silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.380 2019/06/22

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------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その15)


イブン・カムーナの預言者論から、第2章のユダヤ教の伝統にまつわ

る箇所を読んできました。異論に反論を加えるかたちでカムーナは多

面的にユダヤ教の伝承を擁護していました。章の末尾部分には、同じ

伝承を共有している他の一神教、すなわちキリスト教とイスラム教に

ついてページを割いています。総じて、基本的な対立点が指摘されて

いるにすぎないのですが、それでもカムーナの考え方の特徴が表れて

いる箇所でもあるようなので、今回はそれを眺めてみましょう。


まずキリスト教についてですが、カムーナはその同宗教が、モーセや

それに連なる預言者の預言、奇跡、トーラーその他の預言書の信憑性

すべてを認めていると述べ、とくにパウロとなるサウルがパリサイ人

だったことを重く見ています。パリサイ人は復活の期待や天使などを

信じており、そうした教えを説かないサドカイ派(ユダヤ教内部の異

端とされています)とは違っているとされています。


カムーナの時代(13世紀)には、パリサイ派はラビ派と呼ばれるよう

になり、かつてのような主流派ではなくなっていたというのですが、

一方のサドカイ派はもとより少数派で、すでに消滅していると記され

ています。


キリスト教の福音書にも、ユダヤ人が死後の報いを信じていることが

記された箇所が数多くあるとカムーナは述べていますが、キリストが

トーラーの法を破棄したことが、受け入れがたい点なのだと指摘して

もいます。キリストは、自分はモーセの法を破棄しに来たのではなく、

補完しに来たのだと述べているわけなのですが、事実上の旧法の破棄

をめぐって双方は対立状態・緊張状態にあるわけなのですね。


イスラム教もまた、モーセの預言や奇跡、その前後の預言者らを認め

ているといいますが、ユダヤ教徒やキリスト教徒がよく使う、自分た

ち以外は天国に入れないという文言には批判的だといいます。そうし

た批判的文言がコーランの随所に見いだされる、というわけです。


さらにイスラム教側はユダヤ教についての基本的な見方として、トー

ラーが変更されていて、ユダヤ教徒はそれを正しく後継に伝えていな

いと捉えているようです。すでにそうした改変・改ざんについての反

論をカムーナは示していたわけですが、ここでそうした異議を唱えて

いる代表格としてイスラム教の勢力があったことが示されています。

イスラム教側は、トーラーそのものの信憑性に疑いをさしはさむので

はなく、あくまでその伝承に問題があったとする立場を取っているの

ですね。カムーナによれば、トーラーが破棄されたという議論こそが、

イスラム教の存立理由そのものになっているのだといいます。


そのため、イスラム教からの批判では、トーラーの細かな記述(とり

わけ日数などの数字)が真摯なものでないといった議論が展開します。

けれどもユダヤ教側は、日数などの数字はメタファーとして使われて

いるのだと反論します。その一方でユダヤ教側は、トーラーの文言は

永続性を表していると認識しなければならないとも主張し、それはコ

ーランに対するイスラム教の姿勢も同様ではないかと諭そうとします。

また、ユダヤ教、イスラム教の共通の批判対象になっているのが、ト

ーラーなどの文献を無視するというキリスト教なのだということも示

唆されています。このあたりの勢力図も興味深いところですね。


宗教間の対立について、カムーナはそれらは永続的だという悲観的な

立場を取っています。当時のバグダードの状況として、イスラム教徒

のほうがユダヤ教徒よりも多かったようですが、そのことを受けてか

カムーナは、少数派の宗派は多数派の宗派と交流すると、多数派のこ

とをいろいろと学ぶが、多数派が少数派と交流してもそうはならない

と述べています。言語において少数派が多数派との交流で多数派の言

葉を覚えるものの、多数派が少数派と交流しても言葉を覚えないのと

同じだ、とも記しています。


さらに、少数派が多数派から学ぶにしても、必ずしも多数派の一般大

衆の信仰に精通するところまでは至らず、いわんや少数エリートの難

解な教義をや、ということにもなり、結果的に相手の宗教について相

互に無知である状況はごく自然で、かつ変わることがない、とも述べ

ています。宗派内での大衆とエリートの分断のほか、同一宗派内での

分派同士の対立なども、理解を阻害する要因になりうると指摘されて

います。このあたりの見識は実に的確で、社会学的な視座でもあり、

まさにカムーナの「近代性」を示しているところだと思われます。



章の末尾部分の他宗派との絡みは、続く第3章、第4章へのプレリュー

ドにもなっています。それらの章では、それぞれキリスト教、イスラ

ム教の預言者観が検討されているのですが、いくぶん長大にもなって

しまうので、ここではそれらを読み進めることはせず、ごく大雑把な

概略だけをまとめるにとどめたいと思います。ということで、次回は

そのあたりを見て、これまでの総まとめとしたいと思います。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その15)


ダンテの『俗語論』を見ています。今回は第1巻の第12章です。さっ

そく見ていきましょう。



XII 1. Exaceratis quodam modo vulgaribus ytalis, inter ea que 

remanserunt in cribro comparationem facientes honorabilius 

atque honorificentius breviter seligamus. 

