silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.328 2017/03/25 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その4) ケーニヒ=プラロンの本の要約を続けます。前回の末尾のところでは、19 世紀に入るころ、民族主義が台頭する中で中世の評価が高まっていくこと に触れましたが、同じく1800年頃、もう一つの動きも台頭する、と著者 プラロンは記しています。各国の違いを超えた、欧州レベルでの哲学的文 化です。それを裏打ちしたのは、哲学的にはギリシア思想、宗教的にはキ リスト教でした。で、そちらの側からも、古代と中世とが改めてクロース アップされていったといいます。 その18世紀末の「欧州文化」を構成する第一の要素には、哲学的な合理 性の主張があったとされます。カントの時代の哲学的理性ですね。超越的 とされるその理性は、権利上、また事実上も、普遍的な理性を謳っていた わけですが、厳密には文化的に規定されていたわけでもなく、また歴史的 に条件付けられていたわけでもありませんでした。そんな中、1780年か ら1800年にかけて、古代ギリシアを哲学の発祥の地として位置づけると いうシナリオが、哲学の年代記の側から要請されてきます。理性の発出の 図式を描こうとするその年代記によって、前6世紀のギリシアに哲学の誕 生が位置づけられ(それ以前は、哲学の発祥の地はオリエントとされてい ました)、さらに当時の批判的理性主義のヨーロッパも、その哲学史のも とに回収(ビザンツやイスラム圏をめぐる長い迂回を経て)されることに なったのだといいます。 いわば個別の民族に分岐する以前の全体的な流れが構築され、個々の民族 がその流れの果てに位置づけられるようにする戦略です。こうしてたとえ ばドイツは、発祥の地たるギリシアを継ぐものとして文化的に定義づけら れるようになるわけです。全体の流れの上に個別が位置づけられること で、個別の文化圏は正当化されるわけですが、するとその裏側として、他 民族を排斥する動きも生じてきます。かくして啓蒙主義のヨーロッパにあ って、排他的・人種差別的な文化理論が1780年代ごろに台頭してくると いいます。それに伴い、他地域(アジア、アフリカ、「アラブ語圏」「セ ム語圏」)は哲学の歴史からも排除されてしまいます。 ピーター・パークという研究者が唱えている説によると、人種差別的な文 化理論が登場したのは1780年ごろのゲッティンゲンで、提唱者は哲学 者・歴史学者のクリストフ・マイナースなのだとか。哲学の領域から非西 欧文化を閉め出し、哲学のいわば「ギリシア化(hellenisation)」を進 めた嚆矢の一人とされています。オリエント起源説に代えて、ギリシア起 源説を唱えたのもマイナースたちなら、広い意味での政治学・人類学的理 論の枠組みで文化の比較を行い、コーカサス系の白人(つまりは西欧人) から黒人を区別するようになったのも、やはりマイナースたちだったとい います。実際、モンテスキューなどとは逆に、マイナースは、アジアやア フリカの諸民族には先天的に服従の性向が備わっているとし、西欧人の優 位を揺るぎないものと見なしていたのでした。 同時期、ワイマールの神学者で詩人でもあったヨハン・ゴットフリート・ ヘルダーも、1784年から91年にかけて刊行された『人類史の哲学的考 察』(Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit)とい う著書で、人類の諸文化の比較検討を行っています。ヘルダーも上記の 「文化理論」の嚆矢の一人とされ、諸民族を区別した上で人類全体のフレ スコ画を描くという試みを行っていたといいますが、その核をなすとされ た概念は文明論ではなく、むしろ民族的魂、あるいは国民的精神だとされ ます。マイナースよりは穏健な立場だったといいますが、こと哲学に関し ては、あくまで西欧のものと見なす立場をはっきりと打ち出しているのだ とか。 プラロンの著書は、ここでこのヘルダーの思想を重点的に取り上げていま す。その思想的な軸をなすものは二つあったとされます。まずヘルダー は、西欧の高度な文化形態として宗教を高く評価し、国民的精神が最もよ く発現するのが宗教であるとさえ述べていました。他方、その人類史の哲 学的考察は、自然誌から方法論を借用していました。これら二つの側面を プラロンは、中世の思想史の扱いをめぐるキーとして重要視しています。 まず宗教に対する視座ですが、西欧は宗教を通じてギリシア哲学の近代化 を図ったと見なされていたようです。一方で、西欧の近代的理性というも のも、中世キリスト教文化、あるいはキリスト教化したギリシア文化を通 じて構築されていった、とヘルダーは考えていたようです。これもまた一 種の学術的神話であるわけなのですが、このような形でも、古代ギリシア はキリスト教的ヨーロッパの揺籃期に位置づけられていくのですね。 また、もう一つの自然科学との関連については、自然誌の方法論が文化史 にモデルとして適用されることで、そちらもまた豊かな結果をもたらすこ とになったとされています。それが育む考え方は次のようなものです。人 間の場合は民族間での移動や混成が生じていて、そのために植物園や動物 園のような、それぞれの種が隔絶されているような状況になく、それゆえ に人類全体のなんらかの統一が取れているというのです。