silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.274 2014/11/15 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 一四世紀の数比論(その9) トマス・ブラッドワーディンの『数比論』を見ています。ブラッドワーデ ィンは第三章で、「運動の速度は、駆動力と抵抗力の比に依存する」とい う自説を立て、それに対する反論をいくつか検討していました。続く第四 章では、速度と移動空間(走行距離)の関係を取り上げています。仏訳の 訳者であるロムヴォーの解説によれば、速度を原因の側面から考えていた のが第三章の比の問題で、第四章では速度を効果の側面から考えているの だといいます。考察の対象として取り上げているのは回転運動(周回運 動)です。ブラッドワーディンはまず、エウクレイデス(ユークリッド) の『原論』からいくつかの前提を拾い上げ列挙していきます(第四章第一 節)。回転運動を取り上げるので、主に円や球の計算に関する原理が取り 上げられています。 次に今度はいくつかの説を取り上げて検討ながら自説を開示していきます (第二節)。回転運動における速度とは、動体が所定の時間にどれだけの 空間を移動したかによって計られる、というわけなのですが、その場合の 空間とは、現実の空間でも想像上の空間でもよいとされ(ロムヴォーの解 説によれば、想像上というのはつまり恒星天の運動などを想定していると のことです)、また、そこで速度の計算の観点から考慮されるべき空間 は、立体でも平面でもなく線として考えなくてはならないとしています。 さらにブラッドワーディンは、その場合の空間とは動体の一点が移動する 距離だと考えています。ロムヴォーの注によると、これはブリュッセルの ジェラールという一三世紀の幾何学者への反論なのですね。そちらの説で は、速度は動体の移動開始時から移動終了時までの移動距離の全体に依存 するとされます。つまり、円運動ならば半径をなす直線が回転移動した面 積全体ということになります。ブラッドワーディンはそれでは正しい比の 関係は得られないとして、弧の上を移動する点の距離で速度を考えます。 このあたりもすこぶる合理的です。そこからブラッドワーディンは、いく つかの結論を導いていきます。たとえば弧を描く運動においては、その速 度が半径に比例することなどです。基本的には幾何学の原理でもって処理 されています。 最後の部分(第四章第三節)では、ちょっと唐突ながら、四元素間(火、 空気、水、土)の比例関係という話に入ります。この比例関係というの は、どうやらそれぞれの元素に対応する天球(いずれも月の下側にあると されます)の比例関係を言うようで、それぞれの天球の直径や大きさが問 題になっています。本筋である速度の比からはややずれる議論ですが、オ レームやブラシウスが注解として取り上げているように、自然学的にはと りわけ重要な部分かもしれません。 ブラッドワーディンはまず、火・水・空気・土の四元素(の球)が連続し た一定の比の関係をもっていると述べています。ここで依拠するのは、九 世紀のイスラム天文学者、アル・ファルガーニーの理論です。この人物は 地球から月までの最短距離が、地球の直径の半径の三三倍強であると主張 しました。ブラッドワーディンもこれをほぼ踏襲し、やや大まかに月下世 界の最上部の球と地球との半径の比を33 : 1と規定しました。ここに、球 体同士の体積の比はそれぞれの直径(または半径)の比の三乗になるとい う幾何学的な原理を適用すれば、月のある天球と地球との体積比が計算で きることになります。33の三乗は35937ですから、その球と地球との体 積比は35937 : 1になるというわけですね。 さらにブラッドワーディンは、これをもとに、その四つの元素の球それぞ れが占める割合を概算します。少しややこしい話になっていますが、元素 のそれぞれも一定の比をなしている、というのが前提です。地球を1、つ まり単位とした場合、月の球は35937単位あることになります。つまり 四つの元素の割合もそれぞれ1単位から35937単位の範囲内にあると考え て差し支えありません。ここでブラッドワーディンは、上の33から数字 から一つ引いた32の乗数を考えます。それらは順に1、32、1024、 32768となりますが、これらすべてを足し合わせても33825となって、 33の三乗である35937を越えません。全体の単位内に収まっています。 一方で、33の乗数を同じように足し合わせると、もちろん35937を越え てしまい、全体の単位を越えてしまいます。ですから四つの元素それぞれ が占める割合は、32 : 1よりも大きく、33 : 1よりも小さい、と大まかな 推測ができます。 同じように、火の球と残りの三つ元素を含む球との比も大まかに推測でき ます。火の球は月下世界で一番大きな球とされます。上の推察から四元素 の比が32 : 1と33 : 1の間にあるとされたことから、下位の三つの元素の 球は1057(1 + 32 + 1024)と、1123(1 + 33 + 1089)の間にある ことになり、したがって火の球と他の三つの元素の球との比は、31 : 1よ りも大きな32768 : 1057を上限とし、また32 : 1よりも小さな35937 : 1123を下限とする範囲にあることになります。 この計算から、地球の中心から空気の球(火以外の三元素を含む球)への 大まかな距離も計算できます。上の推測から、その大きさは地球に対して 1057 : 1より大きな比をなしています。したがって、直径の比はその三乗 根よりも大きいということになります。ブラッドワーディンはこの 1057 : 1が1000 : 1の比よりもやや大きいことに注目します。つまりそ の球の直径の比は、10 : 1(1000 : 1の三乗根ですね)よりも多少とも 大きいことになります。つまりそれは、10 : 1よりは大きく、1057 : 1 よりは小さいわけですね。では11 : 1と比べるならどうでしょうか。どう やらそれは11 : 1よりも小さくなりそうです。したがってその空気の球の 直径は、地球の直径の10倍よりは大きいものの、11倍よりは小さいとの 見当がつきます。一連の推論の妥当性そのものは脇に置いておくとして、 このあたりの発想は、どこかフェルミ推定(実測できない数量を概算する 方法。