silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.336 2017/07/22 ============================== *お知らせ いつも本メルマガをご愛読いただきありがとうございます。本メルマガは 原則隔週での発行ですが、例年、夏は7月下旬から8月中旬までお休みと させていただいております。そんなわけで、今年も同じく夏休みをいただ き、次号は8月26日の発行とさせていただきます。しばらく間が空きます が、どうぞよろしくお願いいたします。 ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その12) アラビア哲学の受容についてプラロン本で見ていますが、今回は残り部分 を一気に概括してしまいましょう。アヴェロエスが無神論者だと見なされ たきっかけの一つは、前回も触れたプロテスタント界隈の、ヤコブ・ブル ッカー(18世紀)にありました。ブルッカーは反カトリックなわけです が、アヴェロエスについてはレオ10世の反アヴェロエス主義の勅書 (1513年)までも引き合いにだして、その不敬虔ぶりを吹聴していたの でした。また、同じくアヴェロエス主義の糾弾に与ったのが、ピエール・ ベールでした。ベールは、様々なアヴェロエス解釈が分かれていく、その おおもとの分岐点に立っていたとされます。不敬虔さ・無神論は、啓蒙主 義時代においては近代的価値観と結びついて、大いに称揚されることにな ります。 啓蒙主義時代においては、アラビア哲学への理解はまだまだ欠落部分が多 く、翻ってそれが、中世と近代の断絶を謳う人々、あるいは反宗教的な思 想に、うまく役立てられる結果となった、ということのようです。ところ が1800年代に入ると、それまでのエキゾティシズムに代えて、植民地支 配的な文化理論が台頭するようになるのでした。アラビア世界は宗教的 で、しかもある種狂信的・盲従的でさえあると見なされるようになってい きます。西欧が民族主義的な思想によって、自分たちを優位な存在と見な すようになると、対照的にアラビア世界は、前近代的な民族として再び低 い価値付けをあてがわれるようになります。 前にも出てきたヘルダーの文化理論(人種の混在がヨーロッパの価値をな す)はその過渡期に登場したのでした。ヘルダーは、アラビア世界を異質 なものと見なしつつも、科学技術などに秀でている点、あるいはギリシア 文化の温存・伝達に貢献した点などでそれなりに評価してもいました。少 し後には、フランスでもド・ジェランドなどが、そうした混在称揚の理論 を掲げていました。ですがヘルダーの後の世代になると(ヘーゲルな ど)、その異質性のほうが強調されるようになり、否定的な判断へといっ そう傾いていくことになります。 19世紀前半には、ギリシア哲学を伝達したアラビア世界という好意的な 像にも、反論が持ち上がってきます。ビザンツがその役割を果たしたとい うわけですね。これは今なお時折見られる議論です。当時の代表的な論客 には、ゲッティンゲン大学のアルノルト・ヘルマン・ルートヴィヒ・ヘー レンがいした。一方でヘルダーを継承する一派ももちろんあり、同じ大学 のヨハン・ゴットリープ・ブーレなどがヘーレンの立場を批判します。さ らに両者の調停役として出てくるのがテンネマンです。ヘーレンとブーレ の論争はフランスにも飛び火し、オリエント学者のアマブル・ジュルダン が、ヘーレンとブーレ両者の議論の難点や誇張を明確化しつつ、相対的に ブーレの側に傾斜した結論を示します。 その後、19世紀中頃にかけて、アラビア哲学はそれ自体、一つの研究領 域として一定の幅を利かせるようになっていきます。サロモン・ムンク、 アウグスト・シュメルダース、ハインリッヒ・リター、エルンスト・ルナ ンなどが登場してくるのは、そのようなアラビア哲学そのものへの関心の 高まりがあったからだと言えそうです。それまであまり知られていなかっ たイブン・ガビロール、アル・ファーラービーなどが見いだされ、アヴィ センナやアヴェロエスの著作の翻訳も進んでいきます。こうして文献のベ ースが広がり、それまで未知だった思想内容が明らかになることによっ て、アラビア哲学は単にアリストテレス哲学の亜種であるかのような扱い を脱し、新たな光のもとに晒されるようになっていきます。 そのような動きの立役者は数多いのですが、このあたりのディテールは割 愛します。ですが次の論争には触れておかなくてはならないでしょう。オ リエント学者シュメルダースと、哲学史家リターとの論争です。これはい わば、上のヘーレンとブーレ(もしくはジュルダン)の議論の蒸し返しで す。シュメルダースはアラビア哲学には見るべき独創性がなく、ただ言葉 の才に長けているだけだ、というようなスタンスを取ります。これに対し てリターは、シュメルダースの主張は方法論的に問題があると指弾し、ア ラビア哲学の理解のためにはイスラム神学をも研究する必要性があると訴 えます。当然というべきか、この二人の主張は平行線を辿ります。さら に、もう一人のオリエント学者であるムンクが論争に参入してきます。