silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.299 2015/12/19 ============================== *お知らせ 今年も本メルマガをお読みいただき、誠にありがとうございました。例年 通り、年末年始はお休みとさせていただきますので、次号は年明け1月9 日の発行を予定しております。来年もどうぞよろしくお願いいたします。 ------文献探索シリーズ------------------------ パリ大学規約をめぐる諸問題(その17) 規約の第六章の糾弾対象が誰なのかを探るなかで、今度はリミニのグレゴ リウスの名前で挙がってきました。オートレクールのニコラが、グレゴリ ウスの一派のいわば「贖罪の山羊」として糾弾された(ほかの人々が糾弾 されないように)、という説があるようなのですが、このあたりの事情を パケは探っていきます。本メルマガでも以前取り上げたことがあります が、リミニのグレゴリウスといえば、複合的意味対象(complexe significabile)という概念でつとに知られています。これはどういうもの かといえば、参照しているピケのまとめによると、当時の実在論と唯名論 の一種の折衷案にほかなりません。 命題の項をなす名辞は、事物の「事態(在り方・扱われ方)」を指してお り、つまりは普遍の実体を指すのでもなく、また純粋な概念を指すのでも ない、という考え方です。唯名論では、命題の項のうち、個々の事物を指 すのでないものは「何も指していない」とされます。それに対して、複合 的意味対象の考え方では、それが命題に置かれているならば、そのこと自 体によって表象は変化し、もはや言葉が単独で意味する場合とは同じでは ありえず、命題の中での「事態」(つまりその項の扱われ方)の意味を担 っているとされるのですね。 たとえば「人間は動物である」、「人間はロバではない」という命題があ ったとき、唯名論によれば、どちらの「人間」も個物を指してはいないの で、指す対象は何ものでもない、ということになります。あえて指すもの があるとすれば、それは人間という概念、心的な表象です。一方、複合的 意味対象では、両者の「人間」は区別されなくてはなりません。前者の命 題では「人間が動物であるという事態」を、後者は「人間がロバではない という事態」を表現しているからです。前者は「動物であるという意味で の人間」、後者は「ロバではないという意味での人間」を指します(当然 ながらこの議論は、以下に見るように、ビュリダンなどの唯名論者から 散々な批判を受けます)。 さて、ではこの場合、その複合的意味対象が指す「事態」とは、厳密に言 って「何か」でありうるのでしょうか、それとも「無」でしかないのでし ょうか。パケは、事態とは命題と個物のいわば中間的なものであり、無で はなく、何ものかをなしていると見ています。ですが、規約の第六章がグ レゴリウスの教説を批判したものだとする説では、複合的意味対象は 「無」をなしているということが前提となっているわけです。 パケの見立てによれば、グレゴリウスは、意味の対象が心的な概念なの か、外部世界に実在するのかといった二項対立を、「直観的に」斥けてい るといいます。はるか後世にカントが示した「見かけ」と、それ自体を表 象することができない事物との対立関係の先取りにも似て(あるいはさら に後年の、ハイゼンベルクの不確定性理論にも似て?)、複合的意味対象 は一種の見かけであるとともに、表象不可であるはずの外的事物を指して もいるという、きわめて曖昧な概念装置をなしているようなのです。どち らか一方に回収されずに、つねに宙づりの状態で両方に足をかけている中 間物、といった感じでしょうか。ですがまさにその中間性ゆえに、このグ レゴリウスの教説は、対立する両者をともに否定しているようにも受け取 られ、その意味でまさに「無」を指し示しているという印象に、絡め取ら れてしまったかのようでもあるのですね。 ビュリダンなどは、「事態」概念は用いても、そういう中間的なもの、心 的表象と外的事象とに足をかけているようなものを認めません。ビュリダ ンは「事態」をも心的表象の側に完全に取り込もうとします。たとえば 「神は存在する」という命題での「存在する神」という事態は、「神」の 概念そのものとイコールであるとして、その心的表象と完全に一致すると 見なします。オッカムの場合も、もとより節約の原理(余計なものを仮構 しない)があるわけですから、中間的な存在は即否定されてしまいます。 ビュリダンは、複合的意味対象を事態に結びつけることはせず、命題で指 示される個物(神すらそれに含まれます)にのみ結びつけて考えていま す。 規約の起草者とも目されるビュリダンとリミニのグレゴリウスの間には、 このように複合的意味対象をめぐる顕著な議論の相異があり、対立関係を なしていることが窺えます。さて、すると今度は先のオートレクールのニ コラと、リミニのグレゴリウスの思想的関係性が問題になってきます。少 なくとも上に挙げた説では、ニコラはグレゴリウスの議論の「贖罪の山 羊」にされたと言うのですから。この話、もう少し長くなりそうなので、 それはまた次回に。