〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.230 2012/12/15 *お知らせ 通常は隔週での発行となっている本メルマガですが、例年通り年末年始は お休みとさせていただきます。そのため次号は年明けの1月12日の発行を 予定しています。年内は本号が最後となります。今年も駄文にお付き合い いただき、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いい たします。良い年末および新年をお迎えください。 ------文献探索シリーズ------------------------ 学問分類へのアプローチ(その4) 前回は三科との関係でイソクラテスとアリストテレスを見てみました。弁 論術・修辞学の学問的な位置づけはそれぞれ異なるものの、両者ともにそ の学を重視し、学校のカリキュラムとして教えていったのでした。では、 こうした動きはその後どう展開するのでしょうか。今回はヘレニズム末期 ごろの学校教育について簡単に見ておきたいと思います。参考にするの は、少し前にこのメルマガの読者の方から教えていただいたのですが、イ ルセトロ・アド『古代思想における自由学科と哲学』(Ilsetraut Hadot, "Arts liberaux et philosophie dans la pensee antique", Vrin, 1984-2005)という一冊です。ここでは2005年に出た増補版を参照し ます。同書の第二章(pp.25〜59)が、ちょうどヘレニズム末期の教育 の概況と移り変わりを扱っています。今回はその大枠・見取り図をまとめ ておきましょう。 まずヘレニズム期全般の特徴的なこととして指摘されているのは、ヘレニ ズム末期のギリシア都市部では、初等教育を担う機関として、私学に代わ り公共の教育機関が登場してくることです。いわゆるギムナシオンで、後 にはそれが、より若い年齢層や青年向けのものなどへと分化していきま す。特に青年向けのものに注目すると、科目としては(ギムナシオンの名 称が示すように)体育が主で、いわば軍事的な予備訓練がなされていたと いいます。ほかに叙事詩や対話編などの暗唱、読み、一般教養(ポリュマ テイア)、デッサン、習字、音楽、演劇などが教えられていたようです。 一般教養には文法に付随する教科として歴史や文学、地理が含まれていま した。生徒たちを競わせる科目別の大会の勝者リストなどから、そうした 教科内容がわかるとされています(p.27)。 アドによれば、ヘレニズム期を通じて基本的に教科の区分けはそれほど変 わってはおらず、プラトンが称揚していた算術や幾何、天文学、音楽(数 的な)などについては言及がないようです(p.29)。音楽教育はむしろ 文学と結びついてなされていたようで、さらに文法の関連科目として歴 史、地理などが括られている点がちょっと面白いですね。また、それらと は別に主要都市では私学も依然として盛んで、とくに裕福な家庭の若者が そちらで学んでいました。一方、ヘレニズム期のローマでは、教育は厳密 に私学のみで行われ、ギリシアにならって文法や修辞学を教える学校が増 えてしていったといいます。 ではイソクラテスやアリストテレスなどが開設した弁論術や修辞学の学校 はどうなったのでしょうか。アテネの逍遙学派の学校が修辞学を専門に教 えるようになると(しかもそれは長く続きます)、やがて逍遙学派本来の 総合知の理想はアレクサンドリアの学校が担うようになりました。アテネ でもやがて紀元前一世紀の前半にロードスのアンドロニコスのもとで再び 総合知を重視する風潮へと回帰しますが、もっぱらアリストテレスの著作 の註解が教育の内容になってしまいます。 他の学派(ストア派なども含め)も逍遙学派の影響を受けてか、文法や修 辞学を重んじていたようで、ギリシア各地には文法や修辞学を教える様々 な派の私学ができていたといいます。キケロやストラボンが報告している のですね(p.42)。上で触れたように、この場合の文法は現在の文法学 にとどまらず、文献学、文学その他を含む幅広い教科内容でした。また、 そうした私学の教育は、公教育の延長もしくは補完として、イソクラテス の伝統を踏まえた高等教育だったと考えられるとアドは記しています(p. 44)。ただしイソクラテス的な要素が直接見いだせるわけではないとの 留保も添えています。 アカデメイアはどうだったのでしょうか。紀元前三世紀の中盤ごろから、 プラトンの学派は懐疑論へと舵を切り、数学的四科を基礎とする教育は放 棄され、逍遙学派的な弁論術(弁証法)・修辞学が教育の中心に据えられ ます(p.45)。主要な哲学的流派の教義をめぐって、教師と生徒が議論 を戦わすのが主たる教育法になり、後のキケロの時代にまでそれは引き継 がれます。キケロはその教育法を高く評価しているのですね。これはヘレ ニズム末期には廃れるようで、キケロの師だったラリッサのフィロンがほ ぼその最後にあたり、特に修辞学に力を入れていたことが知られています (p.46)。 一説によると、哲学と修辞学との本質的な一体性というキケロの理想は、 師のラリッサのフィロンに由来するのだとも言われます。ラリッサのフィ ロンは実際に一人で哲学も修辞学も教えていたようで、まさに両学科の一 体性を体現していたらしいのです。そしてその一体性にこそ、「良く生き ることを教えずに、良く話すことを教えることはできない」というイソク ラテスの確信が息づいていたのではないか、とされています(p.47)。 そういえば前回触れた廣川洋一『イソクラテスの修辞学校』でも、イソク ラテスの学校そのものは一代限りで消滅したものの、キケロがその教育理 念の総体を受け継いでいると記されています(八章二節)。キケロが求め たものは、「たんに世にいう哲学でもなく、また弁論・修辞術でさえもな く、まさしく先達イソクラテスが熱情をこめて追い求めた、あのピロソピ アーそのものにほかならなかった」(同、p.266)といい、真の総合知と しての教養を求める姿勢がキケロにおいて再浮上していたことを強く訴え ています。