〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.220 2012/07/07 ------文献探索シリーズ------------------------ タンピエとその周辺(その8) ピシェの研究書の一節をまとめています。相変わらずダキアのボエティウ スの話が続きます。ボエティウスの理想は、人間が哲学的・観想的な生を 送ることによって神的な領域にまで近づくというものでした。この人間観 は、実は新プラトン主義の見識に支えられています。そこでの哲学は、存 在論的な秩序を見出す発見的プロセスとして捉えられており、その究極の 目標となる「第一存在(または第一原理・第一原因)」は、あらゆる事物 が依存する原因(形相因、作用因)であるとともに、あらゆるものが向か うべき目的因でもあると言われます。 そんなわけなので、哲学的知性は、最下層(すなわち月下世界ですね)の 存在者について観想しながら上位の原因へと思索を深めていく、という道 筋を取ることになります。そうした動きを通じて、知性は観想の喜びを味 わい、やがて永続的・必然的な究極の第一原因の存在の観想にまで至る と、その第一原因への敬意と尊重の念(すなわち愛)で満たされることに なります。これがまさにボエティウスの考える、新プラトン主義的な哲学 的上昇にほかなりません。で、前回の繰り返しになりますが、哲学がこの ようにして独特の方法で第一原理と合一できるとする主張は、救いの方法 は宗教的な帰依にしかないとする教会側の教えに抵触することになってし まいます。というか、教会側はどうやら、哲学側の主張が「権力・権限」 の奪取であると見て警戒を強めていったようなのです。つまりは一種の政 治闘争と見なされてしまったのですね。 ボエティウスの著書(『最高善について』など)はこうして、当局側から のある種の意図的な拡大解釈のもとに、激しい攻撃を受けることになりま す。ですがピシェによると、ボエティウスの著書は実は氷山の一角のよう なもので、哲学に人間的完成の方途という大きな価値を見出す動きは、当 時の自由学芸部で広く共有されていたのではないかといいます。そのよう な形での哲学を擁護する文書は実はまだたくさんあって、ただ研究者らに よって見出されていないだけかもしれない、というのです。一例としてピ シェは、逸名著者による『魂の諸問題』(Questiones de anima、 1270〜75年ごろ)という一冊を挙げています。そこにはブラバンのシゲ ルスと同様に、知性の礼賛が書き連ねられているのだとか。 また、そうした哲学の礼賛には先駆的な文書もあるようです。ピシェはそ んな例として、プロヴァンスのアルヌールと、ランのオーブリーという二 人の名前を挙げています。アルヌールは1250年ごろにパリ大学の自由学 芸部で教えていた人物で、『学知の分割』(Divisio scientiarum)とい うタイトルの哲学の入門書を残しています。同書は初っ端から哲学を「知 的魂の現勢化(エンテレケイア)」「人間存在の本質」だとして賞揚して います。現世的な人間の知性は不完全な状態にあり(魂が肉体と結合して いることと、原罪とがその理由だといいます)、その本来の姿(完成形) を取り戻すための方途として哲学があるのだ、と……。まさしくダキアの ボエティウスを先取りする過激さが感じられますね。 ただ時のめぐりあわせのため、アルヌールは当局からの批判に直接晒され ることはありませんでした。1250年代には、まだ自由学芸部の物言いは 目新しい事象で、神学者の側もそれほど意に介してはいなかったようなの です。もう一人のオーブリーは少し後の世代で、そちらも『哲学』 (Philosophia)というタイトルの入門書を著しています(1265年ご ろ)。構成も内容もアルヌールの著書と似ているといいます。オーブリー もまた、ときおり急進的な哲学の擁護論を展開させているようで、哲学の 修得が人間を完成に導くとし、教会の教えとパラレルなものとして哲学を 特徴づけているようなのですが、やはりまだ神学者側からの疑義が高揚期 を迎えていなかったため、いわば難を逃れた恰好です。 このように、パリ大学の自由学芸部では、ひとしきり哲学の賞揚論が盛ん になっていったようです。ピシェによれば、1277年の禁令発布前にパリ 大学の関係者によって書かれていた様々な倫理学系の書(ニコマコス倫理 学の注釈書や、道徳の諸問題といった書)は、哲学的知性主義を旗印とし た生き方を賞揚するという点で、どれも一致しているといいます。トマス 主義に代表されるような、神学者らが説く「不完全なる至福」 (beatitudo imperfecta)に反する形で、彼らは一様に、地上世界での 幸福は哲学を通じて完全に実現できると考えていたようなのです。そして その背景の一つに、アラブ世界から大量に流入した諸文献があったことは 疑いようがありません。このあたりについても、再び振り返っていきたい と思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ オッカムの直観論(その19) 大詰めのオッカムの認識論です。ではさっそく続きの部分を見ていきま しょう。 # # # Ideo dico quod cognitio intuitiva est illa qua existente iudico rem esse quando est et non esse quando non est, modo supra dicto, et hoc sive causetur naturaliter sive supernaturaliter. Quia habita notitia intuitiva qualitercumque, statim possum formare hoc complexum "hoc res est" vel "non est", et virtute cognitionis intuitivae assentire complexo si res sit vel dissentire si non sit, sicut supra dictum est. Et sic nullo modo ponit intellectum in errore. よってこう言おう。