〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.240 2013/05/25 ------文献探索シリーズ------------------------ 学問分類へのアプローチ(その14) 再び西洋世界へと戻ることにしましょう。前にも見たデーヴィッド・ワグ ナー編の『中世の自由七科』ですが、カール・モリソン「自由七科を学ぶ 動機付け」と題された第二章では、自由七科に対する否定的見解の伝統が 取り上げられています。その代表格として取り上げられているのがペトル ス・ダミアニ(1007〜1072)です。ペトルスは一一世紀のイタリアの 神学者で、グレゴリウス七世の教会改革に大きく関わった人物として知ら れています。とりわけペトルスが進めた改革は、一言でいえば修道会・教 会の厳粛化で、そこには鞭打ちなどの苦行も含まれていました。 ちょうど最近文庫化された堀米庸三『正統と異端−−ヨーロッパ精神の底 流』(中央文庫)では、聖職売買(シモニア)とそれを廃絶しようとする 教会改革について詳述されていますが、そこにシモニスト(シモニアを行 う罪人)追撃のいわば最先鋒としてのペトルスの姿が描き出されていま す。ですがペトルスの場合、シモニアはあくまで教会内部での問題であ り、それ以上に排撃の対象とされていたのは異端・異教の問題だったとも 言われます。 そんなわけですから、当然ながら自由七科を含む広義の哲学もペトルスの 糾弾対象になっていました。自由七科を糾弾した著書として、『学問の不 遜に優先されるべき聖なる単一性について』(De sancta simplicitate sicientiae inflanti antepotenda)という書があります(これもダウン ロードできます。http://www.documentacatholicaomnia.eu/04z/ z_1007-1072__Petrus_Damianus__Opusculum_45._De_Sancta_Sim plicitate__MLT.pdf.html)。そこでは、自由七科などは世俗的で動物的 な知恵でしかないとして斥けられ、対する教会の教えは、天界的かつ聖霊 的だと称賛されます。たとえば修辞学(雄弁術)についてペトルスは、天 上世界のごとき雄弁を求めるためには、世俗の学知は捨て去らなくてはな らないと説きます。修道士にとっては、自堕落な世俗の者が有するような 学知を求める必要はなく、聖なるものを求めるスキルはほかにあるのだと 説いているのですね。 ペトルスはもともと孤児で、若い頃は満足な教育が受けられなかったよう なのですが、ダミアンという、後に名をもらいうけることになる兄によっ て教育を受けるようになると、めきめきと実力をつけ、若干25歳にして パルマとラヴェンナで教壇に立つほどになった人物です。とりわけ修辞学 (雄弁術)に長けていたようで、モリソンによれば、それはその自由七科 を批判する書の構成や文章の論理展開などにも伺い知れるといいます。で は、みずからが秀でているそうした学問を、議論の上では無用なものとし て斥けてみせるこの逆説は、いったい何を意味しているのでしょうか。ま るでみずからの行いが、その言を裏切っているかのようなこの姿勢は、ど う理解すればよいのでしょうか。 ペトルスは「芸を用いて芸を隠す」という修辞学の古くからのルールを自 家薬籠中のものとしていました。そこで巧みに隠されていたのは、若い頃 の苦渋、あるいはみずからの生に対する憎しみだったのではないか、とモ リソンは記しています。ペトルスは教授職を辞して唐突に修道生活に入っ たと言われ、しかもそれはクリュニーの豪奢な修道院ではなく、フォン テ・アヴェラーナの質素な修道院でした。教会改革に執拗なまでに取り組 んだのも、あるいはそうした世俗的社会への憎しみが原動力の一端になっ ていたのかもしれません。 ですが、それだけではないとモリソンは考えています。修道生活とは「神 への愛と自己鍛錬(自己犠牲)」に尽きるとペトルスは述べているのです が、その自己鍛錬には知識の獲得ももちろん含まれているとされます。 『聖なる単一性について』でペトルスは、修辞学の技法や論理は、たとえ それらが「つまらない虚飾」「汚らわしいもの」であっても、悔悛のため に用いられるべきものであると述べています。ある意味でこれは、哲学は 神学に下僕として仕えるという、後のトマス・アクィナスの発想を先取り しているといってよいのかもしれません。 ここで浮かび上がるのは、神学者にとっての自由七科という古くからの問 題です。モリソンは、ペトルスのそうした姿勢が初期教父の頃から綿々と 受け継がれてきた一つの伝統の現れであることを指摘しています。自由七 科は当然ながら異教を端緒とする学問です。ということは、それをそのま まキリスト教世界の教えの中に取り込むことに抵抗を示す人々は当然いる わけですね。とりわけそれはベネディクト会派など、修道会の教えにおい て慣例となっていました。 ですがモリソンは、同論考の後半部分で、それでもなおある種の象徴的な 隠蔽こそが宗教界をつらぬくテーマとしてあり、自由七科(あるいは広義 の哲学)はその中で是認されてきたのではないかという議論を展開してい ます。ヒエロニムスやアウグスティヌスの例などを通じてそのあたりの話 を大きく取り上げているのですが、初期教父たちは自由七科を「象徴的偽 装の手段」と見なしていたのではないか、というのですね。つまり、宗教 界はもとより意味を隠された世界であり、キリスト教の教えにしても、一 部は万民に開かれてている一方で、他の一部は秘儀の加入者にしか明かさ れないというふうに二重に制度化されていて、象徴的偽装としての学問は 表向きは異教のものながら、学僧にとっては秘儀に通じるためにも修得す べきものと見なされていた、というわけなのです。