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ リミニのグレゴリウス(その8) 本文は今回から、悪についての三つの結論の二つめに入ります。では早速 見ていきましょう。 # # # (Secunda conclusio probatur) Secunda conclusio est eodem modo sumendo malum quod, quamvis malum non sit aliqua, quodlibet tamen est in aliqua entitate, ad eum sensum loquendo, quo dicimus caecitatem esse in oculo et tenebram in aere et universaliter privationes in suis subiectis. Haec conclusionem probo primo auctoritatibus. Ait enim Augustinus Enchiridion 16: "Mala omnio sine bonis et nisi in bonis esse non possunt, quamvis bona sine malis possint". Et certum est, ut ex praecedentibus patet, quod loquitur de malis, ut sumitur malum in proposito, et de bonis quae sunt entitates vel naturae, sicut patet ex exemplis quae immediate inducit. "Potest enim, inquit, homo vel angelus non esse iniustus; iniustus autem non potest esse nisi homo vel angelus, et bonum quod homo, et bonum quod angelus, malum quod iniustus". (第二の結論について論証する) 第二の結論は、同じような形で次のように悪を考える。悪はなんらかの実 体ではないが、とはいえそれは任意の実体のもとにあり、その意味で言う ならば、私たちは盲目は目のもとに、闇は空気のもとに、そして一般に欠 如はその担い手のもとにあると言うのである。 この結論をまずは権威者たちによって論証しよう。アウグスティヌスは 『エンキリディオン』の16章でこう述べている。「悪しきものいずれも 善を伴わないか、あるいは善のもとにはありえないが、善きものは悪を伴 わずにありうる」。先の部分からも明らかなように、これが前提における 「悪」の意味において、悪について言われていることは確かである。ま た、実体もしくは本性である善については、そのすぐ後に続く例からも明 らかである。「人間もしくは天使が不誠実でないことはありうる。しかし ながら不誠実でありうるのは人間ないし天使のみである。人間であるがゆ えに善であり、天使であるがゆえに善なのだが、不誠実であるならそれゆ えに悪なのである」。 Item capitulo 13 in fine: Natura, inquit, "si corruptione consumitur, nec ipsa corruptio remanebit, nulla ubi esse possit subsistente natura". Et absque medio in sequenti capitulo infert: "Ac per hoc nullum est quod dicitur malum, si nullum sit bonum". Ubi Augustinus duas implicat consequentias: Una est, si nullum sit bonum, nulla est natura in qua sit corruptio; alia est, si nulla sit natura in qua sit corruptio, nullum est malum. Et ex hac patet propositum. Item De moribus Manichaeorum, non longe a principio: "Quaeram, inquit, tertio quid sit malum? Respondebitis fortasse: Corruptio. Quis et hoc negaverit, generale malum esse?" Et subdit: "Sed corruptio non est in se ipsa, sed in aliqua substantia quam corrumpit." Hoc enim patet ex auctoritatibus adductis ad primam conclusionem, quibus habetur quod malum non est nisi privatio boni. Omnis autem privatio, proprie loquendo de privatione, est subiective in aliqua entitate, ad bonum intellectum. また一三章の末尾にはこうある。本性が「腐敗によって滅ぶとすると、腐 敗そのものが存続することはないだろう。腐敗が存在しうるところの本性 は永続しないからだ」。それに直接続く章ではこう述べている。「またこ のことから、もし善が存在しないのであれば、悪といわれるものもないこ とになる」。