〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.223 2012/09/08 ------文献探索シリーズ------------------------ タンピエとその周辺(その11) 前回は自然学の発展において禁令が及ぼした逆説的な「後押し」を、エド ワード・グラントの著書で見てみました。ほかの学問領域はどうだったの でしょうか。禁令は何か影響を及ぼしたのでしょうか。というわけで、今 回は論理学方面について触れた論考を見てみたいと思います。取り上げる のはサラ・アッケルマン「論理学と1277年の禁令」(Sara L. Uckelman, Logic and the condemnations of 1277, 2008)という論 文で、パリとオックスフォードの禁令の影響について論理学を主軸に考察 しています。 同論文はまず、1277年のパリの禁令と、それに続くオックスフォードの 禁令について概要をまとめています。このあたりは前に取り上げた話と重 複しますので割愛しますが、一つ取り上げておくなら、教皇との関連につ いてこの著者は、タンピエが教皇からの指示を書簡で受け取る以前から調 査を行っていたのは明らかだとしています。1276年にブラバンのシゲル スに対して審査が行われたことの発展形として、禁令は当然の成り行き だったとし(ティッセンという研究者の説がもとになっています)、オッ クスフォードの禁令についても、教皇側の関与はなかった(少なくとも証 拠はない)と断じています。 次に同論文はアリストテレス論理学の受容史も簡単にさらっています。ボ エティウスによる翻訳からだいぶ後の12世紀になって、知られていな かったアリストテレスの文献が流入し、大学を中心とするアカデミーの世 界はにわかに活気づきます。教皇グレゴリウス9世は1228年に神学部で のアリストテレスの自然学の講義を自制するよう勧告していますが、新し いアリストテレス哲学の勢いは強く、哲学をあくまで神学に従属する地位 に押し戻すことはもはや無理という感じだったのでしょう。 とはいえ、大学の機構的な違いは哲学受容に影響を与えていたのかもしれ ません。パリ大学は母体が聖堂付属学校で、その意味で教会と密接な関係 にありました。一方のオックスフォード大学は、修道院や聖堂付属学校と の関連が薄かったわけなのですが、そうした違いは思いの外、アリストテ レス受容にまで影を落としているのかもしれないというのですね。神学部 における修道会同士の対立や、神学部と他の学部との対立などは両大学の いずれにも見られた現象ですが、パリ大学が1277年以前から各種の禁令 の舞台となってきたのに対し、オックスフォード大学はそういった禁令と は無縁で、アラビア哲学の普及やギリシア哲学の再発見に対しては寛容で した。両者の環境の違いは、そうした出自の差が大きいと論文著者は見て います。 次いで論文は禁令の中身に入っていきます。結論から言うと、禁令が糾弾 する命題のうち、厳密に論理学そのものを取り上げているものは皆無のよ うです。とはいえ、論理学が基礎づけている哲学自体の射程、哲学自体の 方法論などについては、いくつかの命題がやり玉に挙がっています。基本 的に、超自然的な神の啓示を通じた知識の獲得を認めようとしないとか、 自由学芸部が扱ってよい範囲を超えているとかの命題が問題視されていま す。ですが、ひとたびそれらを「逸脱行為」を控えさえすれば、論理学的 な方法論を神学問題に適用しても禁令には抵触しないですむことになった のでした。そのあたりのことは、前回のグラント本でも指摘されていまし た。 グラント本が論じていたように、禁令がとりわけ執拗に糾弾しているのは 神の絶対性を損なう議論ですが、それに関連するもう一つの大きなテーマ として、時間の本質をめぐる議論がありました。それは要するに世界の永 続性の議論です。禁令をめぐる有名な議論ですね。ダキアのボエティウス が糾弾される所以でもあったわけですが、実はそのボエティウスは、世界 は創造されていないと論じていたのではなく、世界の創造は哲学的な方法 では論証しえないと論じていただけでした。世界の永続性が否定されると なると、では時間は永遠ではないのかとか、永遠でないなら創造されたも のなのかとか、時間をめぐる問題が論理学的にもいろいろと出てきてしま います。13世紀においては、前の世紀にコンシュのギヨームが論じた、 「時間は永続するが、世界とともに創造された」とする、いわばアウグス ティヌスとアリストテレスの折衷案が広く浸透していたといいます。 オックスフォードの禁令になると、論理学に絡む案件はもっと興味深いも のになるようです。必然・偶然といった様態論がらみの問題が扱われるか らです。禁令が糾弾する命題には、「必然をともなう真理は、基体の不変 性をともなう」「未来についての命題はすべて必然的に真である」「現在 時制の動詞をともなう名辞は、異なるすべての時制へと割り当てられる」 などがありました。