ヨーロッパはと りわけそうした混成が進み、ゆえに他の地域よりも秀でているのだ、とさ れるのだとか。もちろんこれも神話的な話でしかないわけですが……。こ の、宗教と自然誌の両輪についての話は、次回にももう少し詳しく見てい きたいと思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その17) ビュリダンの『生成消滅論の諸問題』は、当然ながらアリストテレスの 『生成消滅論』の章立てをベースにしています。そのためもあって、問題 21以降は元素にかかわる議論が中心になっていきます。アリストテレス のもとの議論も踏まえつつ、それらを見ていくことにしたいと思います。 まず問題21は、「元素の実体的形相には大小があるか」(utrum formae substantiales elementorum suscipiunt magis et minus)を 問うています。これは、たとえば熱の大小などを考慮した設問のようです が、形相が問題になる限り、そこに大小は本質的に関与しないとビュリダ ンは考えています。大小が問題になるのは、発現形において大小が異なる 場合に限りますが、それは形相における大小とは関係なく、あくまで質的 な大小に過ぎず、いわば偶有の問題になるからです。たとえば熱さが強ま る、弱まると言う場合、それはあくまで熱・冷の質的な問題であり、火の 形相の大小ということではないわけですね。 またこの議論に関連して、ビュリダンは次のようにも述べています。もし 形相に大小が含まれるとするならば、形相は混合においてもそのまま存続 することになるが、実際にはそれらは存続したりはしないのだ、というの です。どういうことかというと、たとえば鉄が熱せられ白熱化する場合、 その鉄に含まれる元素(もとは火と土)が、まるで火だけになったように なります。もし形相に大小が含まれているのであれば、こうした変化はあ りえないことになるでしょう。 この論点は、実は続く問題22の先取りです。問題22は、「混合におい て、元素の実体的形相はそのまま存続するか」(utrum formae substantiales elementorum maneant in mixto)を問うています。ビ ュリダンのスタンスは明確で、存続しないと断じています。そこでの議論 は、もし混合においても元素の形相は存続すると考えるなら、いくつかの 事例において矛盾が生じるという形でなされています。たとえば大理石に おいて、火の元素が実体的に、現実態として存続するとするなら、火の元 素は極度の冷たさにおいても、水が要請する以上の高密度・重さをもって とどまることができることになり、その結果、風や水では火を消せないこ とになってしまう、というわけです。 ここで重要になってくるのは、複合体におけるこれら元素についての基本 的な考え方です。アリストテレスはやや曖昧に、混合が容易なのは小さな 粒子に分割可能なもの、あるいは受容度が高いもの、形状が変わりやすい ものであるとしています(『生成消滅論』第一巻10章)。ビュリダンは それを元素と形相の観点から捉え直しているわけですね。問題21と同様 に、ここでも再び鉄の話を例として取り上げています。混合の場合、四元 素の形相のほかに新しい形相が加えられるのかどうかと問う形で話を進め ています。 鉄の場合、極端な状態同士があまりにかけ離れているために、まずもって 新しい形相が加えられるとは考えにくいと言えます。実際、冷えた鉄は熱 せられた鉄よりも、冷えた大理石に近い状態となっています。鉄における 元素のバランスは、冷えた状態と熱せられた状態とでだいぶ異なり、その 意味では、鉄はそれ自体で統一体をなしてはいないように推測されます。 つまり新しい形相が加わってはいないのではないか、ということなのです ね。 四元素にそれ以上の実体的形相が加えられないとするなら、その場合の鉄 は、諸元素の形相が相互に一時的に弱められて、バランスの取れた状態に 置かれたものだと考えられます。対照的な極端な状態(白熱化した鉄と か、キンキンに冷やした鉄の状態)のままでは、一つの統一体をなすわけ にはいきません。ですがそうした極端な状態ではなくなれば、中間的状態 のみ(今の例ならば温い状態)が残ることになります。 このような考え方でいけば、混合の場合にも、そこから生成するものにお いては、元素間の対立する性質を併せ持つことはなく、形相で担保される ような統一体を形作るわけではないことになります。たとえば火の形相と 水の形相は、相反しているがゆえに統一体をもたらさないからです。統一 体があるとすれば、中間的状態においてでしかありません。このことは敷 衍されて、他の混合の場合にも適用しうるはずだと推測されます。 このような推論にもとづいて、ビュリダンは次のようなことを述べていま す。実体的形相が新たに加えられる場合、それは種(の多様性)を補完す る形相(類としての)になるだろう。けれども、ある実体の類と種の両方 をつらぬく一貫した形相(完全な形相)をなすものがあるとすれば、それ は水や火の形相を集積し相互に弱めたものにほかならないだろう。相反す る形相が互いに弱まり、基体のもとに統一されることで、中間的で完全な 形相(熱と冷の中間的な温い状態のような)が形成されるのだ、と……。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は04月08日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------