アウグスティヌスはそこで二つの結論を一つにまとめてい る。一つは、善がないのであれば、腐敗が内在する本性がないことになる ということである。もう一つは、腐敗が内在する本性がないのであれば、 悪もないことになるということである。このことから、上の命題は明らか である。 また、『マニ教の風習について』の冒頭近くの箇所ではこう述べている。 「第三に私が悪とは何かと問うなら、おそらくあなたは、腐敗だと答える だろう。それが一般的に悪であることを誰が否定するだろうか?」。さら にこう付け加えている。「だが腐敗とはそれ自体としてあるのではなく、 腐敗するなんらかの実体のもとにある」。 このことは、第一の結論において引き合いに出した権威者たちから明らか である。彼らは、悪は善の欠如にほかならないと考えている。だがもし欠 如について厳密に言うなら、欠如はすべてなんらかの実体に担われるから こそ正しく理解されるのである。 # # # グレゴリウスの言う第二の結論というのは、「悪しきものはそれ自体で実 体ではないが、なんらかの実体のもとにある」というものでした。それ自 体は実体ではないけれども、なんらかの実体がなければそもそもありえな いものを、人はどう言語化しているのでしょうか。これは厳密に考えてみ ると大きな問題ですね。現代哲学でも、たとえば「穴」を存在論的にどう 考えるかといった、英米系の分析哲学の議論があったりしますが、それに 通じる問題です。中世においては、善・悪といった価値判断すら絡んでき て、また別の意味でややこしくなっている印象ですね。このあたりは少し 時間を取って考えてみたいところです。 さて、そのことにも関係しますが、今回からは思想面について、パスカ ル・ベルモンの著書の長大な後半部分(「哲学的研究」と題されていま す)の要点を抜き出していきたいと思います。ベルモンの著書は『リミニ のグレゴリウスにおける承認とその対象』というのが全体のタイトルでし た。そこで問題になるのはまさに承認(assensus)の作用です。グレゴ リウスの時代には、この語は一種の判断のことを指すとされていました。 私たちも以前オッカムについての話でこの語に出会っています(認知と訳 出していましたが、承認のほうが訳語としてよさそうなので、ここでは修 正したいと思います)。オッカムの場合は、感覚で捉えられた対象を、外 的に実在するものとして承認する働きのことを意味していました。 リミニのグレゴリウスの場合、複合的意味対象(complexe significabile)という概念が出てきますが、どうやらこれが承認と関係す る概念をなしているようです。複合的意味対象、つまり命題の意味内容 は、まずもって承認の対象として考えられている、ということらしいので すが、そうするとすでにしてオッカムとは考え方が多少とも違っていそう です。複合的意味対象は従来、ある種の実在論、あるいはマイノング主義 に結びつけられて解釈されてきた経緯があるそうなのですが、それは正し い見方ではないのではないか、とベルモンは語っています(p.110)。 少々先走る形になりますが、そうした実在論的解釈の代表例として、ユ ベール・エリーの1936年の研究が挙げられています(p.181)。マイノ ング主義では、内的な経験に対応する意味作用を対象に据え、そのように 内的に捉えられた対象を、内的・外的の区別にかかわらずいわば一律に、 存在に準じるものとして一元的に捉えようとします。エリーにおいては、 複合的意味対象とはまさにそのようなものとされ、グレゴリウスは、内的 存在と外的存在の区別を越えた、従来の「有(存在者)」ベースの存在論 ではない別様の存在論を垣間見た先駆者だとされたのでした。 ですがベルモンは、グレゴリウスの『命題集注解』の序文に、「有(存在 者)」と言えるのはなんらかの事物だけであり、複合的意味対象はそのよ うな事物ではない、何ものでもないと明言されている点を指摘します(p. 183)。それはつまり、エリーが唱える知解対象の実在論のようなもの に、グレゴリウスが与していないということを意味するというわけです。 グレゴリウスは唯名論的に、不要な実在物を立てないという原則に従って おり、複合的意味対象は実在としては扱われず、あくまで心的な構築物と してのみ考えているというのですね。 グレゴリウスは複合的意味対象を、事物ではないにせよ「何か」であると し、現実に指示されるもの(realiter referri)であることを擁護している ともいいますが(p.184)、それはそういう心的構築物としての意味にお いてだとされます。そしてどうやら、事物ではないけれども指示できる 「何か」ではあるという、その判断をなすのが、ほかならぬ承認の作用と いうことになるようです。グレゴリウスは(承認的)判断と、判断という 心的行為とを区別しているといいます(p.111)。前者は、対象となる内 容が心理的な現実となる以前の、対象との非・心理的な相関関係を言い、 後者の判断する行為とは、対象が心理的現実になった後での知的判断を言 うようです。これはつまり、対象とのファーストコンタクト、あるいは対 象を対象として措定すること、あるいは言語化以前(心理的現実になると いうのは言語化でもあるわけなので)のおぼろげな志向作用に相当するの でしょうか……。 いずれにしても命題的対象の承認(判断)の理論は、存在論的制約から まったく独立に規定されうるものではなく、唯名論的・個的な存在論(個 物以外は実在を認めないという立場)に密接に依存している、という見立 てをベルモンは示しています。そのあたりを確かめながら、具体的にテキ ストに沿った同著者の議論を、大事なポイントを中心に見ていくことにし たいと思います。それはまた年明け以降に。 *本マガジンは隔週の発行ですが、年末年始を挟むため、次号は01月12 日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------