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ パドヴァのマルシリウスによる政治論(その9) 『擁護者小論』から、政体論を扱っている第一二章を見ています。さっそ く今回の箇所(第三節)を見ていきましょう。 # # # Certum est autem, quod omnes potestates illius temporis principabantur auctoritate Romamorum, iuste, non tyrannice, aliter enim non admonuisset Christus et apostoli praefati omnes alios sibi in principatu subesse debere, non obstante quod Romanus populus et eius princeps ac alii princeps per universum ab eis instituti essent in fideles. Ex quo sequitur, quod unum imperium et iustum fuit et esse potest apud infideles. Unde Apostolorum etiam Actuum 25 : "Caesarum apello; ad tribunal Caesaris sto; ibi me iudicari oportet." // だが、現世のすべての権限が、公正に、暴政的にでなく、ローマ人の権威 の支配下にあることは確かである。というのも、さもなくば上述のキリス トと使徒たちは、他の者たちを自分たちの統治に従属するよう促すことは できなかっただろう。とはいえ、ローマの市民とその君主、さらに彼らに よって定められた世界中の他の君主たちは異教徒だった。そこから導かれ るのは、公正な帝国は異教徒のもとにあったし、今でもそうありうるとい うことである。そのため、使徒行伝の二五章にはこうある。「私は皇帝に 訴えます。私は皇帝の法廷に立っています。そこで私は裁かれなくてはな りません」。// // Nec tamen latebat Apostolum, quod Caesar et principantes qui erant in Ierosolima auctoritate sua tunc erant infideles. Nec obstat, quod quidam dicunt, quod Romanum dominium tam populi quam eius principis violentum fuerit et ex violentia ortum habuerit. Nam quamvis Romanus populus aliquos malignos iniuriose et barbarice vivere volentes quandoque coegerit, non tamen universas provincias aut earum valentiores partes per violentiam sbudiderit. Quinimmo plures provinciae considerantes bonitatem regiminis Romanorum, tranquille atque pacifice vivere volentes, propter earum evidentem utilitatem, elegerunt se sponte subiicere atque custodiri per Romanum populum et ipsius principem supradictos. // この使徒は、みずからの権威でエルサレムにいた皇帝や支配者が異教徒で あることを知らないわけではなかった。だがそれでも、ローマの支配は市 民についてもその君主についても、暴力的になされ、暴力によって始まっ たと述べる人々もいた。というのも、ローマ市民はときに、不正かつ野蛮 に暮らそうとする悪しき民を力でねじ伏せてきたからだ。ただしすべての 州やその最も卓越した部分を暴力で従属させてきたわけではない。それど ころか、多くの州はローマの軍を良きものと考え、穏やかに平和な暮らし を望み、自分たちにとって明らかに有益であることから、みずから進んで 従属し、ローマ市民と上述のその君主による保護下に入ったのである。/ / // Unde Machabaeorum primae 8 scribitur, de Iuda Machabaeo et fratribus eius et toto populo Iudaico, quod sponte subdiderunt se in amicitiam sive regnum Romanorum, quod similiter est de reliquis mundi provinciis aestimandum, et reperitur, ut diximus supra, per chronicas sive historias a fide dignis scriptoribus recitatum, et per sacram Scripturam testimoniis Christi et apostolorum praedictis amplius et certius confirmatum. それゆえ、『マカバイ記』第一書八章には、ユダ・マカバイとその兄弟、 すべてのユダヤの民について、彼らが進んでローマ人の友情または統治の もとに従属したと書かれている。