silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.375 2019/04/06

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------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その10)


イブン・カムーナの預言者論『三大一神教の比較的検証』から、ユダヤ

教とモーセについて扱った第2章を見ています。預言者としてのモー

セ、預言としてのトーラー(モーセ5書)の真正さをめぐり、異論を挙

げてはそれを論駁していきます。今回は三つめの異論とそれへの応答か

ら見ていきます。


三つめの異論とは、「トーラーには、良識ある者ならば拒絶するよう

な、人間の姿でもって神を描く箇所が見受けられる。よってそれが神の

啓示であるとは到底考えられない」というものです。モーセが神の姿を

見た話や、人間が神に似せて創られたという創世記の一節、洪水後にノ

アが神殿を建て、犠牲祭を行ったとき、神がその香りを嗅いだとのくだ

り、さらに律法が神の指で記されたとする一節などが事例として挙げら

れています。


カムーナはまず、神を人間の姿になぞらえることの禁止はトーラーで何

度も繰り返されているとの原則論を指摘し、その上で、古代人が神の姿

を見たという場合には、それは覚醒時にもかかわらず夢の中のビジョン

に近いものを見たということで、外的な知覚を伴っていたのではない、

実際に眼で見たのではない、と主張します。


トーラーには「人間は神の姿を見たことはない」と断言されていること

をカムーナは指摘します。ビジョンが見えるのは、内的な知覚(内観)

と、非物質的な意味作用とが協働するからだとカムーナは言います。つ

まり、任意の事象を内面的に取り込む内的な眼と、そこから当の事象の

意味や本質を理性的に推測する能力とが、ともに神によって与えられて

いるからだ、というのですね。これはある種の内観的認識論になってい

るように思われます。


カムーナのこの論では、神のビジョンは、神が人間に見せようとする像

が人間の内部に形成され(神によって)、それを人間(この場合は預言

者)が内観することによって得られるとされています。したがってそれ

は神そのものの姿ではなく、神によって人間に吹き込まれた別種の像に

すぎないことになります。とするなら、そのように内観的に神の姿を見

たとするモーセは、なんら冒涜的なことをしてはいないことになります

ね。神は神に似せて人を創ったと記されている創世記の一節も、ここか

らの類推で、その似姿はあくまでメタファーにすぎないとの推論が成立

します。


神が犠牲祭の香りを嗅いだというのも、カムーナは言葉の上での単なる

技巧(言葉の綾)にすぎないと述べています。神の指という表現も同様

で、神の力を表す単なるメタファーにすぎません。このように神につい

ての記述の様々な部分が、あくまでメタファーであると解されていま

す。それはつまり、神の本質と人間の受け取り方のあいだに大きな溝が

あることの裏返しでもあるわけです。


基本的に人間は、メタファーや類推を通してしか神というものを思い描

くことはできず、その本質に到達することはないというのが大前提とな

っています。たとえば神が洪水で被造物を滅ぼした際の記述では、神は

人間を創造したことを「悔やんだ」などと記されているわけですが、カ

ムーナによれば、人は「悔やみ」の概念でもって神の動きを推測しよう

とするが、それは厳密には悔やみではないといいます。トーラーに、神

に悔やみなどは認められないと記されているといいます。人が何かをこ

しらえたことを悔やみ、それを是正しようとするときの状況に重ねて、

神の是正を人が思い描き解釈したのであって、人が抱くような「悔や

み」を、神が本来的に抱くことはありえない、というわけです。


「怒り」も同様で、人が復讐をなそうとするときに感じる「怒り」をも

って、人は自分たちに対する神の報復(処罰)を思い描き、かくして神

の「怒り」という概念が類推されているにすぎないと言われます。

「愛」もまたしかりで、人間が愛情を抱くときに相手に対して向ける気

遣いや思いやりをもとに、神が人間に寄せているかに見える哀れみや深

い気遣いなどを称して、人間は神の「愛」について語っているにすぎな

い、と……。


神の本性は広大無限なものであり、人間の偏狭かつ矮小な知覚や思考で

はとうてい捉えることができないとされます。ゆえに人間は、自分たち

が抱く諸感情や知性の枠でもって神の本性の一端を思い描き、記述する

しかなく、こうして神の「悔やみ」「怒り」「愛」などが語られること

になる……カムーナはそう考えます。逆に言えば、人の感情や知性に

は、人間が根源的にもつ限界が常に投影されているということにもなり

ます。それをほんのわずかばかり越え出るのが、ほかならぬ預言者なの

だ、という次第です。


次回もまた別の異論とそれへの応答が続きます。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その10)


ダンテの俗語論(1305年ごろ)を読んでいます。今回は第8章の5節め

から第9章の冒頭部分にかけてです。さっそく見ていきましょう。



5. Ab isto incipiens ydiomate, videlicet a finibus Ungarorum 

versus orientem, aliud occupavit totum quod ab inde vocatur 

Europa, nec non ulterius est protractum.