ム ンクは、シュメルダースとは相容れない立場で、アラビア哲学の独自性を 高く評価しているのですが、ユダヤ哲学を軽んじているとしてリターに対 しても批判的でした。 その後も、ヘーレンとブーレの論争はかたちを変えつつ時折蒸し返されて いきます。19世紀末には、やはりオリエント学者のジャック・フォルジ ェが、ヘーレンの衣鉢を継ぐかのように、アラビア哲学が中世スコラの導 き手となったという考え方を否定してみせます。アラビア世界がキリスト 教(シリアなどの)から受け取ったもののほうが、キリスト教が得たもの よりも大きいのだという主張です。フォルジェはまた、エルンスト・ルナ ンが哲学史に導き入れた「ラテン・アヴェロエス主義」という概念を、単 なる異端の少数派で、歴史的には無意味な存在と切って捨てます。フォル ジェからすれば、アヴェロエス主義などといいうものは、教会が守ってい た哲学的理性に対する敵でしかなく、かくしてルナンが説いた多形的なそ の概念は、ずいぶんと単純化されてしまったのでした。 ルナンもまた、みずからヘーレンの系譜であることを公言しています(つ まり、アラビア世界はギリシア哲学の伝達にさほどの貢献をなしていな い、哲学的伝統はむしろビザンツ経由で温存された、という見方です ね)。ですがアリストテレスに関しては微妙な立ち位置で、ヘーレンから も、そしてシュメルダースからも距離を取っているようです。スペイン経 由、つまりはアラビア経由でのアリストテレス思想の受容を認めているか らですね。とはいうものの、ルナンにおいては、セム族とアーリア人(イ ンド・ヨーロッパ人)とを対置する考え方は根強く、アヴェロエス主義を 取り上げた嚆矢となった博論でも、アヴェロエス自身の解釈(ルナンは、 アヴェロエスだけはきら星的存在として高く評価しているのですね)やラ テン・アヴェロエス主義(こちらについては否定的に扱っています)はあ くまで歴史的事象として取り上げるのみで、アリストテレス思想の解釈と してアヴェロエスは時代遅れであると述べています。アラビア語でのアリ ストテレス読解は、「トルコ語や中国語でラシーヌを読むようなものだ」 みたいに言っているのですね。 * 以上、プラロン本のかなり大まかな、荒っぽい要約を試みました。歴史研 究につきものの、なにがしかのイデオロギー性・党派性・政治性のような ものを中心に、かなり図式的に要約してみた次第です。プラロン本自体は もっと豊かなディテールを多数描いていて、個々の論者たちについても、 ニュアンスに富んだ細かなスタンスの違いなどを丁寧に記述しているので すが、そのあたりはばっさりと割愛せざるを得ませんでした。とはいえ、 少なくとも研究史というのがとても興味深い分野であることは、改めて浮 き彫りになったかなとも思います。繰り返しになりますが、ギリシア哲学 の伝統がどう伝えられてきたかについては、欧州内で今なおビザンツ経由 論とアラビア経由論が論争になることもあるようで、イスラム嫌いのよう な感情的なものも含め、政治的な議論なども絡んでいくぶん錯綜している ようにも見えます。文献を読む際には、そうした影の部分にもそれなりの 留意が必要だということを再認識しつつ、今後の文献読みを続けていきた いと思います。 というわけで、プラロン本は今回で終了といたします。次回からはまたち ょっと趣向を変えて、少し前の本ですが、『ルネサンス期の錬金術と哲 学』という論集(マルゴラン&マットン編、ヴラン社刊、1993)を見て いきたいと思います。中世からはちょっと離れてしまいますが、まあ、拡 大解釈的にはルネサンスも中世かな、ということでご了承いただきたいと 思います(笑)。ある種の操作的知というものがいかに織りなされていく のか、というあたりがポイントになるのでしょうか?お楽しみに。 ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その25) 前回で一通り、ビュリダンの『生成消滅論の諸問題』の主だった章をざっ と見てみました。本来ならばディテールこそが面白いのですが、とりあえ ず、全体的な流れを見るにとどめるしかありません。それでもビュリダン 思想のいくつかの特徴は浮かび上がってきていたと思います。今回は自然 学に対するスタンスを扱った論考を見て、ビュリダンの思想を振り返り、 全体のまとめに代えさせていただきたいと思います。取り上げるのは、ジ ャック・ザプコ『ジャン・ビュリダン−−14世紀のアートマスターの肖 像』(Jack Zupko, John Buridan - Portrait of a Fourteenth- Century Arts Master, University of Notre Dame Press, Indiana, 2003)です。テーマ別にビュリダンの思想を概観した一冊ですが、その 13章が「自然科学」に当てられています。 自然科学とは言っても、ここで扱われるのは霊魂論(心理学)です。自然 学としての魂の取り扱いについて、ザプコは、トマス・アクィナス、ビュ リダン、オレームを比較しています。そうした比較を通じて、ビュリダン の特徴を焙り出そうというわけですね。