フランシスコ会系の思想をわずかながら追いかけているのだけれど、また新たな人物登場(笑)。コーンウォールのリチャード・ルフス。この人物に関するレガ・ウッドの論考(Rega Wood, ‘Richard Rufus of Cornwall on Creation: The Reception of Aristotelian Physics in the West’ in “Medieval Philosophy and Theology, vol. 2”, 1992 →PDFファイルはこちら)を読む。リチャード・ルフスはヘイルズのアレクサンダーやボナヴェントゥラとほぼ同期で、フランシスコ会を知的一大勢力にすることに貢献した人物だという。ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』の初期の注解者でもあり、思想的にはアリストテレスの受容に関してなかなか微妙な立ち位置である様子。この論考では、「世界の永続性」「無からの創造」といった、アリストテレス思想とキリスト教との一大反目点について、ルフスのちょっと変わった解釈を、しかも著作別(つまりは年代別)の変化の様子を交えつつ詳しく紹介している。というわけで早速、若干のメモ。
年代的に最も早いらしい『自然学注解』(1235年頃)では、時間論において興味深い考察を行っている。「今」について、現世的(時間的)「今」と永遠の「今」の二つがあるとし、この後者は過去の終わりでも未来の始まりでもない、まさしく永遠の相のもとにある「今」ということとされる(すなわち神の「時」だ)。時間に始まりはないとするアリストテレスは、この両者を取り違えているということになる。ルフスはまた、過去は無限ではないという議論を取り上げているともいう(もとはフィロポノスにまで遡れるこの議論は、マイモニデスなどを経由して西欧に入り、オーベルニュのギヨームなどが取り入れているという。ルフスの場合、議論の仕方は先行するそれらのものとは異なるらしい)。さらにルフスは、アリストテレスの議論を取り上げてアリストテレス本人に反駁を加えたりもし、アリストテレスは真に解釈すれば世界は永遠であるとは言っていないはずだとまで主張するという。こうしたアリストテレスに「好意的な」解釈は、ヘイルズのアレクサンダーの影響によるものだそうな(!)。
続く『形而上学注解』(1238年以前)では、『自然学注解』のスタンスを残しつつも、全体的な見取り図は変化していて、アリストテレスへの「好意的」解釈はだいぶトーンが弱まっているらしい。どうやらこれはやはり同時代のロバート・グロステストの反アリストテレス的立場の影響によるものとのこと。なるほどグロステストは、アレクサンダーとは対照的なのか。で、ルフスへのその影響は1250年頃の『命題集注解』にいたっても明らかに見られる、と。ルフス自身の面白い議論も多少はあって、たとえば神の本質をそれ自体と見る場合と、外部の対象(被造物)との関係で見る場合との区別(創造によって神の本質は変化するのか、という問題への回答)などは、上の二つの「今」に重なる議論になっていたりするようだ。つまり神それ自体は永遠の今にあるものの、その発話は時間的秩序の中にありうる、というわけ。これもまあ、完全にオリジナルの議論ではなさそうだけれどね……。この論考の著者は、ルフスは自分の独自性こそ育まなかったものの、アリストテレス的な世界の永遠性に対する、その後も続く西欧の反論を系譜を先取りしていたと結論づけている。
うん、ルフスの質料形相論はどんな感じかが激しく気になるところだ(笑)。ちなみにこのルフスをめぐっては、邦語で読める論考として中村治「リチャード・ルフスの思想と写本」(2000)ほかがあるようだ。これは文献学的な研究で、大阪府立大学学術情報リポジトリ(こちら)からダウンロードできる。