6. Totum vero quod in Europa restat ab istis, tertium tenuit 

ydioma, licet nunc tripharium videatur: nam alii oc, alii oil, alii sÏ 

affirmando locuntur, ut puta Yspani, Franci et Latini. Signum 

autem quod ab uno eodemque ydiomate istarum trium gentium 

progrediantur vulgaria, in promptu est, quia multa per eadem 

vocabula nominare videntur, ut Deum, celum, amorem, mare, 

terram, est, vivit, moritur, amat, alia fere omnia.


5. この言語が達した地域から先、つまりハンガリーの端から東に伸び

る地域では、別の言語が全域を支配した。そこからがヨーロッパと呼ば

れ、さらに遠くにまで拡大していった。

6. ヨーロッパの中でそれらが支配するに至らなかった全域では、三つ

めの言語が支配した。とはいえ、今やそれはさらに三つに分割されてい

るように思われる。すなわち、ある人々は肯定の返事に「オック」、あ

る人々は「オイル」、またある人々は「シ」と発する言語を話してい

る。すなわちスペイン語、フランス語、イタリア語である。それら三つ

の民族が用いる俗語が同じ一つの言語から派生してきたことの名残りは

明白である。数多くの事象が同じ語彙で示されるからである。たとえば

「神」、「天」、「愛」、「海」、「大地」、「である」、「生き

る」、「死ぬ」、「愛する」、その他ほぼすべてである。


7. Istorum vero proferentes oc meridionalis Europe tenent 

partem occidentalem, a Ianuensium finibus incipientes. Qui 

autem sÏ dicunt a predictis finibus orientalem tenent, videlicet 

usque ad promuntorium illud Ytalie qua sinus Adriatici maris 

incipit, et Siciliam. Sed loquentes oil quodam modo 

septentrionales sunt respectu istorum: nam ab oriente 

Alamannos habent et ab occidente et settentrione anglico mari 

vallati sunt et montibus Aragonie terminati; a meridie quoque 

Provincialibus et Apenini devexione clauduntur.


7. それらのうち、オックと返答する人々はジェノヴァの国境から始ま

るヨーロッパ南部の西の地域を占めている。シと言う人々は、その国境

の東の地域から、アドリア海が始まるイタリアの半島部およびシチリア

までを占めている。一方、オイルと言う人々はそれらから北寄りの地域

に居住する。東にはゲルマン諸族がおり、北と西はそれぞれ英海峡と高

地アラゴンによって区切られている。また、南もプロヴァンス地方の

人々とアルプス地方によって囲まれている。


IX 1. Nos autem oportet quam nunc habemus rationem 

periclitari, cum inquirere intendamus de hiis in quibus nullius 

autoritate fulcimur, hoc est de unius eiusdemque a principio 

ydiomatis variatione secuta. Et quia per notiora itinera salubrius 

breviusque transitur, per illud tantum quod nobis est ydioma 

pergamus, alia desinentes: nam quod in uno est rational[i], 

videtur in aliis esse causa.


第9章 1. ここで私は、自分がどのような知性をもっているにせよ、あ

えてリスクを冒し、いかなる権威にも助けを借りることのできない案件

を探っていこうと思う。それはつまり、もととなった同じ一つの言語か

らいかにして多くの言葉が分かれたかについてである。より知られた道

をたどるほうがいっそう安全かつ迅速であるので、ほかは置いておき、

自分が使う言葉を通じて見ていくことにしよう。一つの言葉における事

由は、ほかの言葉においても同様に原因をなしていると考えられるから

である。


2. Est igitur super quod gradimur ydioma tractando tripharium, 

ut superius dictum est: nam alii oc, alii sÏ, alii vero dicunt oil. Et 

quod unum fuerit a principio confusionis (quod prius 

probandum est) apparet, quia convenimus in vocabulis multis, 

velut eloquentes doctores ostendunt: que quidem convenientia 

ipsi confusioni repugnat, que ruit celitus in edificatione Babel.