残りの世界の各州も同様であると考えら れ、上で述べたように、そのことは信じるに値する著述家によって語られ た年代記ないし歴史書でも参照できる。また、聖書もそのことを、上述の キリストや使徒の証言により、いっそう確かに確認することができる。 # # # 今回の末尾に出てくる『マカバイ記』は、カトリックでは旧約聖書の第二 正典に含め、プロテスタントでは外典に含めている文書ですね。ユダヤ人 がセレウコス朝に対して反旗を翻したマカバイ戦争(紀元前167年)につ いて記された書で、主人公となるのが、その戦争の名前の由来にもなって いるユダ・マカバイです。出典とされる第一書八章は、ローマ人を讃えた 箇所で、ユダ・マカバイが使節を派遣して和平条約を結ぶ話が描かれてい ます。 ローマによる支配が必ずしも暴力的でなかったというあたりの議論は、今 風に考えればどうかとも思うのですが、重要なのはそこではなく、教会の 支配が世俗的な権力の支配とまったく別筋であるという議論が、今回の箇 所からも窺えることのほうでしょう。マルシリウスの議論において、この 両者の完全な分離はまさに肝の部分になっているようなのです。 少し前に英語論文を取り上げた将基面貴巳氏は、著書『ヨーロッパ政治思 想の誕生』(名古屋大学出版会、2013)で、この教会支配と世俗的な支 配の分離を歴史的文脈に位置づけています。同書によれば、一四世紀初頭 から「教会と国家」の分離が「本格的な理論化の対象になっていた」(p. 150)とされます。それはたとえばダンテに見られ、そちらでは「聖俗両 権が質的にまったく相異することが強調されている」(同)といいます。 世俗権力は宗教的権力から完全に切断されるというやや過激な議論です が、ダンテの場合は神学や法学の本格的な訓練を受けていないことも手伝 って、実に斬新なものになっているのですね。 同じことはマルシリウスも言えそうです。ただマルシリウスの場合は、宗 教的権力には強制力がないとして、「祭司部門は政治共同体内部の一機関 として位置づけられる」(p.166)としているところに特徴があるとされ ます。世俗権力の側に宗教的権力が従属するという関係は、それ以前の、 とくに教会絶対主義者たち(たとえば代表格としてエギディウス・ロマヌ スなどが挙げられています)の見解、つまり世俗の国家は教皇に支配され なくてはならないという図式と、まったく逆をなしているわけです (同)。 マルシリウスの政治論は、従来アリストテレスの所説との絡みで論じられ てきたわけですが、同書によれば、そこにもう一つの流れとしてキケロの 政治論の影響があるといいます。ここで言うキケロの議論とは、政治共同 体の成立を、「言語コミュニケーションの結果、その意志にによって自発 的に共同生活に入った」(p.169)とする立場のことです。言語による和 解こそがポイントになり、これをもとにマルシリウスは、「同意」を共同 体の靱帯と見なすようになった、という次第です。 そうした観点から同書では、マルシリウスはアリストテレス的な観点(自 然の衝動によって共同体が発生する)や、伝統的なアウグスティヌス的な 議論(原罪によって利己的になった人間には、秩序ある生活のために必要 悪としての政治的権威が必要とされた)とは袂を分かっているとされてい ますが、個人的にはむしろ、それらの伝統は相互に補完する形でマルシリ ウスに流れ込んでいるようにも見えます。 そして気になるのが、例によってアヴェロエス思想の影響ですが、これに 関して同書は直接的には取り上げていません。マルシリウスがアヴェロエ スを典拠として明示しているのは二箇所しかないのだそうで(これは後で 確認したいと思いますが)、そもそも中世ヨーロッパの政治思想の著作が イスラムのものにはっきり言及するのはまれで、そのためイスラム的起源 に関する研究が進んでいないのだと述べています(p.174)。ただ、一二 世紀ごろからある医学と政治思想の結びつきという話に関連して、人体と 政体のアナロジーを扱った文書はいくつかあるといい、アラビア起源とさ れる偽アリストテレス『秘密の秘密』、あるいはファーラービーの『箴言 集』などが挙げられています。やはり医学がらみで、医学占星術の連関な ども指摘されていますね。そうしたイスラム世界の諸系譜を辿ることが、 これからの研究アプローチの鍵になるかもしれない、というわけです。そ のあたり、なかなか面白そうです。 *本マガジンは隔週の発行ですが、年末年始はお休みを挟みますので、次 号は01月09日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------