silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.326 2017/02/25 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その2) 前回からカトリーヌ・ケーニヒ=プラロン『哲学的中世研究と近代の理 性』の第一章を見ています。前回は全体的な概要を記した冒頭部分を見ま したが、今回はそれに続く本論へと入っていきましょう。まずは中世思想 研究の「前史」ということで、話はルネサンス期から始まります。中世 (moyen age)という言い方は、実は「出生証明」があるようです。そ れは1469年2月28日だとされます。アプレイウスの著書を編纂した人文 主義者ジョヴァンニ・アンドレア・ブッシが、教皇パウロ二世に宛てた献 上の手紙の中で、古代と「現代」の中間の時代を指すために、media tempestasという表現を用いたのが始まりだといいます。 中世という概念は当初から、人文主義者の間では歴史観というよりもイデ オロギー的な境界画定だった、と著者は述べています。つまり人文主義者 にとっては、その「中間の時代」はもとより旧弊なものにすぎず、乗り越 えられてしかるべきものでしかなかったのですね。とはいうものの、中世 の神学、すなわちスコラ学の伝統は、当時なおも息づいていたようで、ジ ャン=ルイ・ヴィヴェス(16世紀初頭の神学者)などは、パリ大学でのト マス派とスコトゥス派の論争を辛辣に批判していたりするといいます。一 方では人文主義も、そうしたスコラ学的な形式の哲学的実践を継承してい ました。 主要な教説、論者などを年代記的に並べようという初期の試み(つまりは 哲学史的な編纂の動き)は、プロテスタント系の人文主義者たちによって なされていきます。1521年、フランスの編集者で人文主義者のベアトゥ ス・レナヌスは、テルトゥリアヌスの選集において、読者への注意として スコラ学の時代の始まりを12世紀半ばとしました。12世紀といえば、ア ベラールの弁証法的な教説と、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』が 神学の新しい形式をもたらした時代です。これをもって、スコラ学の時代 の始まりとしたのですね。 続く次の世代に属する改革派のカスパー・ポイサー、カルヴァン派のラン ベール・ダノーは、スコラ哲学の時代区分を三つに下位区分することを提 唱します。最初の中世初期は、11世紀初頭のランフランクスにまで遡る とされ、さらに13世紀前半のヘイルズのアレクサンドルスまでとされま す。第二の中期(盛期)は、アリストテレスの受容を特徴とする成熟期と され、アルベルトゥス・マグヌスからサン・プルサンのドゥランドゥス (14世紀前半)までが含まれます。スコラ学の衰退に向かう後期は、そ のドゥランドゥスからガブリエル・ビエル(15世紀前半)やルターまで とされます。 このように中世を三分割する区分法は、その後18世紀ごろまで変更を加 えられつつも継承されていくといいますが、基本的に哲学史における中世 全体の地位は低いままで、1655年に英国とオランダで刊行された総覧的 な哲学史本などでも(著者はそれぞれトマス・スタンリーとゲオルク・ホ ルン)、中世の扱いはごく小さいものにすぎなかったようです。それほど までに、古代こそが哲学において当時の「現代」と直結する過去とされて いたわけですね。結局、前回も触れたヤコブ・ブルッカーによる復元の試 みが1730年代になされるまで、哲学史が中世に真摯な関心を寄せること はほとんどなかったようなのです。 ヤコブ・ブルッカーのほかにも、アンドレ=フランソワ・ブーロー=デラ ンドといった人がいて、1730年代に中世哲学に関する最初期の語りが構 築されていきます。そこでもとになった文書は主に三種類で、まずは15 世紀から17世紀の新スコラ学の文献、次いで百科全書の類、さらにはプ ロテスタントによる反スコラの論争の書に分かれます。とくにこの最後の ものは、アダム・トリベッコイの『スコラの諸学説について』(1664) など、スコラ学の荒廃したイメージを示そうとしていたにもかかわらず、 意図しない使われ方をしていくことになるわけです。百科全書の類として は、ピエール・ベールのものなどがあり、これも中世哲学史の構築に重要 な貢献を果たしています。 ブルッカーやブーロー=デランドを輩出する1730年代には、ちょうど学 知が一大変容を起こし、民族学に倣った人類学が産声を上げるとともに、 文化史や文学史などを中心とする歴史学が誕生する時期でもありました。 そんな中、哲学史についても、批評的な新しい理解が現れてくるといいま す。哲学史も合理的な視座を備え、一種の統合の過程として捉えられるよ うになっていくのですね。これはいわゆる進歩史観で、今ならば批判され てしかるべきですが、とにかく当時のそれは、啓蒙主義と軌を一にする新 しい考え方でした。 哲学史はこうして、まさしく文明化の過程として描かれるようになるとい います。理性の進歩という全体的な歴史の進展の理解に位置づけ直される かたちで、各時代、各地域の思想潮流(つまりは学説)がマッピングされ ていくのですね。そんな啓蒙主義のただ中にあってさえ、中世は当初、や はり低い扱い、否定的な扱いを受け続けていたようなのですが、ここから ようやく、より批判的な哲学史が、上の二人を中心として展開されていく ようになるという話です。そのあたりはまた次回に。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その15) 『生成書滅論の諸問題』から、前回までは成長・増大のテーマを扱った一 連の問題を見てみました。今度はそれに続くテーマとして取り上げられて いる、作用因と受容体の相互作用の問題(問題18から24)を見ていきた いと思います。