〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.259 2014/03/22 ------文献探索シリーズ------------------------ 一四世紀の無限論(その14) リミニのグレゴリウスに続いて、今度は同じく重要な論者であるニコル・ オレーム(1320〜82)です。参照しているアンソロジー本『神学から数 学へ−−一四世紀の無限論』では、オレームは一四世紀のパリ大学で最も 名の知られた教師の一人だったと紹介されています。パリ大学に学んだ 後、パリのナヴァール校で神学を修め、後にルーアンの司教座聖堂参事会 員、主席司祭を経て、シャルル五世の教師となったオレームは、王の要請 でアリストテレスの著作の翻訳も手がけています。神学的な著作は断片し か残っていないのだそうですが、自然学系の著書やアリストテレスの注解 書などは多数現存しているといい、この状況がもたらされた背景の一つに は、二〇世紀初頭にピエール・デュエム(フランスの科学者、科学史家で すね)がオレームの論考のいくつかを発見し、高く評価したことが関係し ているのだとか。 同アンソロジー本に収録されているのは、『自然学の諸問題』から第三巻 問一二と、『エウクレイデス(ユークリッド)幾何学の諸問題』から問 一・問二です。いずれも無限に関係する問題を扱っており、解説によれ ば、両テキストは相補関係にあるといいます。前者の成立は一三四五年ご ろとされるものの、オレームみずからが記したものではないようで、学生 のノートらしいといい、しかも現存する写本は一つだけで、実際の講義か ら五〇年ほど後に書かれたものなのだとか。そんなわけで、一部に整合性 の問題などが顕著だといい、とくに無限の問題を扱った箇所(第三巻問一 一から一六)の構成は、ほかのテーマ(真空、時間など)の箇所に比べて も整っていないとされます。現実態としての無限がありうるのかありえな いのか、という点について、問一一と一六の間で揺らいでいるようなので すね。このあたりをどう捉えるかはとても微妙な問題です。 とりあえず、収録された問一二は無限同士の比較についての考察になって います。さっそく見ていくことにしましょう。まずオレームは議論の出発 点として、無限同士の比較が可能か否かについて両論を紹介します。比較 可能だという立場では、無限であっても量である限りは比較が可能である はずだ、というのがその主要な議論になっています。下で私たちが読み進 めているグロステストの『光について』からも引用されています。数全体 の集合と偶数の集合はどちらも無限ながら、数全体の集合のほうが大きい はずだ、とされています。一方、無限同士はそもそも大小や等しいという ことはできず、比較はできないという立場については、アリストテレスの 注釈者(アヴェロエス)の発言が引かれています。 この問題をオレームはどう考えるのでしょうか。まず四つの基本前提が示 されます。一.ここでの無限とは「共義的意味」ではなく「自立的意味」 で考えること(つまり、無限を不定の大きさとしてではなく、一定の大き さをもつものと考えること)、二.大小および等しいという関係は、比較 可能なもの同士、つまり同類の関係性として考えること、三.ここでの大 小および等しいという関係は、ある視点から見た場合というような相対的 なものではなく、全体的・絶対的な比較での関係として捉えること、四. 大小の関係は数字の関係のような厳密な大小の場合もあれば、一方が単 体、もう一方が集合体で、前者が後者に含まれるような非厳密な意味での 大小の場合もあること。この最後の指摘などは、前回見たリミニのグレゴ リウスの分類に重なりますね。 オレームは次いで、二つの推測を示します。(1)付加や差し引きなどな しに、もとからあった部分の再配置などにより事物は大きくなったり小さ くなったりはしない。(2)想像上で二つの事物を重ね合わせるような場 合に、いずれかが他に勝っていない限り、両者は等しいと見なされる。 そしてこれらをもとにオレームは、二つの結論を引き出します。まず一つ めは、無限同士はいかなるものであれ、大小を比較しえないということで す。これを正当づける議論として、オレームはまずこんな思考実験を提案 します。全方位に無限であるような物体Aがあったとします。それともう 一つ、幅と奥行きは一尺程度しかないものの、縦の一方向へと無限に伸び ているような物体Bがあったとします。ここでこのBを一尺ほど切り取 り、容積を変えないまま球にします。続いて同じ分のBの一部を切り取 り、その球に追加し全体をまた球にします。すると最初の球は付加された 分だけ大きな球になります。さらに三つめ、四つめと加えていき、これを 無限回繰り返すなら、最終的には理論上、全方位に無限であるような物体 ができあがります。つまり、そのように変形されたBは、もはやAよりも 大きいとか小さいとか言うことはできなくなります。しかもBは、何も新 たに足したり引いたりしてはいないので大きさとしては前の形のときと同 じです(上の仮定の(1)です)。ゆえに、BはもともとAと同様だった と考えられる、というわけです。 さらにもう少し思考実験は続くのですが(小出しみたいになってしまい恐 縮です)、それはまた次回に。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ロバート・グロステストの『光について』(その2) 引き続きテキストを見ていきましょう。 # # # Amplius formam primam corporalem formis omnibus sequentibus dignorem, et excellentioris et nobilioris essentie et magis assimilate formis stantibus separatis, arbitrantur sapientes. Lux vero omnibus rebus corporalibus dignoris et excellentioris et nobilioris est essentie et magis omnibus assimilatur formis stantibus separatis, que sunt intelligentie. Est igitur lux forma prima corporalis. そのうえ、物体的なものの第一形相は、それに続くあらゆる形相よりも価 値が高く、より卓越し高貴な本質をもち、離在する形相にいっそう近い、 と賢者たちは考えてきた。実際、光はその本質において、あらゆる物体的 な事物よりも価値が高く、卓越し、高貴であり、離在する形相、すなわち 知性にいっそう近い。したがって光は第一形相とイコールである。 