2 Et primo de siciliano examinemus ingenium: nam videtur 

sicilianum vulgare sibi famam pre aliis asciscere eo quod 

quicquid poetantur Ytali sicilianum vocatur, et eo quod 

perplures doctores indigenas invenimus graviter cecinisse, 

puta in cantionibus illis 

Ancor che l'aigua per lo foco lassi,

et

Amor, che lungiamente m'hai menato. 


第12章 1. このようにイタリアの方言を選り分けたので、残ったもの

を比較してふるいにかけ、最も高貴で栄誉に値する方言を簡単に選び

出そう。

2. まずはシチリア語の特性から検討しよう。シチリア語はほかより

も有名であると思われるが、それはイタリア人による詩歌がいずれ

も「シチリア詩歌」と呼ばれているからであり、またきわめて多くの

地元の教養人たちが、真摯な歌を作っているからである。たとえば次

のような歌がある。

「水は火から流れ出し」

「長く私を導いた愛よ」


3. Sed hec fama trinacrie terre, si recte signum ad quod 

tendit inspiciamus, videtur tantum in obproprium ytalorum 

principum remansisse, qui non heroico more sed plebeio 

secuntur superbiam. 

4. Siquidem illustres heroes, Fredericus cesar et benegenitus 

eius Manfredus, nobilitatem ac rectitudinem sue forme 

pandentes, donec fortuna permisit humana secuti sunt, 

brutalia dedignantes. Propter quod corde nobiles atque 

gratiarum dotati inherere tantorum principum maiestati conati 

sunt, ita ut eorum tempore quicquid excellentes animi 

Latinorum enitebantur primitus in tantorum coronatorum aula 

prodibat; et quia regale solium erat Sicilia, factum est ut 

quicquid nostri predecessores vulgariter protulerunt, 

sicilianum voc[ar]etur: quod quidem retinemus et nos, nec 

posteri nostri permutare valebunt. 


3. だがこのトリナクリア(シチリアの古名)島の名声は、それがど

のような意味を指し示しているか正しく捉えるならば、英雄的ではな

い粗野なやり方で自尊心を満たそうとするイタリアの君主への咎めと

して残っているように思われる。

4. 皇帝フリードリヒや天賦の才に恵まれたその息子マンフレーディ

などの英雄たちは、みずからに宿る高貴さや誠実さを開示してみせ、

その命運が許す限りにおいて、正しき人として動物的な生を拒絶して

いた。まさにそれゆえ、高貴なる心と寛大さを備えた人々は、優れた

君主に名を連ねようと努力し、かくしてそれぞれの時代に、傑出した

イタリアの人々がまずは輝かしき宮殿に現れ輝いていたのである。ま

た、シチリアには王座があったことから、先人たちが俗語で記した詩

作はいずれも、シチリアの詩作と呼ばれるようになったのである。こ

の呼び名は今でも一部に残っているし、私たちの子孫もそれを変える

ことはできないだろう。


5. Racha, racha. Quid nunc personat tuba novissimi Frederici, 

quid tintinabulum secundi Karoli, quid cornua lohannis et 

Azonis marchionum potentum, quid aliorum magnatum tibie, nisi 

‘Venite carnifices, venite altriplices, venite avaritie 

sectatores’? 

6. Sed prestat ad propositum repedare quam frustra loqui. Et 

dicimus quod, si vulgare sicilianum accipere volumus secundum 

quod prodit a terrigenis mediocribus, ex ore quorum iudicium 

eliciendum videtur, prelationis honore minime dignum est, 

quia non sine quodam tempore profertur; ut puta ibi: 

Tragemi d'este focora se t'este a boluntate. 

Si autem ipsum accipere volumus secundum quod ab ore primorum 

Siculorum emanat, ut in preallegatis cantionibus perpendi 

potest, nichil differt ab illo quod laudabilissimum est, 

sicut inferius ostendemus. 


