〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.178 2010/09/11 ------文献探索シリーズ------------------------ 胚をめぐる冒険(その16) エギディウス・ロマヌスの『子宮内の人体形成について』は全部で二五の 章から成り立っています。二〇章から二四章までは、それまでの本文で論 じた内容への異論に対する想定問答になっています。異論は同書全般の各 議論に及んでいて、さながら想定問答を通じて、それまで同書が述べてき たことをサマライズもしくは復習するといった趣きです。 とくに多くのページが割かれているのは、同書の最初のほうで扱われてい た、胚の形成における女性の役割についてです。女性の側も種子を放出す るという説や、その種子は補佐的な役割を担うにとどまるという説、ある いは経血が質料の根本をなし、そこから多様な器官が作られるといった話 ですね。アリストテレス的な説明からすると多少とも逸脱する考え方です が、エギディウスによるそれら自説の擁護はやや執拗なまでに(?)繰り 返されます。この執拗さはもしかすると、当時隆盛だった対立的な考え方 を逆によく反映しているのかもしれません。 そう考えると、それぞれの議論はまた違ったふうに見えてきます。たとえ ば精気を扱った議論についても、器官的なものと非器官的なものとの二種 類を想定することへの異論が示され、エギディウスが再反論しているので すが、そのあたりも力説ぶりなどにも、一般的とは言えない議論を相手に ねじ込んでいくときのような激しさが感じられる気がします。さしあたり ここでは余裕がありませんが、いつかそうした論点ごとに、異論とエギ ディウスの反駁とを当時の実際の状況に照らしてきちんと対比させるなど して、もっと詳細に検証してみたい誘惑にも駆られます(笑)。 以上、エギディウスの書物をざっと眺めてみました。ちなみに、最後の二 五章では、人体形成の不可思議さに触れて、その神の所業を讃えるという 形で結んでいます。全体として、先行する『サレルノ問答集』との違いな ども見られ、実に興味深い一冊だと言えます。ただ、あえて言うならエギ ディウスはあくまで神学者で、医学プロパーではありません。その意味で は、もっと同時代の医学プロパー寄りの書も取り上げてみたいところで す。 そんなわけで、ここでは次に、エギディウスとほぼ同時代のアーバノのピ エトロ(ペトルス・アポネンシス)を見てみたいと思います。サレルノに 代わって医学が盛んになるパドヴァで活躍した医者・占星術師で、後には 異端の嫌疑により収監されるなど、これまた波乱の人生を歩んだ人物で す。主著として『哲学者と医者の間をうがつ違いの調停の書』 (Conciliator Differentiarum, quae inter Philosophos et Medicos Versantur)があります(以下『調停の書』とします)。ギリシア哲学と アラビア医学の調停のために書かれたものということですが、これは後の 16世紀ごろまで一種の権威の書として読まれていたようです。 『調停の書』はかなりの大著なので、たやすく全体に目を通すことはでき ませんが、ここでは胚の問題に限定しての拾い読みを試みたいと思いま す。校注本はまだ出ていないようなので、さしあたり1565年にヴェネ ツィアで刊行された印刷本のリプリント版(Editrice Antenore)を底本 としたいと思います。次回からこれを読みかじっていくことにします。お 楽しみに。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ドゥンス・スコトゥスの自由意志論を読む(その5) 前回の最後のところでスコトゥスは、「第一の作用者は知性と意志をも つ」という第四の結論の六つめの論証として、「属性を名辞的な意味で捉 えるならば、それらは完全性をもち、結果的に第一者に内在する」という 議論を挙げていました。ですが同時に、そこには留保が付けられていまし た。たとえば「賢慮(賢さ)」をもつものは、もたないものに対してのみ 優れるのであって、その名辞的属性が完全性をもっているとは言えない、 とスコトゥスは議論していました。今回の箇所はその続きになります。で はさっそく見ていきましょう。 # # # Respondeo quod nec sapientia est melius cuilibet denominative; repugnant multis. Dices : "Immo esset cuilibet, si posset inesse, quia cani esset melius, si canis esset sapiens". Respondeo : Ita de primo angelo, si posset esse canis, esset melior, et cani esset melius, si posset esse primus angelus. Dices : "Immo illud destrueret naturam canis; igitur non est bonum cani". Respondeo : Ita 'sapiens' destruit eius naturam. Non est differentia nisi quod angelus destruit ut natura eiusdem generis, 'sapiens' ut alterius, incompossibilis tamen, quia determinans sibi pro subiecto naturam eiusdem generis incompossibilem; et cui repugnat primo subiectum, eidem per se, licet non primo, passio subiecti repugnat. - Vulgaris sermo de perfectione simpliciter saepe vacillat. 私はこう答えよう。賢慮は任意のものにおいて名辞的に優れるわけではな い。それは多くのものを排する。 あなたは言うだろう。「(賢慮が)内在するのであれば、任意のものは優 れたものとなる。なぜなら、犬に賢慮があるならば、犬はより優れたもの となるだろうから」。私はこう答えよう。第一の天使についても、もしそ れが犬でありえ、それで優れたものとなるのであれば、同様のことが言え るだろう。また、もし犬が第一の天使でありうるならば、犬は優れたもの となるだろう。 するとあなたは言うだろう。「けれども、それでは犬の本性を損なうだろ う。したがってそれは犬にとって善ではない」。私はこう答えよう。「賢 慮」であってもその本性を損なう。ただ、違いがあるとすれば、天使の場 合には同じ類の本性として損なうのに対して、「賢慮」の場合には他の、 ただし共存不可能な本性として損なうということである。