アタナシアーディ『後期プラトン主義における正統派をめぐる戦い』もあと少し。第5章はイアンブリコス。先のヌメニオスやプロティノスの思想は、後の世代にそのまま継承されることがなかったわけだけれども、著者はまず、これら二人(とくにプロティノス)の周辺化の理由を探ることから始めている。キリスト教が反グノーシス主義を通じて異端と正統派を明確化させていったように、プラトン主義においても、ポルピュリオスによるプロティノスの著作の整備が、イアンブリコス流の魔術思想の台頭への対抗策だった可能性があるという。ところがそれは聖書のような、信者集団にとっての焦点となることがなかった。なぜか。著者は、当時の趨勢だったアリストテレスの取り込みに背を向けていたこと、実像と離れたプロティノス像が流布されたこと、従来の伝統への曖昧な態度などがあるとしているけれど、それに大きく影響を与えたのはポルピュリオスやイアンブリコスの動向だった。折しも新たな宗教性が求められつつあった時代にあって、『カルデア神託』を取り込んだそれら二人の思想動向こそが世間的にはウケていく。うーむ、弟子はやはり師匠を踏んづけ曲解したりしながら、それを踏み台にして飛躍していくものなのね(笑)。イアンブリコスもやはりシリアのアパメアで活動している。
イアンブリコスはもとよりどこか宗教家的な雰囲気を湛えていたようで(著者はその出自の周辺をシリアの歴史に関連づけてまとめているが、ここでは割愛)、儀式的神秘主義の側面は本人の思想内容とは別に一人歩きしていたらしい。とはいえ、一方ではプラトンの「ピュタゴラス化」を決定づけ、その正典化を図ったことが大きな足跡ではある。アリストテレス思想をも取り込み、またプラトン主義の門をくぐる者へのカリキュラムを整備したとされる。また、『カルデア神託』を聖典へと引き上げた功績もある。イアンブリコスは全体としては宗教思想的で、魂の再上昇を儀礼的方法で実現することを主張し、そのコミュニティも当時のシリアにあったらしい様々な派と同様、一種の教団として、絶対的一者のまわりに神的存在を配するという拝一神教的な性格をもったものではなかったか、と。こうして教団的に画定された宗教的思想そのものは、さらに後代のダマスキオスなどにも引き継がれていく……。