未来に関する偶有的な命題に真理値を指定するとなる と、自由意志論や決定論に絡む諸問題が喚起されますが、これはキリスト 教世界の哲学者にとってはとてもゆゆしき事態です。決定論は行為主体の 自己責任論とは両立できないからです。 結局、パリとオックスフォードの禁令はどれほどの同時代的影響をもちえ たのでしょうか。著者によれば、パリの禁令では、内容的に直接の影響を 被った著者たち(ダキアのボエティウスなど)以外、あまり大きな社会的 影響はなかったのではないかとしています。神学部の側から、タンピエの 禁令の範囲や影響を減じようとする努力も見られたとの指摘もあります。 禁令から20年後、神学部のフォンテーヌのゴドフロワは、1277年の禁令 は完全に無視され、立案者たちの意図とはまったく逆の結果になったと記 しているのですね。ゴドフロワはトマスの擁護(単一形相論)にあたり、 パリ司教による禁令の停止を求めてさえいます。こうした努力の甲斐あっ てか、1325年にはトマスへの論究は撤回されることになります。 続いて論文は14世紀以降の様態論・時間論に触れていくことになります が、ちょっと長くなってきたので、これは次回に繰り越したいと思いま す。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ リミニのグレゴリウスとアウグスティヌス主義(その1) 今回からリミニのグレゴリウスのテキストを読んでいきたいと思います。 リミニのグレゴリウスといえばオッカム以後の唯名論者の一人として知ら れ、ルターの宗教改革にまで影響を及ぼした人物とも言われています(そ の真偽は微妙なようですが)。意味論の分野でも革新的な説を唱えたとさ れる一方、自然学の分野でも、とりわけ無限と連続についての精緻な議論 を展開した話が有名です。このあたりにもぜひ折を見て検証していきたい と思うのですが、読んでいくテキストはむしろ倫理学に属するものです。 テキストは『命題集第二巻講義』三四節(Lectura super secundum Sententiarum, distinctine 34)です。ペトルス・ロンバルドゥスの『命 題集』についての講義をまとめたグレゴリウスの著作のうち、二巻の三四 節から三七節は悪の問題・罪の問題を扱っています。底本とするのはこれ を採録している『倫理的行為と正しい理性』(Moralisches Handeln und rechte Vernunft, ubs. von Isabelle Mandrella, Herder, 2010) です。ヘルダー版と称しておきましょう。では、早速テキストの冒頭部分 を見ていきましょう。 # # # Quaestio 1 Utrum actualis peccati deus sit causa immediata efficiens. Circa distinctionem 34 et tres alias sequentes, in quibus Magister inquirit de quidditate et causa peccati actualis, quero, utrum actualis peccati deus sit causa immediata efficiens. 問一 神は現実の罪の直接的な作用因であるかどうか 第三四節とそれに続く三つの節では、師(ペトルス・ロンバルドゥス)は 現実の罪の何性と原因について問うているが、これに関して私は、神が現 実の罪の直接的な作用因であるかどうかを検討しよう。 Arguo quod non, primo sic: Mali nulla est causa efficiens; igitur neque peccati. Patet consequentia, quia omne peccatum est malum. Antecedens probatur, quia cuiuscumque est aliqua causa efficiens, ipsum est aliqua entitas seu essentia. Nulla enim causa efficit nihil seu non ens. Sed malum non est aliqua entitas, quia secundum Augutinum De fide ad Petrum capitulo 21: "Malum nihil aliquid est nisi privatio boni"; et 83 Quaestionum quaestione 6 dicit quod "totum hoc nomen mali de speiciei privatione repertum est". Privatio autem nulla entitas est; igitur etc. 作用因ではない、と私は論じよう。まず第一の議論は、悪にとっての作用 因はない、したがって罪の作用因もない、というものである。結論は明ら かである。なぜならあらゆる罪は悪だからだ。