上に述べたように、直観的認識とは、それをもとに、 事物が存在するときには存在すると私が判断し、存在しないときには存在 しないと判断するものを言う。そしてそれは、自然に生じるか、あるいは 超自然的に生じるかのいずれかである。いずれのものであれ直観的認識を もつことで、私はただちに「この事物は存在する」もしくは「この事物は 存在しない」という複合命題を形成することができ、上述したように、直 観的認識の力でもって、事物が存在するのならその複合命題を認め、事物 が存在しないならその複合命題を否認できる。かくして、直観的認識はい かなる形であれ、知性を誤謬に貶めることはない。 Ad aliud dico quod (…) intellectio est similitudo obiecti sicut species si poneretur, et non plus est similitudo unius quam alterius. Et ideo similitudo non est causa praecisa quare intelligit unum et non aliud. Quod potest patere in exemplo : nam simile est de cognoscibilitate et causatione univoca. Nam causa univoca causat per assimilationem et ideo est univoca quia effectus sibi assimilatur, et tamen non producitur determinate ab una causa univoca et non ab alia propter assimilationem. Quia si ponantur duo calores aeque intensi et unus producat tertium calorem, iste tertius tantum assimilatur uni sicut alteri et aequaliter utrique et tamen non producitur nisi ab uno. Igitur assimilatio non est causa quare una causat et non altera. / もう一つの異論に対してはこう述べよう。(……)知解とは、仮にスペキ エスが仮構されるとしたらそれと同様の、対象との類似を言うのであり、 一つの類似がほかの類似よりも優れているわけではない。したがってその 類似は、なぜほかの類似ではなくその一つの類似を知解するのかを説明づ ける、厳密な原因をなしていはいない。このことは、例示により明らかに なりうるだろう。というのも、認識可能性と一義的な因果関係は類似的で あるからだ。一義的原因とは類似関係によって結果を生じさせるものをい い、結果がまた原因に類似するがゆえに一義的とされるのだえる。一方で 結果が、ほかでもないある一つの一義的原因によって限定されて生じるの は、類似関係のためではない。なぜなら、二つの同じく強烈な熱があった と仮定し、その一つめの熱が第三の熱を生じさせたとすると、その第三の 熱はその一つめにも、またもう一つの熱にも同じように類似するが、とは いえ一つめ以外から生じたものではないからである。よって類似関係は、 なぜほかでもない一つの原因が結果を生じさせるのかのを説明づける原因 とはならない。/ Et eodem modo est in proposito : nam licet intellectus assimiletur omnibus individuis aequaliter per casum positum, tamen potest unum determinate cognoscere et non aliud. Sed hoc non est propter assimilationem, sed causa est quia omnis effectus naturaliter producibilis ex natura sua determinat sibi quod producatur ab una causa efficiente et non ab alia, sicut determinat sibi quod producatur in una materia et non in alia. Quia si non, sequeretur quod idem effectus a diversis agentibus simul et semel produceretur in duabus materiis, quod est impossibile. ここでの命題においても同様である。提示された例によれば、知性はあら ゆる個物に同じように類似すると言える。しかしながら知性は、ほかでも ない一つの限定された個物を認識できるのである。しかしながらこれは類 似関係によるのではなく、自然に生じうるすべての結果が、おのれの本性 ゆえに、ほかでもない一つの作用因によって生じるようみずからを限定づ けるという理由によるのである。ちょうど個物が、ほかでもない一つの質 料において生じるようみずからを限定づけるように。なぜなら、もしそう でないとすると、同じ結果が様々な作用因によって同時に、また一度に二 つの質料に生じることになってしまうが、それはあり得ないからだ。 # # # 二段落めのもう一つの異論というのは、(知性は対象を類似によって理解 するという前提に立ち)「類似した個物が複数ある場合には、知性はその すべての類似物を類似によって捉えてしまい、特定の個物を理解できない のではないか」という疑念でした。それに対してオッカムは、前提(知性 は対象を類似によって理解するという)そのものは認めつつ、個物を個物 として認識する場合には類似関係のみが関わっているのではなく、対象に 備わった本性がその対象そのものを限定しているのだと論じています。こ の個物の限定論は、自然学的な問題などと絡めて見ていくと興味深いもの があるかもしれません(後述します)。 とりあえず、このところ続けているオッカムの思想的受容のまとめです が、今回は別の重要文献、ウィリアム・J・コートニー『オッカムとオッ カム主義』(Wiliam J. Courtenay, "Ockham and Ockhamism - Studies in the Dissemination and Impact of His Thought", Brill, 2008)を眺めながら概要を掴んでおきましょう。同書はオッカム思想の 伝播や影響関係などについてまとめられた包括的な一冊で、最新の研究動 向なども随所で紹介してくれています。まだ全部は見ていないのですが、 たとえば6章の末尾の部分で、14世紀以降におけるオッカムの受容の概要 に触れています。 そこではまず、従来型の見識を正しています。従来型の見識というのはつ まり、オッカムが中世後期の西洋において、イングランドではウィクリフ が登場するまでの半世紀、唯名論の一派を構え、パリでも一五世紀初頭ま で唯名論が席巻した、というものです。近年の研究では、実際の状況はだ いぶ異なっていたということが明らかになってきているのですね。オッカ ムの諸説(とくに認識論がらみ)は、その信奉者(アダム・ヴォデハムな ど?)の間でも異論を呼び、とくにスペキエス(可知的形象、可感的形 象)を排除する議論はほぼすべてのイングランド系論者の反発を買ったと いいます。そのため、オッカムは一派の創始者などではなく、当時の議論 の俎上に最も乗った論者の一人にすぎなかった、といのが最近の主流の見 解になっているのですね。ブラッドワーディンなどのアウグスティヌス主 義のほか、実在論側からの攻勢もあって、オックスフォードでのオッカム の影響力は、1340年代には早くも減衰するといいます。 一方のパリでは、オッカムのとりわけ自然学が重要視され、イングランド からの哲学議論や論者の流入もあって、1340年代を境に反オッカム勢力 の勢いも弱まり、14世紀半ばすぎには、アウグスティヌス主義とも称さ れるリミニのグレゴリウスやオルヴィエトのフゴリーノなどがその自然学 を受容し、パリの学者たちの間ではオッカムは重要なソースと見なされる ようになります。 ちょっと脱線になりますが、この場合のオッカムの自然学というのはどの あたりを指すのでしょうか。コートニー本のこの箇所には具体的な言及が ありませんが、たとえばロバート・パスナウ『形而上学的主題: 1274-1671』(Robert Pasnau, "Metaphysical Themes", Oxford Univ. Press, 2011)などはもしかすると示唆的かもしれません。同書の 第二章で紹介されているオッカムの基体論でのスタンスは、ベースはアリ ストテレスであるものの、教会の教義という文脈からするとかなりラディ カルな印象です。基体の問題(あるいは変化の問題)について、オッカム は存続するもの(つまりは質料、基体)は生成した事物の一部に取り込ま れるしかありえないと考え、消滅と生成を繰り返す中でその要素が存続す ると考えています。この前提には「無から有は生まれない」という原理が あるわけですが、そうした「原理」なるものは、弁証法的に論じることは できても、そもそも実証できるものではないとしています。とはいえ、そ うした基体の存続は、事物が作用因をもつことの前提となり、神ですらそ れは除外できないとオッカムは考えています。 さらに同書の第四章では、質料が一定の現勢態をもっているという考え方 が示されています。これはオリヴィなどフランシスコ会派において何人か の論者が提唱していた考え方ですが、オッカムにおいてもそれは生きてい ます。オッカムは質料が単なる潜在態だとは考えず、質料は空間的拡がり をもった部分から成ると見なしています。そこには予めなんらかの「量」 が内包され、すでにしてある種の限定を被っています。形相による限定の ほかに、質料そのものにも始めからなんらかの限定が加わっている……そ れはアリストテレスを逸脱する独特な解釈です。パスナウによると、14 世紀後半以降の様々な論者たちは、そうした議論を展開することで粒子論 の方へと向かっていった、ということらしいのです。 さて、コートニー本に戻りましょう。15世紀にいたると状況は変わり、 パリの自由学芸学部も、トマスやアルベルトゥス・マグヌスのアリストテ レス注釈をベースとする一派と、オッカムやビュリダン、インゲンのマル シウスなど14世紀の論者をベースとする一派とが分かれるなど、一種の 新旧論争的な文脈の中で、オッカムは「モダンな」論者の一人として取り 上げられるようになります。パリとドイツの大学で、オッカムは「唯名 論」の重要人物という評価を得るようです。こうして15世紀末ごろに は、オッカムを中心とする思想圏が「オッカム派」と見なされるようにな るといいます。なるほど、やはり「オッカム派」というのは後の時代から の逆照射、事後的な「括り」であるらしいことが窺えます。このあたり、 もう少し詳しく見ていきたいと思います。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は07月21日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------