先に挙げた論集『胚–形成と生命活動』の続き。とりあえず3分の2ほどまでざっと読み進む。この論集のもととなったシンポジウムのきっかけは、パリの国立図書館に一部のみ残る「Ad Gaurum」という文書にあるのだという。それだけにほぼすべての論者が、多かれ少なかれこの書に言及している。正式名は”Γαληνοῦ Πρὸς Γαῦρον περὶ τοῦ πῶς ἐμψουχοῦται τὰ ἔμβρυα”(胚がいかに魂を得るかについての、ガウロス宛ての書)で、タイトルに入っているように、誤ってガレノスのものとされていたのだという。後に内容・形式の両方からポルピュリオスと密接に関係していることがわかり、ポルピュリオス作とさえ言われるようになっていった、という話(ドランディ論文)。パリに残るのは不完全な文書だそうだけれど、ほかに発見されていないという貴重なもの。とはいえ、ピロポノスが参照していたり、さらに後のプセロスも引用していたりと、ビザンツ世界ではそれなりによく知られていた文書らしい(コングルドー論文)。だいたい、パリの写本自体が、1840年代にフランスの公教育相からのミッションを委託された考古学者ミノイデス・ミナスが、その一環としてアトス山の修道院から買い取ったものだという。うーん、その写本、いつか機会があれば国立図書館訪ねていって見たい気もするが、一般人はちょっと無理か……。
ま、それはともかく、「Ad Gaurum」は内容的には、胎内の胚は魂をもたずただピュシス的に成長し動くのみで、魂は出産の際に注ぎ込まれる(光の照射のような形で?)という立場だといい、アリストテレスのような発達論(魂は胚にすでに潜在するという立場)とは対立しているという。ピロポノスなどは一種の折衷論を採用している感じだけれど……(同じくコングルドー論文)。いずれにしても、アリストテレスの発達論はキリスト教の教義とも摺り合わせがしやすく、初期教父たちによる、中絶を認めない立場などにも援用されていたようで(プーデロン論文)、西欧のキリスト教世界では、やはりアリストテレス的な立場の優勢さが長く存続していくらしい(3世紀以降になるとガレノス的な生理学が広まるというけれど)、一方の「Ad Gaurum」がビザンツ世界でそれなりに広まっていったというのは、教義上の違いなども絡んで、ある意味とても興味深い話かもしれない。うーん、やはりビザンツは謎だな。というか、奥が深そう。