船便になってしまったらしく、注文から二ヶ月かかってようやくオリヴィ関連でぜひとも見ておきたい論集が届いた。カトリーヌ・ケーニヒ=プラロングほか編『ペトルス・ヨハネス・オリヴィ:哲学者兼神学者』というもの(“Pierre de Jean Olivi – philosophe et théologien”, ed. Catherine König-Pralong et al., De Gruyter, 2010)。2008年にフライブルク大学(スイス)で開かれたシンポの論集。ほぼ最新の成果満載といったところ。全体として、オリヴィの質料形相論がらみの議論が大きく取り上げられている印象だ。というわけで早速、編者の一人でもあるケーニヒ=プラロングの「オリヴィと存在論的形相主義:アリストテレスとアヴェロエスの読解、アルベルトゥスの批判者?」という論考に目を通す。いきなりこれがめっぽう面白い(笑)。
オリヴィは基本的に、神以外の被造物はすべて質料(的なもの)と形相(的なもの)から成るという立場を取る(メルマガでも取り上げているけれど)。魂のようなものすら質料と形相から成るとされる。ところが、一方でアリストテレス(『形而上学』の7巻(Z巻))は、人間において魂は肉体に先行するものであり、肉体は人間の定義から外されるという見解を示し、これが中世において形を変え、「魂は身体の形相であるか」をめぐる論争と化す。別の言い方なら、質料は人間の定義に関与するかどうかをめぐる論争だ。オリヴィは当然ながら、魂は形相と質料から成るとして複合体説を取る。で、その著作においては、それと敵対する形相説(魂は肉体の形相であるとする立場)が批判されるのだが、ではその形相説を唱えているのは具体的に誰なのか、という悩ましい問題が浮上する。なぜ悩ましいかというと、実際にはっきりと形相説を唱える論者というのが、オリヴィの同時代人にはなかなか見つからないという事情があるためだ。
一般に、形相説はアヴェロエスがアリストテレスを誤読して導入したとされるようなのだけれど、オリヴィはアヴェロエスには比較的好意的で、むしろアリストテレスが根本的な間違いをしていると指摘する。この大元を批判するというのは中世の論者ではかなり珍しいという。同論文はここから、オリヴィとは別の陣営のブラバントのシゲルスやトマスを取り上げていくのだが、それらの論者もむしろ複合体説に好意的だったりする(トマスすら、部分的形相と全体的形相を区別するなどして、人間イコール魂という単純な図式には反対しているという)。で、なんとここで、一つの可能性が指摘される。形相論の立場を取る人物として、アルベルトゥス・マグヌスが挙がるのではないか、というのだ(!)。うーむ、ちょっとこれには唸ったり(笑)。多少とも状況証拠的な面が強いような印象も受けるけれど、論考の流れとしてはなかなか見事な感じもする。検証のしがいもありそうな説ではあるし。この論集、こんな感じでほかにもいろいろと興味深い論考が並んでいるので、メルマガでも取り上げていきたいと思う。