Lux itaque, que est forma prima in materia prima creata, seipsam per seipsam infinities undique multiplicans et in omnem partem equaliter porrigens, materiam quam relinquere non potuit, secum distrahens in tantam molem quanta est mundi machina, in principio temporis extendebat. Nec potuit extensio materie fieri per finitam lucis multiplicationem quia simplex finities replicatum quantum non generat, sicut ostendit Aristoteles demonstrative; infinities vero multiplicatum necesse est quantum finitum generare, quia productum ex infinita multiplicaitone alicuius in infinitum excedit illud ex cuius multiplicatione producitur. Atque simplex a simplici non exceditur in infinitum, sed solum quantum finitum in infinitum excedit simplex. Quantum enim infinitum infinities infinite excedit simplex. Lux igitur, que in se simplex est, infinities multiplicata materiam similiter simplicem in dimensiones finite magnitudinis necesse est extendere. それゆえ、被造物である第一質料における第一形相である光は、それ自体 で無限に増殖を繰り返し、あらゆる部分に等しく広がっていく。それは、 (第一形相が)後に残すことができなかった質料を、世界の機構ほどもあ る大きな塊へとみずからとともに分散させ、始まりの時間において質料の 広がりをもたらしたのである。質料の広がりは光の有限の増殖ではもたら されえない。というのも、アリストテレスが論証してみせたように、単純 なものの有限の複製では量を生み出すことはできないからだ。有限の量を 生み出すには無限回の増殖が必要になる。なぜなら、なんらかのものの無 限の増殖から生じる産物は、それが生み出される増殖のもととなったもの を無限に凌駕するからだ。加えて、単純なものが単純なものによって無限 に凌駕されることはない。有限な量のみが、単純なものを無限に凌駕する のである。というのは、無限の量をもつものとなると、単純なものを無限 回の無限において凌駕することになるからだ。したがって、それ自体単純 なものである光は、無限回の増殖によって、同じように単純かつ次元にお いて有限の大きさをもつ質料を、必然的に拡張するのである。 # # # 二つめの段落の、sed solum quantum finitum in infinitum excedit simplex、およびQuantum enim infinitum infinities infinite excedit simplexの二つの文ですが、底本での伊語訳では、simplexを対格と取っ ているようです。simplicemという形になってはいないのですが、うー ん、こういう用例があるのでしょうか。いずれにしてもその前後の文意か らすると、そう取らなければ話の整合性がなくなってしまいます。という わけで、ここではとりあえず、その伊語訳に準じて訳出しておきます。 この段落で問われているのは、自己増殖する光がいかにして次元の広がり をもった有限の物体を生成できるのかという問いです。伊語訳注によれ ば、それに答えるべく、グロステストは、単純なもの、有限の量、無限の 量という三つを区別しているのですね。単純なものとは光や第一質料のよ うに次元をもたないものを言います。有限の量とは一般的な物体のことを 指し、これは光の「無限の」増殖によって生じるとされます。無限の量と は、光の「絶対的な」無限の増殖から生じるとされます。このあたりがち ょっとわかりにくいところです。 単純なものについては、たとえば「点」を想像すればよいでしょう。点の 有限量の増殖では、次元を構成するには圧倒的に足りない、とグロステス トは考えているのでしょう。確かに、点に対して立方体はすでにしてほと んど無限のような大きさをなしています。それゆえ、自然界においてはそ うした無限の増殖によって有限の量が作られる、といいうことになるので しょう。では無限の増殖では無限の量にはならないのでしょうか。 無限の量を生じるためには、絶対的な無限の繰り返しで増殖がなされなけ ればならない、と訳注は述べています。ここで言う絶対的な無限というの は、原文ではinfinities infinite、すなわち「無限回繰り返される無限」と いうことで、現代風に言えば「累乗的(指数関数的)」無限ということで す。で、肝心なのは次の点です。すなわちグロステストは、そうした無限 の量が実在しうるとは考えていないようだというのです。伊語訳注による と、グロステストのテキストに明示されてはいないものの、そうした無限 回の無限の反復が生じ得ないのは、光の自己増殖に質料がブレーキをかけ るからなのだろうといいます。かくして世界は絶対的な無限には至らず、 二つの究極の無限性、つまり単純なもの(単一のもの)と無限量との狭間 で「抑制されて」、有限量の世界が成立しているのだ、というのですね。 このあたりも、ベースになっているのはアリストテレスの議論のようで す。この点に鑑みて、本文と合わせ、参考文献も見ていきたいと思いま す。さしあたり参照するのは、ジェームズ・マッケヴォイ『ロバート・グ ロステストの哲学』(James McEvoy, "The Philosophy of Robert Grosseteste", Oxford University Press, 1982(reprint: 2011))で す。これはグロステストの哲学に関するスタンダードな研究書になってい るようです。『光について』は同書の第三部「自然の光」の第一章で取り 上げられています。 そこではまず、『光について』のサマリーが記され、それに続いて出典の 問題、それから創世記とアリストテレス自然学の摺り合わせの問題、グロ ステストのコスモロジーにおけるアリストテレス以外の諸要素について、 というふうに議論が展開していきます。これもなかなか興味深そうです。 私たちが読んでいるテキストの範囲を若干逸脱するかもしれませんが、そ ちらも少しずつ要約していきたいと思っています。これも次回から。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は04月05日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------