たとえばこちらを参考に→http:// readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-751.html)を思わせる ものがありますね。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ゲントのヘンリクスの学知論(その7) 『スンマ』の問一の続きです。学知はありうるかという問いに否をつきつ けた古代の論者たちの誤謬について、ヘンリクスが語っている箇所です。 いきおい、内容がドクソグラフィ(諸学説の記述)的になっていきます。 ではさっそく見ていきましょう。 # # # Eorum autem contra quorum errones disputat Philosophus in IV Metaphysicae, quidam diecebant quod omnia essent falsa, quidam vero quod omnia essent vera, alii vero quod omnia essent vera et falsa simul. Eorum vero qui decebant quod omnia essent falsa, quidam rationem opinionis suae acceperunt ex parte rei, ut Anaxagoras et Xenophanes, qui dicebant quod "omne esset admixtum cum omni", quia videbant omne fieri ex omni, "et illud mixtum dicebant esse neque ens neque non ens, et quasi neutrum extremorum, sed medium per abnegationem inter ipsa", et ideo impossibile esse ut aliquid aestimetur vere, sed quod omnes aestimationes essent falsae, et quod sic non esset scientia de aliquo, quia scientia solum verorum est, ut dicitur I Posteriorum. 哲学者が『形而上学』第四巻で誤りであると論難している者たちのうち、 ある人々はすべては偽であると言い、ある人々はすべては真であると言 い、またある人々はすべては真であると同時に偽でもあると述べていた。 すべては偽であると言っていた者のうち、ある人々は、自分たちの見識は 事物によって正当化されると述べていた。アナクサゴラスやクセノファネ スがそうで、彼らは「すべてがすべてと混合しうる」としていた。なぜか といえば、あらゆるものがあらゆるものから生じているように彼らには思 えたからであり、「そうした混合物は存在するとも存在しないとも言え ず、端部のいずれでもないが、否定を通じてそれらの中間をなしてもい る」と述べている。したがって、なんらかの事物が真と判断されることは ありえず、すべての判断は偽であり、したがって何かについての学知でも ありえない。なぜなら、『分析論後書』第一巻が述べるように、学知とは 真である学知のみだからだ。 Isti errabant non distinguendo ens in potentia ab ente in actu. "In potentia enim contraria et contradictoria sunt simul, non autem in actu". Circa entia enim in actu solummodo est distinctio contrariorum et contradictoriorum, quod scilicet aliquid sit determinate hoc et non illud, per quod est determinata veritas et scientia de aliquo, quod sit ipsum et non aliud. Alii vero dicebant quod omnia essent falsa, sumentes rationem suam ex parte sensus, ut Democritus et Leucippus, qui dixerunt quod "idem sentitur a quibusdam quidem dulce et a quibusdam amarum", et quod "isti non differunt nisi secundum multitudinem et paucitatem, quia scilicet illi quibus videtur dulce sunt plures et sani, quibus vero amarum, sunt pauci et infirmi". Nihil ergo, ut dicebant, est in rei veritate determinate tale vel tale, immo quodlibet nec tale est nec tale, et sic nihil est verum, sed omnia sunt falsa, et non est omnino scientia. "Causa erroris istorum erat quia aestimabant quod intellectus et sensus idem essent et scientia a sensu comprehenderetur. Unde cum eis visum fuit quod sensibilia diversam habent dispositionem apud sensum nec aliquid certi sentiretur, crediderunt quod nec aliquid certe sciretur". それらの人々は、可能態の存在者と現実態の存在者とを区別しなかったこ とで誤ったのだ。「可能態においては、反するものや矛盾するものも同時 にありうるが、現実態ではそうはいかない」からだ。現実の存在者につい てのみ、反するものや矛盾するものの区別がある。いかなるものも「そ れ」ではない「これ」として限定されるからであり、それゆえに、「その ものであって他のものでない」と限定された真理・学知があるのである。 