〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.177 2010/08/28 酷暑が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。このメルマガも夏休 みで一ヶ月以上間が空いてしまいましたが、またぼちぼちと再開いたしま す。お付き合いのほど、お願いいたします。 ------文献探索シリーズ------------------------ 胚をめぐる冒険(その15) エギディウス・ロマヌスの『子宮内の人体形成について』を引き続き見て いきましょう。前回取り上げた箇所では「精気」の問題に触れ、父親に由 来する非器官的精気の働き方が、天球を動かす知性になぞらえられたりし ていました。精気は「神的に」作用する、魂の力能だというふうにも記さ れていました。とはいえ、精気の由来や作用は、たとえ「神的」と称され てはいても、ひたすら自然学的な文脈の中で説明されています。その意味 では実に「唯物論的」で、ある種ストア派的な印象すら与えます。 同一の質料からいかに多様性が生じるかを論じた一一章でも、父親の種子 が宿す生成力こそが、多様な器官が形成される直接の原因であるとされて います。そしてその生成力の働きは、魂の力能(virtus)において作用す ると記されます。「魂は器官的身体の現実態であり、多様な肢体を必要と する。ゆえに生成力はそのように、胚の同一の質料から様々な部位を作る のである」。そしてまた、その生成力を担うのが精気だといい、それは次 のように説明されています。「空気的で繊細な物質のようなものであり、 そこにこそ、あたうかぎりの生成力がある。ゆえに、精気にはそうした原 理があると考えられる。その意味で精気とは魂の器官なのだと言うことが できる」。 続く一二章は胎内では女性のほうが発育が遅いという話、一三章では胚を 包む三重の膜の話、一四章では胚においてまずは重要な器官から形成され る話、一五章では形成・発育の時期が取り上げられていきます。煩雑にな るので、ここではこれらの章の中身は割愛します。 一六章は出産時期について取り上げています。前に見た『サレルノ問答 集』では、一般的な胚胎期間を七ヶ月としていましたが、ここでは観察に 基づき九ヶ月と修正しています。七ヶ月では未成熟のまま生まれる、と明 快に述べています。また、『サレルノ問答集』では占星術的な星辰の影響 が引き合いに出され、七ヶ月目の月の影響が出産には都合がよいとされて いました。『人体形成について』でも、星辰の影響そのものは踏襲されて いますが、母親の状態がよければ八ヶ月以降での出産で星辰的な影響を克 服でき、なんら問題はない、といった現実的な指摘がなされています。星 辰の影響を一概には絶対視できない、というわけです。 一七章は双子の問題(これも割愛)、一八章は男女の性別の決定について です。『サレルノ問答集』では、母胎内での種子の着床位置が性別決定の 大きな理由として挙げられていました。ここでもそれは一つの説明として 紹介されてはいますが、説明は全体としてより精緻化し、男性側の種子の クオリティ、その量、若さ、精巣の力なども挙げられ、さらには母親の経 血の状態、栄養分の状態、空気その他の周辺環境(母体に影響する)など も挙げられています。そうした列挙の末尾では、またも天球の影響に触れ ています。占星術的な見解が取り込まれているわけですが、とはいえそれ は多少とも限定的です。「天の宮(signa)は私たちの魂や自由意志に対 しては直接的な因果関係をもたないが、私たちの身体に対してはもってい る」とされています。性別の決定に関しては、宮が影響することで男性・ 女性のいずれかに向かう傾向が男女の身体に作られる、とされています。 いずれにしても、性別の決定をたとえば温・寒などの原因に還元すること はできないとし、ときには個別の形相や種の全体などを参照することも必 要だと説いているのが印象的です。一つの原因に安易に限定せず、他の原 因も考えてみなくてはならない、というわけですね。こうした複眼的な認 識が、この『人体形成について』の大きな特徴をなしているように思えま す。 一九章はなぜ胎児は父親・母親のどちらかに似るのか(全体的・局部的 に)という問題を扱っていますが、ここでもまた、観察にもとづき、ガレ ノスの説(種子の優位性)や母胎内の湿気に還元する説を否定し、より精 細な、種子と経血との複合的な緊張関係をその原因として挙げています。 このように、エギディウスのこの書は、総じて自然観察的な方向性を強く 打ち出しています。たとえまだまだ未成熟なものであろうと、文献的・伝 統的権威に対しても、どこか批判的な眼を養いつつあるように見えます。 このあたりが、一三世紀後半以降のとりわけ興味深い流れですね。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ドゥンス・スコトゥスの自由意志論を読む(その4) 『第一原理論』の第四章を読んでいますが、今回はその57節と58節の冒 頭部分になります。さっそく見ていきましょう。 # # # [57] Quarto probatur conclusio: Aliquod malum est in entibus; igitur primum contingenter causat; et tunc ut prius. Probatio consequentiae: Agens ex necessitate naturae agit secundum ultimum potentiae, et ita ad omnem perfectionem possibilem produci ab ipso; igitur si primum agit necessario et per consequens omne aliud agens - ut iam deductum est -, sequitur quod totus ordo causarum causabit in isto quidquid est eis possibile causare in isto; igitur nulla perfectione caret, quae potest ab omnibus causis agentibus induci in ipso; igitur nulla caret, quam potest recipere; igitur non est in ipso aliqua malitia. Consequentiae sunt planae: quia omnis perfectio receptibilis in isto est causabilis ab aliquo vel ab omnibus causis ordinatis. Ultima patet ex ratione mali, et concludit probatio ita de vitio in moribus sicut de peccato in anima. Dices: "Materia non oboedit". Nihil est; agens potens vinceret inoboedientiam. Haec conclusio quinto probatur, quia omni non vivo vivum est melius, et inter viva omni non intelligente intellectivum est melius. [57] 結論の四つめの論証は次のようになされる。