silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.312 2016/07/02 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 唯名論の行方(その9) 前回見たように、有用性→必然性→存在論という推論の連鎖の最初の部分 を否定するフィールドですが、実は次の必然性(数学的実体の)について 否定していくことこそその議論の本筋になります。ですがどうやらこれは 詳しくは未収録の「本文」で展開されるようで、序文においてはそのさわ りを示すにすぎないようです。ですがとりあえず順を追って見ていくこと にしましょう。 (以下はちょっと込み入った話になっています。まとめているこちらも、 きちんと把握できているのか少し心許ないのですが……。そんなわけで、 以下の部分は、多少とも誤解が生じている可能性もあることをご承知おき ください。)唯名論的主張から成る集合をNとし、数学理論の集合をSと します。N+SはNの保存性を高めるためにSを加える拡張だとします。す るとNは抽象的実体の存在を認めませんから、N+Sは整合性を欠いた集合 になってしまいます。 フィールドはこれをより厳密に検証します。まず「xは数学的実体であ る」という述語をM(x)で表し、任意の唯名論的主張Aに対して、~M(x) (「xは数学的実体ではない」)が成立する主張、つまり数学的実体でな いものを含む主張をA*と表します。するとそうした主張の集合であるNに 対しても、~M(x)であるような主張の集合N*を仮構することができます。 フィールドによれば、このN*はいわば「Nの不可知論的な内容」だといい ます。つまり、Nが「すべての対象について、なんらかの法則を示す」主 張の集合だとすると、N*は「数学的実体でない対象を含むすべての対象 について、なんらかの法則を示す」主張の集合ということになり、制限が 加わったことによって、その法則に従わないなんらかの数学的実体があり うることが示唆されます。N*はすでにしてNの単純な裏返しというわけで はないのですね。 次に数学理論の集合Sですが、Sが単純にたとえば集合以外の要素をも含 む集合であるなら(前回見たような、純粋数学でないなら)、Sを量化子 などで制限する(「すべての○について」「任意の○について」といった 条件を設定する)ようなことは不要です。Sの数学理論が、たとえば数の 理論(集合の理論とは別の)などをも含むのであれば、「xは数である」 をなんらかの論理記号で表し、それを取り込んだ式を記して制限をかけな くてはならなくなりますが、理論で使われるすべての実体が数学的なもの とは限らないのはごく常識的なことで、Sはもともとそのような外的要素 を含んでいるという前提がある、とフィールドは考えています。 さて、これらを前提として、フィールドは次のような定式化を考えます。 繰り返しになりますが、唯名論的に述べられた主張をAとし、同種の主張 の集合をNとします。A*は数学的実体でないものを含む主張、N*はそう した主張の集合、Sは数学理論の集合、M(x)を「xは数学的実体である」 という意味だとすると、「AがNから帰結するなら、A*はN*+S+ (∃x~M(x))から帰結する」が成立しなくてはならない、とフィールドは言 います。これはつまり、裏表の関係が両方とも成立するということでしょ う。これが原理C(Cは保存を表すConservativeのC)です。 フィールドは次のような、より明証性の高い原理C'、さらにはより端的な 原理C''の妥当性が、この原理Cにまで及ぶと論じています。原理C'は 「A*がN*から帰結するなら、A*はN*+Sからも帰結する」、原理C''は 「A*が論理的に真であるなら、A*はSから帰結する」です。後者は単純に 「数学的実体でないものを含む主張が真であるなら、それは数学理論の集 合から導ける」、前者は「数学的実体でないものを含む主張は、そうした 主張の集合からも導けるし、その集合と数学理論の集合との交叉集合から も導ける」ということです。上に記したように、標準的な数学理論にはも とより数学的実体以外の要素も含まれているので、これらのことは納得い きます。したがって、それに論理式を加えて厳密化を図った原理Cも妥当 だということになるというわけです。 ですが、標準的な数学理論を念頭に置く場合、この保存の原理Cは満たさ れない可能性がある、とフィールドは言います。どういうことでしょう か。たとえば原理C'において、A*がN*だけから導かれるのではなく、N* +Sからも導かれるのだとすれば、N*に添えられる数学理論の真偽は、N* +~A*(数学的実体でないものを含む主張の集合+数学的実体でないもの を含まない主張:つまり具体的な実体のみよる主張の集合)が偽になるか どうかにかかっています。これが偽ならSは真になる、というわけなので すが、実際にはそうした具体的な実体のみを対象とする主張が真になる可 能性は排除できません。前回触れたように、物理学にはそういう理論が十 分ありうるからですね。その場合、数学理論は偽となって、原理Cも満た されません。 標準的な数学理論が原理Cを満たさないというのはちょっと驚くべきこと だ、とフィールドは指摘しています。そこから、数学理論の改変の必要性 の話なども出てくるわけですが、いずれにしても、フィールドのこの義論 は、数学理論の有用性の話を越えて、その不要性、あるいはその不整合性 へと踏み込んでいく方途です。フィールドは、この原理Cの議論を、プラ トン主義の批判にも適用します。プラトン主義の論者たちが数学理論を 「あらゆる可能世界において真である」と見なすのは、この保存性の原理 Cを満たすことが数学の基本的な特性だと考えているからだというので す。ですが、どうやらそれは見込み違いだ、というのですね。さらにフィ ールドは、整合性と保存性とは別ものだとし、原理Cを満たすことが、た だちに「あらゆる可能世界で」(現実世界も含む)理論が真であることを 意味しないと述べています。 