また別の人々は、感覚によって正当化できるという意味で、すべては偽で あると述べていた。デモクリトスやレウキッポスがそうで、彼らは「同じ ものが人によって甘いと感じられたり苦いと感じられたりする」とし、 「だがそれは多数か少数かだけの違いである。なぜならそれを甘いと思う 者は多数いて健全であり、苦いと思う者は少数で病んでいるからだ」と述 べている。したがって事物においてはなんら「これこれとして」限定され てはおらず、どの事物も「あれでもなければ、これでもない」のであっ て、かくして何ら真ではなく、すべては偽であり、全体として学知もな い、と彼らは言う。「それらの誤りの原因は、知性と感覚を同一であると 判断し、学知が感覚によって得られると考えたことにある。そのため、知 覚対象には感覚における多様さへの傾向があり、何も確かなこととして感 じられないと考えた彼らは、何かを確かなこととして知ることもないと信 じてしまったのだ」。 Horum opinioni annexa fuit opinio Academicorum, de qua dicit Augustinus quod "affirmabant ab homine nihil veri aut certi percipi posse", non tamen hominem debere cessare a veritatis inquisitione, veritatem autem dicebant aut solum Deum nosse aut fortasse animam hominis exutam corpore, et quod hoc intendebat de rebus tantum quae pertinent ad philosophiam, de aliis autem non curabant. こうした見識にはアカデメイア派の見識も関係していた。それについてア ウグスティヌスは「彼らは、いかなるものも人間によって真または確かな ものとして認識されえないと主張していた」と述べている。とはいえ、彼 らは人間は真理の探究を辞めるべきではないとしていた。一方で彼らは、 真理とは神のみぞ知ること、あるいはおそらく肉体を離れた人間の魂が知 ることであると述べ、しかも哲学に関係する事物のみを念頭に置き、それ 以外のことを気に留めてはいなかった。 # # # アナクサゴラスは、物体は限りなく微細な構成要素にまで分割でき、その ような微細な要素が混じり合ったカオス状態から、ヌース(知性)が分類 整理を行うことで世界が形成されていくという開闢論を唱えていたとされ ます。「すべてはすべてと混合する」という話(出典はアリストテレスに よる記述?)はおそらくそのあたりから生じているのでしょう。そうした 混合物(つまりはあらゆる事物)は在るとも無いとも言えないような中間 状態だと考えるしかなく、ゆえに真なるものとは捉えられない、したがっ て確かな学知にはいたらない、という議論が導かれるということなのです が、ヘンリクスはこれに、可能態と現実態の区別にもとづく反論を突きつ けています。現実態である限り、それはそのものとしての限定を受けてい るのですから、中間状態のようなものではありえない、というわけです ね。続くデモクリトスやレウキッポスも原子論者ですが、ここではむしろ 感覚の不確かさを強調した例として取り上げられています。これについて のヘンリクスの議論は次回分になります。 さて今回も、照明説へと向かうヘンリクスの歩みの続きを、引き続きマロ ーネ論文で見ておきましょう。ひとたび心的な概念(または言葉)が形成 されると、第二の形象(これもスペキエスと呼ばれますが、アリストテレ ス的なものではありません)もしくは「神の技法」(あるいは範型)が、 上位の照明として精神のうちに注がれ、かくして神が駆動する新しい刻印 でもって、その概念はいわば再配置されることになる、というのがヘンリ クスの唱える照明説です。その段階では、外的な現実、人間知性、そして 神的な範型が調和の取れた結びつきをなし、創造の真理の意味が開示され るのだというのですね。 ヘンリクスが『スンマ』の冒頭部分を最終形として記すのは1276年以降 で、その後は認識論的図式を全体として議論することはなかったといいま す。とはいえ後期の著作でも、真理の獲得問題、学知の理論的基礎につい ての探求は継続されているようです。論文著者のマローネが興味深い点と して挙げているのは、ヘンリクスがその思想的な成熟期において、比較的 初期のころからのアウグスティヌス的な照明説に結びついた学知論を顧み ることはせず、むしろアリストテレス的な側面をより明確化し拡大する方 向に向かっていることです。 たとえばそれは、真の知識と真理についての知識との区別などに顕著に表 れているといいます。『スンマ』冒頭などにおいては、両者の区別はあま りはっきりしていませんが、後期になるとヘンリクスはそのあたりを深化 させ、アリストテレスのモデルをもとに、より斬新な独自の考え方を打ち 出すようになるのだとか。その転換点に位置するのが、『スンマ』の第三 四節であるとマローネは考えています。1279年から80年ごろに書かれた とされるその箇所では、「真理」についての詳細な議論が展開しているよ うで、「しるし」の真理を担保する「概念」とは何かが問われるようにな るといいます。これもまた面白そうな部分ですね。 いずれにしてもヘンリクスは、マローネによるとここで三つのシフトを果 たしているらしいのです。一つめは、それまで上位の学知に認めていた、 対象物の「何性」(つまりは本質)の把握を、下位の知にも認めているこ と。二つめはスペキエス(可知的形象など)を捨て、むしろ概念(あるい は心的な言葉)を取り上げて、精神的な認識プロセスを描こうとし、概念 が下位の知から立てられるようになったこと。三つめが、照明説に訴える 必要がなくなったことです。マローネの論考は、このように『スンマ』に 見られる内部的な齟齬を、『スンマ』を書き進めるうちに生じていったヘ ンリクスの思想的変化(アリストテレス化?)として捉えている点がとて も興味深いところです。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は11月29日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------