メルマガの方でちょっと触れたのだけれど、トマスの場合には、新プラトン主義的な発出論を取り込んでいるとはいえ、どうもそれはアヴィセンナなどの逐次的構造の発出論とは違って、いっぺんに発出する、みたいな感じになっているとの指摘がある(『神秘と学知』長倉久子訳注、創文社、1996)。で、そのトマスのソースが気になったのだけれど、何気に目を通したフラン・オローク『偽ディオニュシオスとトマスの形而上学』(Fran O’Rourke, “Pseudo-Dionysius and the Metaphysics of Aquinas”, University of Notre-Dame Press, 1992-2005)に、どうやらそれが偽ディオニュシオス・アレオパギテースであるらしいことが記されている。そっか、やっぱりなという感じ。これまたメルマガに以前書いたけれど、偽ディオニュシオスとトマスの関係性はあんまり研究が多くない印象。その意味ではこれは貴重な一冊。最初の掴みこそいまいちだけれど、論が進むほどに引き込まれる感じ。偽ディオニュシオスのテキストを発出論として読むという視点は、うかつにもスルーしていた……(反省)。アヴィセンナ的な発出論はそれなりに構造として精緻化されていると思うのだけれど、偽ディオニュシオスあたりはもっと素朴というか直接的というか。そのあたりを取り込んで、アリストテレスなどとすり合わせているのがトマス、ということになりそうだ。
*↓深まりゆく晩秋の都内某公園その2