存在にはなにがしかの 悪がある。よって第一のものは偶有的に生じせしめるのであり、ゆえに先 のように結論づけられる。帰結については次のように論証される。自然の 必然によって働きかけるものは、潜在性のあたうかぎりにおいて働きかけ るのであり、またそこから生じうるあらゆる可能な完全性へと向けて働き かけるのである。したがって第一のものが必然でもって働きかけるのだと するなら、結果的に他のすべての働きかけるものもそうだということにな り(すでに推論した通り)、結果的に原因の秩序の全体は、この世界にお いて生じせしめることのできるものをすべて生じせしめることになる。す ると、完全性を欠くことはまったくないことになり、完全性は、働きかけ るすべての原因からその中へと導かれることになる。こうして、受け入れ うるものになんら欠損はないことになる。よって、そこになんらの悪が存 在することもないのである。その帰結は明白だ。受け入れ可能な完全性は すべて、秩序内の原因のいずれか、もしくはすべてによって生じうるから である。最後の帰結は悪についての考察から明らかであり、素行における 悪徳についての論証は、魂における罪についてと同様の帰結となる。 あなたは「質料は不服従なのだ」と言うだろう。だがそれは無意味だ。働 きかけるものに力があれば、不服従を乗り越えられるからである。 この結論は五つめの論証もありうる。なぜなら、生物はあらゆる無生物よ りも優れており、生物のうち知性をもつものは、知性をもたないすべての ものよりも優れているからである。 [58] Hanc conclusionem probant aliqui sexta via ex tertia praeostensa: quia intelligere, velle, sapientia, amor sunt perfectiones simpliciter, quod supponunt quasi manifestum. Sed non videtur unde istae magis possunt concludi esse perfectiones simpliciter quam natura primi angeli. Si enim accipias sapientiam denominative, est melior omni denomonativo incompossibili, et non probasti quod primum est sapiens. Dico quod petis. Tantum potes habere quod sapiens est melior non sapiente, excluso primo. Isto modo primus angelus est melior omni ente denominative sumpto imcompossibili sibi praeter Deum; immo essentia primi angeli in abstracto potest esse melior simpliciter sapientia. [58] ある人々らはこの結論を、先に示した三つめの結論から派生した六 つめの方法で論証する。すなわち、知性、意志、賢慮、愛は端的な意味で 完全性をなすことから、彼らはそのことをほぼ明白であると考えるのであ る。 しかしながら、それらが第一の天使の本性よりも端的な意味で完全である と結論づける根拠は考察されていない。というのも、もしあなたが「賢 慮」を名辞的に取るなら、同時に存在しえないすべての名辞に対して優れ ていることにはなるが、第一者が賢慮であるということをあなたが論証し たことにはならないからだ。あなたが述べうるのはただ、第一のものを除 き、賢慮をもつものはもたないものよりも優れているということだけであ る。同様に第一の天使も、神を除き、同時には存在しえない名辞的に捉え たすべての存在よりも優れているとは言える。だが逆に、第一の天使の本 質を抽象的な意味に取るなら、それは賢慮よりも端的に優れている可能性 もある。 # # # 復習になりますが、スコトゥスがここで論じているのは、[55]において示 された「第一の作用者は知性と意志をもっている」という第四の結論の論 証です。これについて、すでに三種類の論証が出され、それぞれに反論と 再反駁などが示されてきたのでした。今回はさらにこれに四つめから六つ めまでの論証が加わります。 四つめの論証としては悪の問題が出されています。前の三つめの論証と同 じ論法で、すべてが必然から成る秩序であるならば、欠損としての悪は存 在しえない、よってひるがえって秩序は必然からのみ成るのではないとい うわけです。スコラの伝統に従って悪は欠損と考えられているわけです が、ここで興味深いのは、スコトゥスの場合、トマスに見られたような 「欠損の原因はすべからく質料にある」という考え方ではないことがはっ きり現れている点です。形相の側に完全性を保持する力があれば、質料の 「揺らぎ」は克服されるはずだ、というのです。そうなっていないという ことは、形相の側に、揺らぎの原因があるということになるわけですね。 五つめの論証というのは、「生命・知性をもっているものが、もっていな いものの優位に立つ」を大前提とし、「第一者はあらゆるものの優位に立 つ」を小前提として、よって「第一者が知性をもっている」という結論を 導くという三段論法でしょう。 六つめとして挙げられているのは、「第三の結論」から派生したものとさ れています。その第三の結論というのは、[53]節に出てくる「端的な意味 での完全性はすべて頂点をなし、必然的に自然の頂点に内在する」という ものです。この六つめの論証では、知性、意志、賢慮、愛などの「属性」 が、それ自体の意味(端的な意味=名辞的な意味)に解される場合、つま りプラトン主義的なイデアとしての「知性」、「意志」、「賢慮」、 「愛」などを指す場合、そうしたイデアは完全性をもっている(プラトン 主義的な伝統上)わけですから、自然の頂点、つまり第一者に内在すると いうことになる、ということになりそうです。ですがこれに対してスコ トゥスは留保を示しています。それらの属性がイデア的な完全性として理 解される場合、それは単に事物の属性である場合よりも優位に置かれると いうだけで、完全性が証されるわけではない、というのですね。うーん、 この節はまだ途中ですので、次回に改めて見ていくことにします。 休み明けでもあるので、今回はちょっとテキストに沿ったコメントだけで したが、次回からはまた参考文献なども併せて見ていくことにしたいと思 います。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は09月11日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------