3. Trilingues ergo doctores in multis conveniunt, et maxime in 

hoc vocabulo quod est ‘amor’. Gerardus de Brunel:

Si-m sentis fezelz amics,

per ver encusera amor.

Rex Navarre:

De fin amor si vient sen et bonte;

Dominus Guido Guinizelli:

Ne fe' amor prima che gentil core,

ne gentil [cor] prima che amor, natura.


2. 私たちが取り組む言葉は、上に述べたように三つの部分からなる。

すなわち、ある者はオック、またある者はシ、そしてそれ以外はオイル

と言う。それらが最初の混乱に際しては一つであったこと(まずはそれ

が論証されなくてはならない)は明らかである。なぜなら、雄弁術の教

師らが示すように、多くの語彙において一致が見られるからである。そ

うした一致は、(分化が)バベルの塔の建造に際して天から襲いかかっ

た混乱によるものだったことを否定している。

3. それら三つの言葉の碩学たちは多くの点での一致、とくに

「amor(愛)」という語彙における一致を示している。

ギロー・ド・ボルネイユ:

「もし私が自分を真の友と感じたなら、私は心から愛を糾弾しよう」

ナバラ王:

「知恵と善性は真の愛から生じる」

グイド・グイニツェッリ師:

「自然は善き心よりも前に愛を創ったのでもなければ、愛よりも前に善

き心を創ったのでもない」



前回のところで北欧系の言語について概要を述べたのに続き、ダンテは

第8章の5節めではギリシア語、6節めでは南欧系の言語を取り上げてい

ます。この後者はいわゆるロマンス諸語ですね。肯定の返答がocであ

るかoilであるかでそれぞれオック語、オイル語と呼ばれています。オッ

ク語、オイル語への言及は、歴史的にもこのダンテのテキストが有名な

のだとか。ダンテはさらに、肯定の返答でsiと答える言葉を区別してい

ます。うーん、これらについてはもっと古い出典もありそうな印象です

が、ダンテが何を参照していたのかも含め、さしあたり不明です。


独訳版の注には、ダンテがこれら3つの言葉の祖語を、ラテン語とは別

と考えている点が特異であると指摘しています。前に出てきたように、

ラテン語は人工語として別枠扱いされているのでした。


7節めには各種の地名が出てきます。Ianuensium(ダンテ以外の文献

でJanuensiumと表記されたりもします)はジェノヴァです。高地アラ

ゴン(アラゴン山地)はピレネー山脈の一部地域ですね。また独訳注に

よれば、Apenini devexioは中世においてアルプス山脈全体を指す言葉

だったとのことです。またそれによると、ダンテが参照している地理書

は、おもにオロシウスとセビーリャのイシドルスだといいます。


第9章に入ると、今度は言語の分化についての試論が始まります。ダン

テは1節めで、文献学的権威に頼ることなく、いわば自分の推論のみで

考察を進めることを宣言し、分化のプロセスはどの言語でも同じような

原因が推察されるだろうと考え、自分の母語であるイタリア語を代表例

として取り上げいくことを表明しています。


ここでも推論の鍵となっているのは語彙の一致です(2節)。とくに

amorがどの言語でも使われているとして、実例としてそれぞれの言語

圏から3人の詩人の詩を挙げています(3節)。まずは12世紀のプロヴ

ァンス地方の詩人(トルバドゥール)、ギロー・ド・ボルネイユ

(1165-1200)です。トルバドゥールですので、その詩は基本的に歌

です。実際、何曲かが中世音楽のCDなどに収録されていたりします。


2人めはナバラ王ティボー4世です。これはトゥルヴェール(北方の吟遊

詩人)として活躍した13世紀のティボー・ド・ナバールで、後にシャン

パーニュ伯、さらにはナバラ王となる人物です。やはり演奏が収録され

たCDがあります。3人めは13世紀ボローニャ生まれの詩人グイド・グ

イニツェッリ。いわゆる清新体(恋愛叙情詩)派の先駆け的存在で、ダ

ンテが師匠と仰いだ人物です。


続いてダンテはそうした三分割が生じた理由を考えていきますが、それ

はまた次回に。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は04月20日の予定です。


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