silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.389 2019/11/23

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------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(その7)


フランスの哲学研究者フェスチュジエールの主著『ヘルメス・トリスメギスト

スの啓示』から、ストア派関連の箇所(2巻「コスモスの神」の一部)を見てい

ます。目下のところは、前段階のプラトンの著作についての議論(5章)を追っ

ています。前回は『ティマイオス』が世界の成り立ちをメタファーのかたちで

描き、主要因(美や善を目指す目的因)と副次的要因(物質的な作用因)が織

りなすさまを示している、という議論を見ました。前者を担うのは不動の知性、

後者を担うのは常に変化する感覚的・物質的なもの、とされまていました。重

要なポイントは、それらが存在論的に区別(つまり異なる存在として)される

ということです。


プラトンはそこで3番目の存在の様式を考察している、とフェスチュジエールは

指摘します。3番目ということは、知性とも物質とも違う何かですね。プラトン

はそれについて様々に言い換えているため、なかなか理解が難しく、曖昧だと

も言われます。たとえばそれは「入れもの」(dechomenon)であったり、「受

け入れるもの」(hupodoche_)だったり、痕跡を受け取る物質(ecmageion)だ

ったり、「母体」だったりします。さらには「(限定された)場所」「事物が

占める当の場所」、「一定の場所に在ること」などを表すコーラ(cho_ra)が

用いられます。要は形を受け取る不定形の物質的基盤のようなものです。余談

ながら、中世哲学ではこれを、ものの根源をなす第一質料と重ね合わせたりも

しています。


それ自体では形をもたず、不可視で、あらゆるものを受け入れることができ、

知性からの刻印を受ける存在……。ふつうに考えるならば、これはまったく実

定的な存在ではありません。しかしながら、それは通常のかたちでは存在しな

いものの、あらゆるものが存在するための依りどころになっているという意味

で、なんらかの実定性をもたらすものであるとも言えそうです。なにしろ、事

物同士が区別されるには、そうしたコーラが必要になるというのです。事物が

変化するような場合にも、コーラは変化を可能にする基盤をなしているとされ

ます。


このようにコーラは、目的因ではないけれど、その原因が作用する上で必要に

なる副次的な存在、中間領域であるとされています。コーラはとくに知性にと

っての「他者」、つまり異質なものとして存在しているのでしょう。ゆえにそ

れは多様性の根拠にもなります。多様性とはこの場合、世界において様々な事

物が、それぞれ場所的な境界をもちながら併存することを言います。知性が事

物を作り出すとした場合、知性しかないのであれば同一のものが際限なく生み

出されるだけになってしまいます。しかしながらこのコーラがあることにより、

その都度生み出されるものは、場所で規定された別個のもの、相互に異なるも

のとして成立することができる、というわけなのですね。こうした観点から眺

めるならば、コーラは「ひたすら受動的な潜在性」だということになります。


その一方で、コーラの「実定的な側面」を強調することもできるかもしれない、

というのがここでのフェスチュジエールの論点です。世界はいかに秩序立てら

れようとも無秩序を伴っています。その無秩序はどこから来るのかと考えると、

プラトン的にそれは物質(元素)からだということになります。そして物質を

下支えしているのがコーラだとすると、無秩序はコーラに発するということに

なりそうです。しかしながら、創造的な知性にあくまで限定を加えるだけのコ

ーラに、そのような無秩序を生み出す契機があるのでしょうか。あるとすれば、

どのように与えられているのでしょうか。


プラトンが実定的なコーラの性質に言及しているテキストとして、フェスチュ

ジエールは『ティマイオス』でのコーラの説明部分の末尾(52d4 - 53b5)を挙

げます。そこでははっきりと、物質は無秩序であり、無秩序の原因でもあると

記されています。4元素は「入れ物」によって揺さぶられ、その入れ物もまた動

かされていて、異なるもの同士を分け隔て、似ているもの同士を寄せ集める、

というのですね。「無秩序をもたらす動く物質」というその考え方は、後世に

おいて「悪しき物質」という観念を導き、ヘレニズム時代の神秘主義、グノー

シス主義に大きな影響を与えることになっていきます。


もちろんプラトンにおいては、最終的に善こそが悪しき物質に勝利し、全体は

秩序のもとに置かれることになります。とはいえ『ティマイオス』に、「悪し

き物質」論の萌芽があることは確かだとフェスチュジエールは見ています。そ

してこの善と悪の二つの原理の競合は、プラトンの他の著作にも見いだせるラ

イトモチーフなのだとされます。たとえば中期対話篇の『テアイテトス』には、

ソクラテスが次のようなことを語る場面があります(176a4 - b1)。「善への

対立物が地上からなくなることはなく、したがって人はできるだけ速く現世を

逃れて天上界に至る努力をすべきだ云々」。同じく中期対話篇の『国家』でも、

「人間には知性によって二つのモデルが示されている、一つは幸福に満ちた神

的なモデル、もう一つは哀れでしかない神なきモデルだ」というような箇所が

あり(500d - e)、フェスチュジエールはこれを実定的な悪の存在を暗示する

ものと解釈しています。


当然ながら続く後期対話篇にもそうした言及は散見されるようで、フェスチュ

ジエールは『政治家』から少し長めに引用しています(269c6 - 270a9)。とう

いわけで、これを少し詳しく見たいところですが、長くなりそうなので次回に

改めて取り上げることにします。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その2)