まず、トマスは霊魂論が魂の性質 についてなんらかの洞察をもたらすと考え、また人間の魂について形而上 学と霊魂論の探求には抽象度の違いがあると考えていたのに対して、ビュ リダンはそうした霊魂論の可能性も、形而上学との抽象度の違いも否定す る立場を取っていたといいます。ビュリダンは、魂の実質的な定義は形而 上学に属するのであって、自然学としての霊魂論に属するのではないと考 えていたようなのですね。 そのため、たとえば「人間の霊魂は死後、肉体から離れても知的理解がで きるか」といった問題は、形而上学の問題であり、自然学的な霊魂論で扱 うものではない、とビュリダンは述べ、トマスとは一線を画しています。 自然学的な霊魂論は魂の内実に立ち入ることをせず、あくまで身体との関 係性を説明づければそれでよい、というのがビュリダンの基本的な構えだ った、とザプコは論じています。で、その学知論の特徴をなしているの は、人間知性は感覚的なものを出発点として合理的判断と推論を重ねるし か対象に迫る術がないという、ある意味での「弱さ」が前提になっている という点です。 魂などは内実(それが何であるか)を直接眼に出来ない以上、まさにそう した合理と推論による学知の最たるものと言えます。ビュリダンのこのス タンスは、直接眼にできないその他の事象についても敷衍されます。感覚 を出発点として合理的判断と推論を重ねること。ここから、観察や実験の 重要性、さらには知的理解の独自性(信仰とはまた別であること)などが 導かれてくるのも当然かもしれません。生成消滅論での元素についての議 論も、元素そのものの有様を眼にできない限りにおいて、まさにそうした 観察と推論との、絶妙な組み合わせの上に構築されていたように思われま す。また、信仰とは別筋の帰結も何度となく導かれています。 一方、その自然学的な霊魂論という性格をいっそう強めていく、あるいは 拡張していくのが、もう一人の比較対象であるニコル・オレームだといい ます。いくぶん図式的ですが、ザプコの整理によれば、トマスにおける霊 魂論とは、生命活動を通じて思い描かれる「魂の本性」について理解する ことを言うのに対して、ビュリダンにおいては、霊魂論とはそうした生命 活動の論理的主体として魂を研究することを言う、とされます。つまり、 トマスは魂の本性なるものを予め仮構しているのですが、ビュリダンは身 体に発現する現象から推論して、魂なるものの機能を描き出すことだけに 留めようとしているわけです。これがオレームになると、身体そのものが 霊魂論の主題として含まれるという立場を取るようになります。 言い方を少し変えると、魂とは、トマスにおいては運動を研究することに よって本質が明らかにされうる実体であるのに対して、ビュリダンにおい ては知覚不可能な対象(身体的な発現形をもとに推論される対象)、オレ ームにおいては身体的物質すら本質の一部をなす何らかのもの(ある意味 での全体論)、というふうにシフトしていくというわけです。 この整理からすると、ビュリダンの思想もまた過渡期的な性質をもってい たことがわかります。ザプコはムーディという研究者にもとづいて、ビュ リダンは「経験主義の台頭の時代」の一角をなしていた、とまとめていま す。ここで言う経験主義の時代とは、もちろん後の18世紀以降の経験論 とは別で、いわば広範な認識論的教義が各種登場してきた時代ということ にすぎません。霊魂論で言えば、本質へと至ることは適わないにせよ(ト マスはそれが可能だと思っていたようですが)、外的な作用を観察するこ とによって、論理的に魂の機能的輪郭を描き出すことのみを目的とすると いう、節度ある姿勢をビュリダン(とオレーム)は採っていました。明白 な外観のみをベースとして、機能的な諸関係にアプローチすること。これ はまさに、これまで見てきた生成消滅論においても生かされているアプロ ーチです。 ……というわけで、ビュリダンの基本的な姿勢について確認したところ で、この連載はいったん終了にしたいと思います。ビュリダンとその周辺 については、今後もさらに検証を進めていきたいとは思っていますし、よ り巨視的に、14世紀のそうした経験主義の台頭それ自体を捉え返す必要 もあるように思えます。そうした動きが、どのような著者たちのもとで、 いかなる社会的・文化的な文脈を背景に生じてきたのか、ということは改 めて考える必要がありそうです。それにも多少関係すると思いますが、夏 休み後のこのシリーズでは、15世紀の神学者クザーヌスの『推論につい て』を少し見ていきたいと思います。直接的に知覚できないものを知るた めには推論を重ねていくしかないという、ビュリダンとも重なる構え方 を、クザーヌスはどう敷衍していくのでしょうか。そんなことを考えなが ら、またテキストをまとめ、参考文献も読んでいきたいと思います。お楽 しみに。 *本マガジンは隔週の発行ですが、夏休みを挟むため、次号は08月26日 の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/?page_id=46 ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------