なぜなら「賢 慮」は、主体に対して、同じ類の共存不可能な本性をみずから決定してい るからである。主体が最初に排するものは、同様に主体の属性も、最初に ではないがおのずと排する。このように、完全にまつわる世俗の言説はと きに曖昧なのである。 Item : Intellectuale videtur dicere gradum supremum determinati generis ut substantiae. Unde igitur concludetur quod est perfectio simpliciter ? De passionibus entis in communi secus est, quia consequuntur omne ens, vel passio communis, vel alterum disiunctorum. Si protervus diceret quod omne denominativum primum cuiuslibet generis generalissimi est perfectio simpliciter, unde improbares ? Diceret enim quodlibet tale esse melius quocumque incompossibili sibi, si intelligitur denominative, quia incompossibilia sibi non sunt nisi denominativa sui generis, quae omnia illud excellit. Si intelligatur de substantiis denominatis, inquantum denominata, similiter diceretur : Quia si substantia determinatur, istud determinat sibi nobilissimum; si non, saltem subiectum quodlibet, inquantum denominatur isto, est melius quolibet, inquantum denominatur alio sibi incompossibili. 同様に「知性」とは、「実体」のような限定された類の最上位を意味する と考えられる。では、それが端的に完全であると結論づけられるのはなぜ だろうか?存在するものに共通の属性はそうはならない。というのも、存 在するものはすべて、共通の属性か、他の分離した属性を伴うからだ。も し恥知らずの相手が、「最も一般的な類の第一の名辞はすべて端的に完全 である」と言ったとしたら、あなたはどのように反論するだろう?その者 は、そのような存在はいずれも、それが名辞的に理解されるならば、それ と共存不可能なものよりも優れていると言うだろう。なぜなら共存不可能 なものはみずからの類において名辞的であるにすぎず、第一の名辞はそれ らすべてを凌駕しているからである。名辞的な実体について、あくまで名 辞的に理解する場合、同じようにこう述べられるだろう。実体が限定され ているなら、限定するものはそれよりも高貴であるし、もしそうでないと しても、少なくともそれによって限定される任意の主体は、共存不可能な 別のものによって限定される任意のものよりも優れているからだ、と。 # # # 今回の箇所ではまず、「賢慮」が属性として付与されれば、付与された主 体はより優れるという話について、「賢慮」の代わりに「第一の天使」で あっても同じだとしています。よって賢慮が最上位だということにはなら ないというのでしょう。また、犬が第一天使なら、もはや犬ではなくなっ てしまうのと同様に、賢慮という属性をもっても犬ではなくなってしま う、としています。違いとして「第一の天使」が「犬」と相容れないのは 類が異なるからだが、「賢慮」が「犬」と相容れないのは、そもそも「賢 慮」そのものが、類における性質を決定(限定)しているからだとしてい ます。その意味で「賢慮」は多くの主体を排除し、結果的に端的な完全性 を意味するのではないというわけですね。「知性」についても同様の仕方 で反論できることが示唆されています。 スコトゥスのこうした留保には、自身が考えていたらしい意味論的な考え 方が反映しているようです。スコトゥス思想の基本テーマの解説論集とし て「ケンブリッジ・コンパニオン」シリーズの「スコトゥス」本("The Cambridge Companion to Duns Scotus", ed. Thomas Williams, Cambridge Univ. Press, 2003)がありますが、その中の一つに、ドミ ニク・ペルラーという論者の「ドゥンス・スコトゥスの言語哲学」という 論考があります。 それによると、『解釈について』などの著書に散見されるスコトゥスの意 味論では、そもそも語が示すのは外部世界の直接の事物ではなく、内的な 知的スペキエスで、とくにそのスペキエスの表象的側面というのは、事物 の「本性」だとされているようです。その場合の「本性」は、外部世界の 事物に埋め込まれている本性であると同時に、認識する者の心的なスペキ エスに表される本性でもある、というのですね。これは難しいところです が、同じ一つの本性が、ここでは外部世界と内部世界との二様の存在様式 をもっているということで、二つの本性があるわけではないのですね。 スコトゥスは抽象的な名辞にもその考え方を適用します。たとえば「白 さ」は「白い」という具体的な属性を抽象化した名辞と考えられますが、 スコトゥスにあっては、「白さ」とは白という質(の本性)を、個別の主 体への内在を考慮しないで表すもの、一方の「白い」は主体にその白とい う質が埋め込まれた場合の本性を表すもの、と考えているようなのです。 語が意味しているのはあくまで「本性」であり、抽象的な語と具体的な語 の違いは、どういう様態での本性を表しているかの違いに対応するすると いうわけです。 私たちが読んでいるテキストに当てはめるなら、名辞的に理解された「賢 慮(賢さ)」や「知性(知的であること)」はあくまで個物に内在しない 限りでの本性を表すのであって、それらが完全性と同一視される謂われは ないことになります(様態の違いでしかないわけですからね)。ドミニ ク・ペルラーも指摘するように、スコトゥスのこうした名辞の意味論は、 プラトン的なイデアの考え方とはかなりの隔たりがあると言えそうです。 史的にはこのスコトゥスの意味論(同一の本性が外部世界・内部世界の両 方に示されるというテーゼ)は、それを下支えする形而上学的基盤をオッ カムなどに攻撃されて、やがて事実上葬られることにもなるのでし た……。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は09月25日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------