テオフラストスの『植物原因論』から、第6巻を読むシリーズの2回目です。


前回、テオフラストスがアリストテレスの弟子筋であると記しましたが、最近

出たアルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス――生物学の創造』(森夏樹

訳、みすず書房、2019)という本の冒頭近くに、少し面白い描写がありました。

それによると、アリストテレスが動物誌の研究に着手するのが、38歳か39歳の

ころに花嫁とともにレスボス島に移り住んだときではなかったというのです。

そのレスボス島行きに同行したのではないかと思われるのが、テュルタモス、

別名テオフラストスではなかったか、というのですね。あるいは同行ではなく、

レスボス島で出会ったのか、詳細はわからないままです。テュルタモスはレス

ボス島のエレソス生まれで、アリストテレスより13歳若く、師弟関係というか、

少なくとも友人関係を結んでいたことは間違いなさそうです。テオフラストス

という名は、アリストテレスが付けたものだとか。


この『生物学の創造』は、生物学者による著書で、古典の文献を丹念に読み込

みつつ、また現代的な生物学からの見方なども入れて、アリストテレスが何を

知りえ、何を知りえなかったのかを明らかにしていくという、なかなか読み応

えのある秀作です。アリストテレスとテオフラストスについては、ほんの数ペ

ージが割かれているにすぎませんが、両者の性格的な違いにも触れていて、ア

リストテレスがときに大胆な説明を採用するのに対して、テオフラストスはあ

くまで経験にもとづく慎重さを示していると評しています。このあたりの話は、

ストラボンやディオゲネス・ラエルティオスなどの伝記的な記述をもとにして

いるのでしょう。


さて、それでは前回の続きの箇所を見ていきましょう。1章の残り、3節から6節

までです。原文は前回と同じhttp://www.medieviste.org/?page_id=9984をご参

照ください。前回のファイル(前回の訳に一部修正あり)に追加しています。



1.3 私が「感覚にもとづいて感じ取るもの」と述べるのは、次のようなことで

ある。舌本来の分泌液を明確にさせうるもの、あるいはまた潤滑さをもたらす

か、繊細もしくは滑らかな風味を甘さと称する。水分を失わせるもの、あるい

はわずかながら固着させるものは渋みと称する。破壊的で刺すような風味、あ

るいは自然の分泌液が含み持つ熱さを上位の段階へと引き上げるもの、もしく

は端的に焼け付くような、熱をもたらす風味を辛さと称する。刺すような、渇

きをもたらす風味をしょっぱさと称する。分泌液を破壊するようなもの、解体

的で刺すような、あるいは単純に口当たりが悪いもの、この上なく口当たりが

悪いものを苦さと称する。感覚器官、もしくはそこに含まれた分泌液を押し流

すようなもの、あるいは表面的な風味にあって、刺すような刺激、固着させる

ような刺激、水分を失わせる刺激をもたらすもの、あるいは単純に荒れてはい

るものの緩和された渋みを、えぐみと称する。


1.4 再びプラトンの話になるが、彼は全体的な性質の違いを、ざらつきと滑ら

かさをもとに結合と分離によって説明し、一方でそれぞれの風味について、そ

うした特性により分類している。導管を収縮させ水分を取り除くものは、ざら

つきが大きい場合には渋みとなり、それよりも小さい場合にはえぐみとなる。

洗浄的な作用もあり、舌をとりまく一切を洗い流してくれる場合もある。度を

越えて洗浄効果のあるものは、硝石(ソーダ)の作用のように、自然に備わっ

ている風味まで溶解させ、苦みを生じさせる。それよりも弱く、洗浄力が穏や

かなものであればしょっぱさとなり、苦みがなくわれわれにとっていっそう好

ましいものとなる。


1.5 口内の熱を共有し均一化した成分が、その熱により火がついて再び口内を

燃やし、軽さによって上昇し、頭部の感覚器官にまで至り損傷を与えると、そ

れが辛さとなる。解体されてあらかじめ小片に分かれて狭い導管へと入り、混

じり合って発酵し、泡を生じさせ逸脱を引き起こすと、それが酸味となる。こ

うした感覚すべてに対立するのが、甘さに属する成分である。ざらつくように

なったものが塗布によって滑らかになるとき、自然に反して広がったものを修