宗教界の二重性に合致 するものとして、自由学芸はキリスト教の学僧の間に根付いたのではない か、と論文著者は論じています。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ジョン・ブランドの霊魂論(その1) これからここでは、一三世紀初頭に活躍したイングランドの神学者、ジョ ン・ブランド(1175頃〜1248)の『霊魂論』を拾い読みしていくこと にしたいと思います。これはアヴィセンナ/アリストテレスからもたらさ れた、当時としては新しい心理学的知見にもとづく、最初期の独立した霊 魂論だとされています。ここでは全体的な議論を概観するために、特定箇 所をじっくり読むというよりも、拾い読み的に重要な章をピックアップし て見ていきたいと思います。 底本とするのは、これまたヘルダー社の羅独対訳本("John Blund - Traktat uber die Seele", ubs. Dorothee Werner, Verlag Herder,, 2005)です。訳者のドロテー・ヴェルナーによる解説によれば、ジョ ン・ブランドは当時の神学者の典型的なキャリアを歩んだ人物とされてい ます。パリで学問を修め、1200年ごろに修士となり、オックスフォード で教鞭を執ります。教皇による禁令を受けてオックスフォードの学校が一 時閉鎖されるとパリに戻り、そこでさらに神学の研鑽に励みます。その後 国王のはからい(?)で帰国。1232年にはカンタベリーの大司教に選出 されます。ただしその選出は教皇からの許可が下りずに頓挫してしまいま す。 C.H. ローレンスによるOxford Dictionary of National Biographyの記 述(http://www.oxforddnb.com/templates/article.jsp? articleid=2711&back=)によると、ブランドが二つの教区で聖職兼務 をしていたことが拒否の理由で、カンタベリーの司教座聖堂助祭の横やり によるものだったとも言われますが、一説にはそれはあくまで表向きの理 由で、実は国王の助言者で彼を推挙したウィンチェスター司教、ロッシュ のペトルスの政治活動を、法王庁が警戒していたせいだとも言われます。 いずれにしてもブランドは、その後も国王からの厚遇を受け、1234年に はヨーク大聖堂の尚書係に任命されてその職を全うします。 ブランドの主著である『霊魂論』は、ヴェルナーによると、プラトン=ア ウグスティヌス的な初期中世の観点と、アルベルトゥス・マグヌスやトマ ス・アクィナスに代表されるアリストテレス寄りの中世盛期の流れとの、 いわば結節点をなしているといいます。とりわけ重要な問題として心身の 関係性が挙げられます。魂と身体について、プラトン的な乖離の関係と、 アリストテレス的な相補性の関係のそれぞれが、どの程度概念化されてい るかという問題ですね。このあたりについては追々詳しく見ていきたいと 思っていますが、ここではまず全体の構成から眺めておくことにしましょ う。 章立てを確認してみます。まず一章から四章までは導入部分で、「魂は存 在するか」「魂の本質とは何であるか」といった問題のほか、魂に関する 各種の臆見、「植物的・感覚的・理性的魂は同じ魂か」といった問題が議 論されます。この最後の問いについては、ブランドは人間においては唯一 の魂があるのみだとしています。実体をなす魂はいわば類であり、それが 差異(機能的差異?)によって種へと落とし込まれるというわけで、この あたりは魂の一体性を主張するアヴィセンナの影響を強く感じさせます。 五章では植物的魂が取り上げられ、六章から二一章までは感覚的魂の諸相 が記されていきます。とくに知覚の諸相にそれぞれ複数の章があてがわ れ、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、共通感覚について記された後、想像 力、推測、記憶・忘却についての議論が続きます。二二章から二六章まで は理性的魂についての議論です。魂は不死か、魂は単一か複合かといった 問題に続き、知性とは何かといった問題をめぐったあと、その魂はどこか ら注入され、身体のどこに宿るのかいった問題に触れて議論を閉じていま す。二一章あたりまでの部分はアリストテレスの霊魂論の構成に従ってい る感じです。というか、理性的魂についての部分も含め、アヴィセンナの 『魂について』を踏襲しているように思われます。 とはいうものの、ヴェルナーによれば、アヴィセンナに対する差異もいろ いろあるようで、たとえばその一つとして、ブランドの議論では、アンセ ルムスに繋がるような自由意志の問題が扱われているといい、それは霊魂 論に関する限り、アヴィセンナでもアリストテレスでも取り上げられては いない部分です。そのあたりには、異教的な思想とキリスト教神学との関 係性の問題なども絡んできそうですし、そうした意味合いも含めて、ア ヴィセンナとの議論の違いはこれからテキストを読むにあたっての重要な キーとなってくるかもしれません。 というわけで、次回から具体的にテキストを見ていきたいと思いますが、 この書は扱う問題も多岐にわたるので、冒頭でも記したように、ごく一部 のトピックを足早に駆け抜けていくような感じになるかもしれません。で も、アヴィセンナとの比較もさることながら、後世の霊魂論との比較など も考えてみたいと思っています。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は06月08日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------