前段部分は次のように論証 される。何らかの実体もしくは本質であるすべてのものには何らかの作用 因があるが、無もしくは存在しないものにはなんら原因はない。しかるに 悪とはなんらかの実体ではない。アウグスティヌスの『ペトロへの信につ いて』二一章によれば、「悪とは善の欠如にほかならない」からだ。また 『八三の問い』の問六では、「形象の欠如のすべては、悪という名で示さ れる」と述べている。しかるに欠如はいかなる実体でもない。ゆえに 云々。 Secundo, secundum Augustinum 12 De civitate dei capitulo 7 mala voluntas non habet causam efficientem sed deficientem. Mala voluntas autem utique peccatum est; igitur peccatum non habet causam efficientem. Et si non, igitur deus non est causa efficiens peccati. 第二に、アウグスティヌス『神の国』七巻一二章によれば、悪しき意志に は作用因ではなく因の欠如がある。しかるに悪しき意志は必然的に罪であ る。したがって罪には作用因はない。そしてもしそうであるなら、ゆえに 神は罪の原因ではない。 # # # 今回の箇所は三四節から三七節が扱う悪の問題・罪の問題へのプロローグ です。グレゴリウスはそれを「神は罪の作用因であるか」という問題に組 み替えて論じていきます。最初にテーゼを掲げ、それを深める形で議論が 展開していくのは通例通りですね。冒頭の議論は全体の基調にもなってい るわけですが、ベースとなっているのはアウグスティヌスの有名な悪につ いての議論、すなわち悪とは善の欠如のことであるというテーゼです。欠 如であるからには実体はなしえず、実体でなければそもそも原因などはあ りえません。したがって悪には直接的な作用因はないことになります。そ して人間の罪とは、その悪の一部に括られる以上、やはり作用因はないと されます。ごく短いこのさわりの部分だけで、すでにアウグスティヌスへ の言及が二度も出てきているのが示唆的ですね。 初回ですので、底本にしているヘルダー版冒頭の訳者イザベレ・マンドレ ラの解説から、グレゴリウスの生い立ちをまとめておきましょう。グレゴ リウスは1300年頃にリミニに生まれ、早い段階から聖アウグスティヌス 修道会に入ったとされます。1329年ごろまでパリで学んだ後いったんは イタリアに戻り、各地(ボローニャ、パドヴァ、ペルージャ)のアウグス ティヌス会の学校(studium)で神学を教えます。1330年代ごろまでに はオックスフォード系の神学思想に触れ、オッカム、ヴォデハム、フィッ ツラルフ、ウォルター・チャットンなどの著作に親しんでいたとされま す。その後1342年ごろに再びパリに戻ります。パリでは1343年から44 年にかけて『命題集』の講義を行い、1345年頃には神学博士となりま す。その後再びイタリア各地で講義をし(パドヴァ、リミニの神学校)、 1357年にはモンペリエのアウグスティヌス会総会において、シュトラス ブルクのトマスを継いで同修道会の総長に選出されます。グレゴリウスは 1358年、ウィーンを訪問中に亡くなったとされています。 グレゴリウスの二つ名は「真正博士(doctor authenticus)」です。文 字通り「真正」のアウグスティヌス主義者だという意味と、副次的な「権 威ある」という意味とをかけているのではないかとのことです。『命題集 第二巻講義』はこの二度のパリ行きの間の時期に書かれたものと考えられ ています。グレゴリウスは明らかに、アウグスティヌスの議論を同時代的 に豊かなものにしようと腐心していたようで、アウグスティヌスの文献か ら抜き出した概念をアルファベット順にまとめた当時の「用語集 (tabula)」があるといいますが、グレゴリウスがその著者ではないか といった話もあるようです。いずれにしてもグレゴリウスの引用は言い換 えなどではなく、正確な引用であるとして重宝がられていたようです。オ ンラインのスタンフォード哲学百科から「リミニのグレゴリウス」を引く と(http://plato.stanford.edu/entries/gregory-rimini/)、ペトル ス・アウレオリの誤った引用などを論難してみせたりしている、なんて話 も出てきます。また、グレゴリウスの自著での引用が、アウグスティヌス の出典として用いられたりもしていたそうです(本当は孫引きにあたるわ けですが……)。 というわけで、しばらくこのグレゴリウスのテキストや思想内容について 検討していきたいと思います。どうぞお楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は09月22日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------