正し結集させ、また結集したものを再び弛緩させ、最大限自然のもとに置きな

おすもの、それが甘さをなす。以上が、属性による味わいの区分である。


1.6 一方、デモクリトスは、それぞれの風味に図形をあてがい、甘さとは丸く

て適度な大きさとなるものと考えている。渋みは、ざらつきを伴い、様々な角

度をもち、丸みのない大きな図形とされる。酸味は、尖がっている(oxus)と

いうその名が示すように、鋭い突起をもち、角張っていて、細くて丸みのない

線をなす。辛さは、丸みを帯びつつも細くて角張った線をなす。しょっぱさは、

角張っていて、適度な大きさをもち、湾曲し、不ぞろいである。苦さは、丸み

があり滑らかな湾曲を示し、小さな図形をなす。油っぽさは、細くて丸みがあ

り、小さい図形となる。以上、解釈はこれほどまでに異なるのである。



風味の説明として、ここでは自説(?)と、プラトンのもの(1.4および1.5)、

そしてデモクリトスのものが挙げられています。まず自説では、舌の分泌液を

舌本来の風味とし、これを基準にして、その分泌液との作用でもってすべての

風味が説明されています。作用としては、水分を失わせる、液を破壊する、液

を押し流す(洗い流す)、刺激をもたらす、などが挙げられており、それらの

組み合わせやそれぞれの程度の違いなどから、風味の違いがもたらされるとし

ています。ある意味機能的な説明ですね。アリストテレス的と言ってよいかも

しれませんが、英訳注などを見ると、これらの典拠はプラトンの『ティマイオ

ス』(65b - 66c)だということです(!)。


続く1.4節ではプラトンの名前が明示されていますが、同書でプラトンの名が出

るのは後にも先にもこの一か所だけだといいます。仏訳注によれば、テオフラ

ストスは若いころにアテナイのアカデメイアを訪ねたことがあるとされ、それ

がちょうど『ティマイオス』が書かれる数年前だったろうとのことです。たし

かにこの箇所の説明は、『ティマイオス』での説明にかなり近いものであるこ

とがわかります。


ざらつきと滑らかさという様態をベースとし、そこに結合・分離(凝集と希釈?

)を加味し、味わいのバリエーションを説明づけています。導管という言葉が

1.4と1.5に出てきますが、これは舌の分泌物が通る管ということのようです。

ここでもまた甘さが基本となっています。仏訳注によれば、乳児が口にする母

乳の味がその基本形とされているようです(この話はもう少し先にも出てきま

す)。テオフラストス自身によれば、こうした考え方は、アナクサゴラスにも

あったとされ、甘さと酸味は対立し、酸味との対比なくしては甘さそれ自体を

感じ取れないとされているのだとか(テオフラストス『感覚について』)。


1.6節ではデモクリトスの説が述べられています。味わいとなんらかの幾何学的

な図形とを対応させる議論は、一見かなり突飛なものにも思えますが、仏語注

は、ディオゲネス・ラエルティオスが記すデモクリトスの著作一覧を踏まえる

ならば、それほど奇異ではないかもしれないとしています。デモクリトスの著

作も失われているわけですが、数学や自然学の著書が膨大にあったようなので

す。とはいえ、やはりこの箇所だけでは、デモクリトスが何をどう考えてその

ような対応関係を構築しているのかはあまりはっきりしません。ただ、細さ、

丸み、角、湾曲の有無など、図形の構成要素へといったん分解して再構築して

いるあたりからすると、プラトンやアリストテレスなどのアプローチと、注目

点こそ違えど、考え方、議論の構造などは案外近いのかもしれない、という気

がしてきます。


冒頭で挙げた『生物学の創造』でも指摘されていますが、デモクリトスはその

原子論がらみで、プラトンやアリストテレスから大きな批判を受け忌み嫌われ

ていました。しかしながら、逆にそのことによってデモクリトスの名が残った

という側面もありそうです。アリストテレス哲学は、デモクリトスへの反論と

して構築され、デモクリトスあればこその哲学議論といった風でもありました。

それほどまでにデモクリトスの当時の名声は明らかであり、その後著作が残さ

れなかったとはいえ、当時の主要な哲学者の一人として認められていたのでし

た。

(続く)



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