5. なんと愚かしいことだろうか。最近のフリードリヒ(フェルナン

ド)のラッパ、カルロ2世の鐘、実力者ジョバンニ公やアッツォ公の

角笛、ほかの重要人物の笛が、どんな音を鳴り響かせているというの

だろう。「来るがよい、ならず者ども、裏切り者ども、貪欲の信奉者

ども」という以外に。

6. けれども、無駄な言葉を連ねるよりも本題に戻るほうがよいだろ

う。そんなわけで私はこう言おう。シチリア方言とは地元の平均的な

言葉を言うのだとするなら(それこそが判断基準になると思われるが)

、上位に位置するとの栄誉にはまったく与れない。なぜなら次に示す

ように、必ず長く伸ばすような音で発話されるからだ。「どーかこの

火ーから、私を連れ出ーしてくだーさい」。だがもしシチリア方言を、

シチリアを代表する市民の口から発せられる言葉のことと取るなら(

先述の歌の評価からわかるように)、それは後で示すように、いっそ

うの賞賛に値するものと違わない。


7. Apuli quoque vel sui acerbitate vel finitimorum suorum 

contiguitate, qui Romani et Marchiani sunt, turpiter 

barbarizant: dicunt enim 

Volzera che chiangesse lo quatraro. 

8. Sed quamvis terrigene Apuli loquantur obscene comuniter, 

prefulgentes eorum quidam polite locuti sunt, vocabula 

curialiora in suis cantionibus compilantes, ut manifeste 

apparet eorum dicta perspicientibus, ut puta 

Madonna, dir vi volglio,

et

Per fino amore vo si letamente. 

9 Quapropter superiora notantibus innotescere debet nec 

siculum nec apulum esse illud quod in Ytalia pulcerrimum est 

vulgare, cum eloquentes indigenas ostenderimus a proprio 

divertisse. 


7. アプリアの人々もまた、本来もつ頑なさか、あるいはローマ人や

マルケ人など、近隣の民との近さのせいか、醜悪な言葉を用いる。彼

らは「その子供をなかせてしまいたい」などと言うのだ。

8. だが、アプリアに住む人々は一般に下卑た言葉づかいをするもの

の、彼らのうちでも傑出した人々は丁寧な言葉遣いをし、自作の歌に

宮廷的な語彙を入れたりする。「婦人よ、教えてくだされ」や「愛の

ためなら喜んで」などの詩作を検討すれば、そのことは明らかである。

9. このように、上に示した見解からすると、シチリア方言もアプリ

ア方言も、イタリアにおいて最も美しい方言に入れることはできない。

その地元の最も雄弁な人々が、それらの方言とは別の言葉を用いてい

るからである。



今回も、伊訳と独訳からの注を中心にまとめていきます。まず2節め

でシチリア詩歌の代表的な作品として取り上げられている2つの詩句

は、どちらもグイド・デレ・コロンヌという13世紀のメッシーナの作

家のもので、この人物は判事でもあったということです。また、フラ

ンスの『トロイ物語』(12世紀)のラテン語への訳者の一人と同一人

物ではないか、という説もあるようです。


神聖ローマ皇帝だったフリードリヒ2世(1194-1250)は学問や文化の

保護者として知られた人物ですね。その子供でシチリア王のマンフレ

ーディ(1232-1266)を、ダンテはここでbenegenitus(良家の出の)

と評していますが、これは教皇派側からの誹謗中傷(マンフレーディ

はフリードリヒと愛人との間に生まれた子なのですね)に対して、そ

の正当性を擁護するためだったようです。いずれにしてもこの親子は、

シチリアにおける英雄的存在として高く評価されています。


ところが5節めには、それらとは対照的な権謀術数の人々として「最

近のフリードリヒ」以下が言及されています。ここでのフリードリヒ

とは、シチリア王になったアラゴンのフェルナンド2世(1272-1337)

のことだといいます。上の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の甥にあ

たる人物なのだとか。カルロ2世(1254-1309)はカルロ1世(シャル

ル・ダンジュー)を継いだ人物で、のちにナポリ王となっています。

ジョバンニ公とはモンフェラートの公爵、アッツォはフェラーラの公

爵で、いずれも『神曲』において風刺されているようです。


6節めの詩はチエロ・ダルカモという13世紀の詩人の作品からの引用

といい、ダンテはこれを滑稽だとして低く評価していたようです。長

く伸ばすような発音とは、単語の末尾から3音節目アクセントを置く

かたちが多用されていることを示しているようです(訳出に際しては

ちょっとだけ遊んでみました(笑))。


アプリア地方はプッリャからカラブリアにかけての古名です。そこも

シチリア同様、庶民は粗野ながら、一部の上流階級は優れた詩作を残

しているというのですね。8節に言及されている詩作は、最初がジャ

コモ・ダ・レンティーニという公証人でもあった13世紀の詩人の作で

す。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の宮廷官で、シチリア派の代表

格だといいます。そんなわけで、ダンテはここで歌を取り違えている

のではないかとされています。続くもう一つの詩は同じく13世紀の詩

人リナルド・ダクィノ作とされるものです。トマス・アクィナスの親

戚筋かもしれない、とのことです。

(続く)



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