妨げの 原因にいたるまで秩序全体が必然ということになる。したがって必然ゆえ に妨げることになり、他のなんらかの原因が結果を偶発的に生じせしめる ことはできなくなる。 # # # ここでのスコトゥスの反論は一貫して異論の論理的な矛盾を指摘するにと どまっていますが、とはいえ前回も少し触れたように、偶有を意志による 所作と見なすというその立場は、神学的な主意主義に裏打ちされているの でした。このあたりを俯瞰するために、少々古いですが、フランスの中世 思想史家エティエンヌ・ジルソンによるスコトゥス論『ヨハネス・ドゥン ス・スコトゥス - その基本的立場への序論』(1951)から、意志と知性 に関する議論の流れをごく大雑把に振り返っておきます(ちょっと脱線め いてしまいますが)。 まず、ギリシア=アラブの長い伝統においては、神が形作る世界を支配す る原理というのは必然性でした。形而上学的に、偶有を正当化できるもの はないというのが一般的な立場だったといいます。ですがそうした必然の タガは時代が下るごとに緩んでいくかのようです(とりわけキリスト教が 転機をもたらしたとされています)。第一原理には知性と意志とがなくて はならないとされるのですが(そうしないと、目的論的な議論が成り立た ないからです)、それでもなお、意志は知性に従属し必然の枷をはめられ ていたのでした。とはいえ、一方では現実として偶有が存在することは認 められるわけで、するといかにして必然から偶有が生じるのかが問題に なってきます。 偶有が存在するには必然ではないもの、つまり「可能なもの」「可能態」 がなくてはなりません。そもそも可能態を生じせしめるのは神の知性とさ れます。ということは、神(第一原理)の知性こそが可能態の原因だとい うことになります。一方で、可能態とは何かということを考えると、それ は不可能性と必然との二つに対立する概念であると規定できます。キメラ がありえないのは不可能性(この場合は部分同士の矛盾)ゆえですし、可 能態がときに可能性にとどまり存在が与えられないこともあるのは必然で はないからです。逆に言えば、可能態には「本質としての可能態」と「存 在における可能態」の二つの相があると考えることができます。 すると、「本質としての可能態」は知性が自由に思い描き、「存在におけ る可能態」は必然によって支配されるという折衷案めいたものを唱える 人々が出てきます。その一人にアヴィセンナがいました。アヴィセンナ は、神の創造の自由性(つまり本質としての可能態を神が創る自由)を認 めつつ、その可能態を望む意志(現勢化を与える意志)は必然によって縛 られていると考えたようです。この立場は一見、可能と必然をめぐるとて も見事な妥協案のように見えます。でも考えてみると、これでは意志が必 然の制限付きになってしまい、自由がない扱いになってしまいますし、必 然の縛りがある以上、やはり世界に偶有は存在しえないというところに再 び帰着してしまいます。 スコトゥスが挑むのはまさにそうした立場に対してです。「存在における 可能態」が必然として縛られるのであってはならない、とスコトゥスは考 えます。アヴィセンナの観点では、まず神の知性の中に生じた可能態がそ の知性を決定づけ、次いでその知性が意志を決定づける形になります。ス コトゥスはこれに対して、神の意志のうちに可能態を決定づける作用を 見、意志こそが知性の側を決定づけるという考え方を提示します。アヴィ センナにおいては可能態はすべからく現勢化するよう必然によって決定づ けられているのですが、スコトゥスはむしろ意志こそが(自由に)知性の 中に可能態を生み、知性の側へ提示するのだと考えているようです。これ はまさに一大転換で、意志や知性の作用そのものも組み替えられますし、 偶有の位置づけも変わってきます。 このようなもの凄い思想的転換が、スコトゥスの表面的には穏やかなテキ ストの中に詰まっているのだとジルソンは論じているのですね。うーん、 そのような部分は、私たちのようなたどたどしい読みでは、テキストその ものからなかなか浮かび上がってこない感じもするのですが……(苦 笑)。ともあれ、ジルソンの論考はある種究極の「読み」を示している感 じもします。私たちはそのあたりも地道に確認しながら、また、繰り返し になりますがフランシスコ会系全般の思想の流れにも目配せしながら、ス コトゥスのテキストを見ていかなくてはなりません……。 *本マガジンは隔週の発行ですが、夏休みを挟むため、次号は08月28日 の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------