〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.267 2014/07/19 *お知らせ いつも本メルマガをご愛読いただき、誠にありがとうございます。本メル マガは原則隔週での発行ですが、例年、7月下旬から8月中旬ごろまで夏 休みとさせていただいております。本年も同様となりますので、次回の発 行は8月23日の予定となります。ご了承のほど、お願い申し上げます。 ------文献探索シリーズ------------------------ 一四世紀の運動論(その2) 前回はテキストと著者の紹介をまとめました。今回からテキストを見てい きましょう。まずはブラッドワーディンの『運動の速度間における数比 論』(以下『数比論』)です。これは序文と四つの章から成っています。 まず序文でブラッドワーディンは、連続的な運動は他の運動に比例する関 係にあるのだから、自然学はその比例関係を無視してはならない、と主張 します。次いで、ボエティウスの名を挙げ、彼が言うようにそのためには 数学の知識が欠かせないと述べ、必要な数学の解説から始めることにする と宣言しています。その後に四つの章の概要が記されています。このあた りは割愛します。 第一章は三つの節(パート)に分かれています。第一節ではまず、「比」 には一般的な意味と固有の意味とがあると述べています。一般的な意味で は、比は比較可能なあらゆる事物に関与し、事物間の大小、あるいは同等 性を表します。固有の意味での比は量にのみ関係し、同種の数量の相互関 係を数字でもって表します。この場合を数比といい、それには整数比の場 合と無理数比の場合が区別されます。前者はたとえば2倍(2 : 1)、3倍 (3 : 1)というふうに割り切れる関係ですが、後者は辺と対角線の関係 や、全音と半音の関係など、割り切れない数比を言います。 続いてブラッドワーディンは、等比と不等比の区分について説明していま す。前者は二つの数量が等しいような相互関係、後者は二つの数量が等し くなることのない相互関係です。不等比においては比べる二つの量のうち いずれかを基準とするわけですが、基準となる側がもう一方の側に対して 大きいか小さいかで下位区分されます。で、これらにはそれぞれ五つのタ イプがあるといいます。基準がもう一方に対して大きい場合で見ておく と、それらは倍数関係、分数関係、ある数と分数からなる関係、分数と倍 数を組み合わせた関係、ある数と分数からなるものと倍数とを組み合わせ た関係、の五つです。 このあたりは中世特有の算術的分け方なのでちょっと面食らいますね。倍 数関係は2倍(2 : 1)、3倍(3 : 1)といった場合なのでよくわかりま す。分数の関係も2分の1(1 : 1/2 = 2 : 1)、3分の1(1 : 1/3 = 3 : 1)などです。ある数と分数の関係というのは、1と2分の1(1 + 1/2 : 1 = 3 : 2)、1と3分の1(1 + 1/3 : 1 = 4 : 3)というような場合です。 大きいほうの数が小さいほうの数を一回分だけ含み、余りがでる場合、と いうふうにテキストでは説明されています。のこり二つは倍数と分数とが 組み合わせられて、より複雑になるケースです。これはブラッドワーディ ンも言うように無限にあるわけですね。また基準がもう一方に対して小さ い場合も、同じく五つのタイプがあることになります。 第一章の第二節では、比例関係についての基本事項が確認されています。 これはボエティウスの『算術教程』『音楽教程』で「メディエタス(媒介 関係)」として示されたものだといいますが、ブラッドワーディンはそこ に新たな定義を付与しているようです。比例関係には一〇種類あるとされ ているのですが、ブラッドワーディンはさしあたり、最も重要かつ有益な 三種類についてのみ解説しています。その三種類とは、(1)算術的比例 関係、(2)幾何学的比例関係、(3)調和的比例関係です。これも私た ちからするとちょっと面食らう分類ですね。 (1)の算術的比例関係というのは、二つの量をとった場合に、量の差が 一定であるような関係をいうとされます。数列でいうならば、3, 2, 1の ような場合です。3と2の差と、2と1の差が、いずれも1で等しくなって います。(2)の幾何学的比例関係というのは、量の差に数比の関係があ るような場合をいいます。数列ならば、4, 2, 1のような場合です。4と2 の差と、2と1の差が、2 : 1の比になっています。(3)の調和的比例関 係とは前二者を合わせたような関係で、三つの量をとる場合についての関 係です、一つめと二つめの量と、二つめと三つめの量の間に、一定もしく は比の関係があるような場合をいう、とあります。数列の例なら6, 4, 3 というような場合です。6と3の間は倍の比になっていて、さらに6と4の 差と、4と3の差も2 : 1の比になっています。 (1)と(2)に関しては、連続的比例関係と離散的比例関係という区別 も設けています。たとえば3, 2, 1との数列がある場合、3と2の差と、2 と1の差を考えるなら、2が両方の項に含まれています。そのように媒介 する項がある場合を連続的比例関係といいます。たとえば4, 3, 2, 1とあ って、4と3の差と、2と1の差を考える場合には、両方に含まれる媒介項 がありません。このような場合を離散的比例関係と称しています。こうし た区分については、アハマド・イブン・ユスフという数学者の『比と比例 に関する小著』という文献が引き合いに出されています。イブン・ユスフ は9世紀から10世紀にかけて活躍したバグダッド出身の数学者です。同著 書のラテン語への翻訳はクレモナのゲラルドゥスが手がけています。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ロバート・グロステストの『光について』(その10) グロステストのこのテキストもいよいよ今回が最後の部分です。さっそく 見ていきましょう。 # # # In supremo autem corpore, quod est simplicissimum corporum, est reperire quatuor, scilicet formam, materiam, compositionem et compositum. Forma autem, utpote simplicissima, unitatis obtinet locum. Materia autem, propter duplicem potentiam illis, susceptibilitatem scilicet impressionum et earundem retentibilitatem, et etiam propter divisibilitatem que radicaliter est ipsius materie que primo et principaliter accidit binario, binarii naturam merito sortitur. Composito vero ternarium in se tenet, quia in ea patet materia formata et forma materiata et ipsa compositionis proprietas que a materia et forma alia tertia reperitur. In composito quoque forma, materia et compositio et quod est compositi preter hec tria proprium sub numero quaternario comprehenduntur. 至高の物体、つまりこの上なく単純な物体には、次の四つが認められる。 すなわち形相、質料、配列、複合体である。形相は最も単純であることか ら、一性の座を獲得する。質料はその二重の潜在性、すなわち刻印の受容 性・保持性と、二の数を生じせしめる分割可能性−−それはその質料の根 本にあって、ゆえに一義的かつ主たるものだが−−ゆえに、しかるべく二 という性質を獲得する。配置は三の数をみずからのうちにもつ。というの も、そこには形相を付された質料と質料を付された形相があり、さらには 質料や形相に対して別の第三項として示される、配置の固有性があるから だ。複合体においては、形相、質料、配置のほか、さらにそれら三つのも のとは別に構成された固有性が、四の数のもとに含まれている。 Est ergo in primo corpore, in quo virtualiter sunt cetera corpora et ideo radicaliter numerus ceterorum corporum, denarium invenire. Unitas namque forme et binarius materie, et tenarius compositionis et quaternarius compositi cum aggregantur denarium construunt. Propter hoc est denarius numerus corporum spherarum mundi, quia sphera elementorum, licet dividatur in quatuor, una tamen est participatione nature terrestris corruptibilis. したがって、潜在的に他の物体を含み、ゆえに根本的に他の物体の数を内 包する第一物体には、一〇の数が見出される。形相が表す一、質料が表す 二、配置が表す三、複合物が表す四が合わさると、一〇が得られる。ゆえ に、一〇の数は世界の諸天球を表す数なのである。元素の球は四つに下位 区分されるにしても、それ自体は一つであり、可滅的な土の本性に与って いるからである。 Ex hiis etiam patet quod denarius sit numerus universitatis perfectus quia omne totum et perfectum aliquid habet in se sicut formam et unitatem, et aliquid sicut materiam et binarium et aliquid sicut compositionem et ternarium et aliquid sicut compositum et quaternarium. Nec contingit ultra hec quatuor quintum addere, quapropter omne totum et perfectum est decem. Ex hiis autem manifestum est quod sole quinque proportiones reperte in his quatuor numeris unus, duo, tres, quatuor aptantur compositioni et concordie stabilienti omne compositum. Quapropter ille sole quinque proportiones concordes sunt in musicis modulationibus et gesticulationibus et rithmicis temporibus. 以上のことから、一〇が世界の完全数であることは明らかだ。というの も、全体的で完全なものはすべてみずからのうちに、形相および一性に類 するもの、質料および二の数に類するもの、配置および三の数に類するも の、複合体および四の数に類するものを有するからである。これら四つ以 外に、五つめが加えられることはない。全体的で完全なものはいずれも一 〇の数をなすからだ。またそれゆえに、一,二、三、四の四つの数の間に 見られる五つの比率だけで、配置と、あらゆる複合体を支える調和との一 致がもたらされる。音楽の旋律、[踊りの?]動作、リズムが、そうした 調和の五つの比率のみで成っている所以である。 # # # この最後の箇所は、いわゆる古代の秘数論的な伝統に沿った話になってい ます。もとになっているのは、言わずと知れたピュタゴラス派の伝統です ね。底本の注釈を再び参照すると、物体に認められる四つのアスペクトの うち、「形相」(つまりは光なのでした)と「質料」の次に挙げられてい る「配置」(「構成」と訳すほうが良いのかもしれませんが)は、いわば 類としての(つまり種でも個でもない)複合体のことだと解釈していま す。それはまた、三次元を与える、空間に位置づけるということでもあ る、ともいいます。さらに四つめの「複合体」は、かくして出来上がる完 全なる物体を指すとしています。 数字のシンボリズムについては、マルティアヌス・カペラの『メルクリウ スとフィロロギアの結婚』が下敷きになっている、と底本の解説はコメン トしています(カペラのテキストをすぐに参照できないので、個人的には 未確認です)。一方でそうしたシンボリズムへの言及は、グロステストの ほかのテキストにはほとんど見られないものなのだとか。思うにこれは、 続く段落に見られる、完全数の10と一〇個の天球(元素の球は「可滅 的」という性質ゆえに一まとめにされています)との照応を導くために、 あえて言及しているのかもしれません。それにより、世界の一体性がさら に強調されるという感じでしょうか。 次の段落では、完成したあらゆる物体がその完全数をおのれのうちに併せ 持っているとし、1から4までの数の間の比率(1 : 2、1 : 3、1 : 4、2 : 3、3 : 4の五つ)が、その物体を支える調和のもとになっている、として います。これら五つの比率は、それぞれ音楽で言うところのオクターブ、 オクターブ+五度、二オクターブ、五度、四度に相当します。 で、この比率もまた古代からの伝統に立脚しているわけですね。ボエティ ウスの『音楽教程』には、上の比率(ここでは分数の形にしておきます) はすべて他のいずれかの掛け合わせで導かれることが示されています。た とえば1/2 = 2/3 x 3/4ですし、1/3 = 1/2 x 2/3、1/4 = 1/2 x 2/3 x 3/4となります。グロステストが論考の末尾にこうした数字のシンボリズ ムを置いていることを、底本の注釈では、当時の中世思想の後景をなして いた共通のテーマへのオマージュとして読み取っています。と同時に、そ れまでの視覚的イメージの後に、末尾としてこの聴覚的イメージをもって きたところに、視覚と聴覚との一体性としての調和というテーマが盛り込 まれている、ともコメントしています。視覚と聴覚の調和というテーマ は、もともとファーラービーの感覚論に祖型があるようで、同注釈ではそ の『学知の起源』の一節が引かれています。視覚と聴覚の二つの感覚に振 る舞いが従属することが示された箇所です。 * さて、今回はグロステストのこのテキストの最終回なので、並行して読ん できたマッケヴォイ本をもとに、これまでの全体像のまとめをしておきた いと思います。まず重要なことは、アリストテレスやアヴェロエスとは異 なり、グロステストが世界に始まりがあることについて揺るぎない確信を もっていることです。それはつまり、確固たる創造神の存在が前提になっ ているということです。ゆえにとりわけ『創世記』が重んじられているの でした。さらにその創造神は、数学的な計算者としての神と見なされてい ます。これがグロステストにおける独特な見識だというのは前に見た通り です。とはいえこれも、マッケヴォイが言うように、神における無限の力 と賢慮という従来の教義を、数学的・計測的な知性という形で読み替えた 結果であり、その意味では伝統に則ってそれを拡張したにすぎないのかも しれません。 もう一つ重要なポイントは、グロステストがアリストテレス流の質料・形 相の二元論ではなく、光(=数)にもとづく一元論的な世界観を示してい ることです。これもまた聖書への信仰がベースになっているとされます が、同時に新プラトン主義的な流出論などの伝統が影響しているといいま す。いずれにしても、同じ原理が天上世界・地上世界の区別なく適用され るという近代科学のスタンスは、そうした一元論的な世界観に胚胎してい たと見るのは、あながち間違いではなさそうに思われます。 ですが注意も必要です。一般に、近代科学の起源はアリストテレスよりは プラトン主義の伝統にあるというのが、科学史的には支配的な見方なのだ とされるようです。確かにプラトン主義は数学を重視する立場だったわけ ですが、マッケヴォイも指摘するように、近代科学へといたる過程で、そ うした思想的伝統は数々の拡張や独自の修正を経てもいるわけで、プラト ン主義が近代科学を導いたなどと一概には言えないというのがやはり実情 のようです。同じように、グロステストをもってして近代科学の始祖のご とくに見なすのもやはり無理がありそうです。とはいうものの、グロステ ストの立ち位置はとてもユニークで、後世、とくに一四世紀ごろの数学的 議論の発展に際して大きな影響を及ぼしたのもほぼ間違いなさそうです。 * 今回のこの文献購読シリーズは、テキストの底本の注釈とマッケヴォイの 研究書をなぞるだけに始終してしまった感が強く、それが反省点として残 りますが、それでもグロステストの独特なスタンスを少しばかり味わうこ とはできたように思います。見逃せない点として、グロステストの議論 に、異教的な思想、あるいは古代の思想の伝統が色濃く影響していた点が 挙げられます。そうした古代からの思想の命脈については、また別の角度 からもアプローチしてみたいところです。その意味で、たとえば「懐疑 論」の系譜などはとても面白そうなテーマだと言えます。というわけで次 回からは、懐疑論の流れを中世に伝える論者の一人、ゲントのヘンリクス を取り上げてみたいと思っています。夏休み明けになりますが、またしば しお付き合いのほど、お願い申し上げます。 *本マガジンは隔週の発行ですが、夏休みのため、次号は08月23日の予 定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------