まずは引き続きアリストテレス。起源の代わりに原因を打ち出したアリストテレスだけれど、その四原因説は言われるほどはっきりと「四区分」されているわけではない、と著者は言う。ときには二つしか挙げられていない場合もあり、自然学には「形相因・目的因・作用因」を一つにまとめる記述すらある。アリストテレスの言う原因は、こうして「事物の存在ないし生成をもたらす拠り所」としてまとめられる。原因を探求するとは、それ以上は(拠り所についての)思惟が可能でないぎりぎりの限界を見出すことにほかならない。そして、存在と生成の両方を捉えるために「ウーシア」の概念が浮上してくる……。
というわけで、「無からは何も生まれない」という成句が「原因なしには何も生まれない」という成句に置き換わる契機はアリストテレスに遡る。これがキリスト教世界にいたると、今度は「ラティオなしには何も生まれない」とも言い換えられる(4世紀のラクタンティウスなど)。それには初期教父らによる神の恩寵の考え方が関わっているといい(2世紀ごろのローマのヒッポリトはすでに、神とはラティオであるとしていた(p.60))、同じくアウグスティヌスもそうした文脈で、原因の秩序(それはとりもなおさず認識される秩序だ)について論じ、神の恩寵という目的にもとづく秩序だと考える。こうして目的因(すなわち神の恩寵)が突出するようになる。たとえば偶有・偶然なども、原因なしに生じるものではなく、ただ目的因なしに生じるものだと解釈されるようになる(ボエティウス、セビリアのイシドルス、さらには11世紀の辞書編纂者パピアス)。
こうして時代は中世へ。ステラのイサク(12世紀)には「原因なしには何も生まれない」と「ラティオなしには何も生まれない」との並記(言い換え)が見られるといい、両者がほぼ同義で使われているという。ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ(9世紀)はギリシア語のロゴスのラテン語での訳語として「verbum、ratio、causa」の3つを提唱していた(p.60)。原因とラティオのもつ等価性そのものが議論の対象となったことはなく、たとえば「三位一体」などの大問題に比べ、原因とラティオの関係は神学的・形而上学的にもさしたる重要性はないと見なされていたらしい。
やがてその一方で、目的因としての原因とラティオの乖離もまた明確に現れ始める。アンセルムスは、神が創造する「事物の形相」をめぐる議論において、原因なしに生じるものであっても、そこにラティオはあるという考え方を示してみせた。また12世紀において、アウグスティヌスの読みから「作用因」についての議論が現れてくるのだという。