まず最初に取り上げられるのは、作用因(agens)と受容 体(passum)の作用には「接触」(tango)が必要かどうかという問題 です(問題18)。 最初に、接触は必要ではない、という議論が提示されています。そこで は、神と知性による天空の運動、魂による身体の運動、水そのものの流 動、磁石による鉄の引き寄せ、などの例が列挙されています。面白いの は、魔女の妖術による他者の操りなども例として挙げられていることです ね。ビュリダンはいつも通り、「接触」という言葉の意味を考えるところ から出発します。一つは「数学的接触」で、これはなんらかの大きさをも つ部分が接する場合を言います。もう一つは「自然的接触」で、これは作 用とその受容体との接触を言います。 数学的な接触概念では、大きさがキーポイントになるのですが(接する側 と接触される側のどちらも大きさをもつ、両者が互いの外部に位置をも つ、両者の大きさは「同時」に成立していなくてはならない、といった条 件が課されます)、一方の自然的接触では、接する側は接触される側に働 きかける、もしくは動かすのではなくてはならないとされています。接す るということが、すでにして作用を与えるという能動的な意味で捉えられ ている点に、その接触論の特徴があると言えそうです。また接触 (tactus)と相互接触(contactus)とは違うものと考えられていて、前 者は接する側から接触される側へと、一方向的な作用をもつのでなくては ならいとされます。後者は双方向性をもつようなのですね。 この問題18で問われているのは、もちろん自然的接触のほうです。です がビュリダンは、作用が伝えられる場合に必ずしも接触は必要ない、少な くとも必要としない場合がある、と考えています。まず離在的な形相の場 合、その作用を受け容れるもの(質料)には事実上接触していないと考え られます。精気や魂などの、非物体的なものに物体的なものが作用してい る場合も同様です。接触による作用の伝達が本来的であるとするなら、本 来的ではない形で作用因が受容体に働きかけている場合がある、とビュリ ダンは指摘します。 さらに、延長の面から見ても、作用因はそれが働きかけるすべての受容体 に接していなければならないわけではない、とビュリダンは主張します。 太陽は空気に働きかけます(熱を与える)が、その空気に接していなくと もよいわけですね。さらに対象物が目の中に像を結ぶ場合も同じだとされ ます。ただしそうした場合、作用因はまず第一の受容体、すなわち媒質と 接していなくてはならないとされます。作用ないし力は、作用因から最終 的な受容体にまで伝播しなくてはならず、その中間になんらかの受け手が なければなりません。これはアリストテレスの真空否定説にもとづいた考 え方です。 このようにビュリダンは、作用が及ぶためには、その作用を最終的に受け る受容体に直接接していなくてもよいとの議論を支持します。とはいえ、 やはり接している形が本来的であるとされてはいます。そのため、上でも 出てきた接触と相互接触の区別の問題も問い直されることになります。こ こから問題19「作用因は作用する際に反作用を受け、受容体は作用を受 ける際に反作用を返すか」が派生します。これもまずは、そうした反作用 はないとする議論の列挙から始まります。神や知性、あるいは薬の作用、 天球による下位の天球への働きかけ、第一質料などの例が挙げられていま す。何かを増大させる要因についても、その作用によって元の要因が増大 するわけではありません。 また、より理論的な議論も示されています。仮に作用する側が、被る側か らの反作用を受けるとしたら、現実態(作用因)と潜在態(受容体)が同 じであるということになり、アリストテレスの形而上学が述べるような両 者の区別に不都合が生じる、というわけです。また、そうした現実態と潜 在態とは、高貴さという点で階層をなしているとされ、両者が同じである というのはあり得ない、という議論もあります。運動で考えるなら、動か す側が動かされる側から反動的な動きを被るとなると、相互に逆の運動が 生じることになって互いに矛盾してしまいます。また、媒質を介して運動 が伝わる場合、その媒質は矛盾する運動を被ることになってしまいます。 たとえばaが媒質bを介してcを暖めるという場合、媒質bはaからは暖かさ を、cからは反動の冷たさを受け取ることになって板挟み状態になってし まいます。 実は問題18でもすでに触れられているのですが、ビュリダンは原則とし て、運動を生じさせる側が、運動を被る側から逆の運動を受けたりはしな いと考えています。さらにそれは作用一般へと敷衍され、質料への作用の 伝播に際しても、逆作用は生じないとされます。さらには神、天球、精気 などの作用についても同様です。反証として、作用は相互接触の場合に伝 えられると述べる箇所がアリストテレスにあるとも言われますが、それは 四元素それぞれの第一の性質におけるやり取りに限定されるとビュリダン は解説します。 もちろん、火に水を投げ入れる際に、水は火を消すものの、火からの影響 を受けて一部蒸発が生じるといった例を挙げ、ビュリダンは逆の作用が生 じる場合があることも認めています。また、上の媒質を通じて暖めるとい うような場合についても、暖かさの大小の考えを取り入れて、実際のケー スが一律で単純ではないことを示してみせています。このように、大筋の 理論的な考え方を踏襲しつつも、実際に体験する事象の複雑さを平行して 捉えようとするという点に、まさしくビュリダンのしなやかさ、緻密さが 窺えるように思えます。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は03月11日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------