ちょっと話がややこしいですが、次回にもう一度、改めてフィールドの議 論の全体を振り返ってみたいと思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その1) 今回からジャン・ビュリダンの『「生成消滅論」についての諸問題』 (Questiones super libros de generatione et corruptione Aristotelis)を取り上げることにします。いつもは訳出をしていましたけ れど、今回のビュリダンに関しては、話が少し広範に及ぶので、まずは章 の要約を作り、それからコメントをまとめていくかたちにしたいと思いま す。底本はブリル社から出ている校注本("John Buridan, Questiones super libros De generatione et corruptione Aristotelis - A Critical Edition with an Introduction", ed. Streiger, Bakker and Thijssen, Brill, 2010)です。分量的に、すべての章を取り上げることはできません が、ポイントとなる主要な部分をピックアップしていきたいとは思ってい ます。今回は初回ですので、この底本の解説序文を眺めて基本事項を確認 しておきたいと思います。 まずは生涯についておさらいしておきましょう。ジャン・ビュリダンは 14世紀を代表する思想家の一人とされますが、生年はわかっていないよ うで、記録に初めて現れるのはパリ大学の学長だった1328年2月9日とさ れています。学長職は3ヵ月の持ち回りなので、1327年12月から在職し ていただろうといいます。学長職は学位審査会主宰教授(regent master of arts)のみが対象となり、その教授になるには年齢が21歳以上とされ ていた(しかもすぐになれるわけではない)ことから、遡って計算する と、生年は1290年ごろから1305年ごろのいずれかの時点と推測される のですね。ビュリダンはまた、1340年に二度目の学長職を経験したよう です(少し前に見た、パリ大学自由学部の禁令の頃ですね)。 ビュリダンは特定の修道会などには属しておらず、神学の学位も取得して はいないようです。ですがその意味で、ビュリダンは「真の」哲学者、つ まり哲学を一つのキャリアに仕立てた初の人物として紹介されたりもする わけですね。アヴィニョンの教皇庁には二度ほど出向いたことがあり、そ のときの現地の話が『気象学』の注解書に盛り込まれているのだとか。 40年ほどを過ごしたパリ大学ですが、書類上に最後にその名が登場する のは1358年7月12日で、ピカルディとイングランドの学生団の法的な諍 いを調停する文書だといいます。没年も確定はしていないようですが、 1360年の10月11日ごろか、あるいは遅くとも1361年6月12日より前ま でに歿したとされています。この後者の日付は、ビュリダンの聖職禄(土 地?)の一つに新しい所有者が付された日付とのことです。 主要著書には、『弁証法小全』(summulae de dialectica)、『アリス トテレス『自然学』の諸問題』、『アリストテレス『倫理学』の諸問題』 などがあります。『弁証法小全』の一部は1336年から40年ごろに書かれ たことがわかっているようです。自然学の注解が1352年から57年ごろ、 倫理学の注解は、1340年ごろから没年ごろまで長きにわたり書かれてい たとされています。 ビュリダンの著作は大学でのアリストテレスの著作に関する講義がもとに なっています。14世紀には、大学教育の中にアリストテレスがしっかり と根を下ろしており、学生にとっては必読とされていました。当時は注解 の仕方も前世紀とは異なり、テキスト上の問題の指摘はもはや公の場での 議論のためのものではなく、問題の指摘からその解決までが同一の講義内 容に含まれるようになっていたようです。ビュリダンの注解は複数のバー ジョンで出回っているのが普通で、大きく二つのカテゴリーに分かれるよ うです。一つは、アリストテレスのテキストに関する問題の指摘と解決の 提示を行う形式のもの、もう一つは元のアリストテレスのテキストの字義 解説を行うのものです。『生成消滅論』の注解もそうした二つのカテゴリ ーに大別されるようで、私たちが見ていくのは、前者のものです。 講義から著書の成立までには長い時間がかかっているのが普通ですが、そ の間に学生たちとの間にどういったやり取りがあったのか、といった側面 はまだあまりよくわかっていないとのこと。この解説序文によれば、「ビ ュリダンは一派を形成していた」という従来の説も、最近では否定的な方 向で見直されてきているようです。かつては、講義を受けた学生たちの中 に、ザクセンのアルベルトやオレームのニコルなどがいたとされていまし たが、今では、それらの人々が正式なかたちでビュリダンのもとで学んだ 事実はないというのが定説なのだとか。個人的に、これにはちょっとびっ くりしました。アルベルトやニコルは、同じような哲学的な問題に関心を 寄せていた同時代の思想家にすぎず、ビュリダン派のようなものを成して いたわけではなかった、とこの序文の著者は述べています。 この解説序文は、ビュリダンの後世への影響についても少しだけ触れてい ます。それによると、ビュリダンの著書は15世紀から16世紀にかけて、 欧州の思想史に大きな影響を及ぼしたといいます。とくに初期印刷本のか たちで出回ったのが大きいようです。クラクフ、プラハ、ロストック、セ ント・アンドリューズ、ウィーンなどの大学で読まれていたといい、カリ キュラムにも入っていたようです。アリストテレスの本文というよりも、 そうした注解書を読むことに主眼が置かれていたらしいとのことです。 というわけで、以上はビュリダンの全体的な紹介でした。次回から具体的 にテキストに入っていきたいと思います。どうぞお楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は07月16日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------