各者各様の質料観

連休の少し前にゲットした『西洋思想における「個」の概念』(慶應義塾大学出版会、2011)を、空き時間を使ってかなり雑にだけれど目を通しているところ。急逝された中川純男氏の事実上の追悼論文集とも言える一冊。個をめぐる問題について、思想史上のエポックメーカーたちを取り上げた論考でもって俯瞰しようという主旨らしい。アリストテレスの後はアウグスティヌス、トマス、スコトゥス、エックハルトときて、おそらくこの論集の主役であろうライプニッツにまでいたる。もちろん飛び石的ではあるけれど、こうした長めのスパンでの論集というのはなかなか面白い(邦語論文なので、ある種の読みにくさはあるけれど)。こういう企画はぜひいろいろなところで進めていただきたいものだと思う。

とりあえず半ば過ぎまで目を通してみたけれど、個人的な目下の関心もあって、ついつい質料形相論がらみの記述に目がいってしまう(笑)。佐藤真基子「アウグスティヌスにおける個体の可変性についての理解」では、アウグスティヌスが用いる無形質料(materia informis)なる語が、プロティノスをもとにしつつ、事物の変化に着目した表現であることを指摘していて興味深い。なるほど『告白』と並んで『ソリロキア』もやはり重要だなあ、と改めて思う。続く水田英実「個の概念に関するトマス説」では、例の「指定された質料」(materia signata)が取り上げられている。ハードディスクに比して言えば「フォーマット済み」の質料か(笑)。部分的形相・全体的形相(「人間性」など)とその指定された質料とのどこか緊張を孕んだ関係を(?)、『De Ente』のテキストから取り出してまとめてみせている。

さらに次の小川量子「ドゥンス・スコトゥスにおける個の問題」は、スコトゥスの個体化理論の概要を史的な周辺事情をも絡めてまとめ上げている。スコトゥスでは認識の問題から個体化の話に入るために、質料形相論はやや後方に位置するように思える。実際この論文でも扱いは大きくないものの、トマス的な質料による個体化(複合体の)という議論に対して、スコトゥスのは、質料には質料を「この質料」にする個体化の原理があり、形相には形相の個体化の原理があり、複合体の個体化の原理もまた別ものなのだ、とまとめている(うーむ、このあたりのテキストの解釈は結構微妙なものになる感じもするが……再検証しよう)。高橋淳友「エックハルトにおける「個」の概念」はマイモニデスとの関連でエックハルトのキータームを考察するというもので、質料形相論は出てこないようだが、逆にエックハルトの場合に質料形相論がどうなっているのか気になってきた(笑)。橋本由美子「個体と世界」はライプニッツのモナドロジー解釈。ライプニッツが質料とだけ言うときの質料は第二質料なのだというが、すると第一質料はどうなるのかということになるわけだけれど、なにやらここで、この論集を最初から見てきた読者には、これがなんだかアウグスティヌスの無形質料に重なって見えてくるような……(笑)。既視感がおりなす円環?いやいや、そこでは終わらない。論考はほかにも田子山和歌子「ライプニッツにとって個とは何であるか」、藁谷敏晴「論理的存在論について」「三段論法における単称命題の特殊性に関するライプニッツの要請について」、そしてモナドロジーの全訳(田子山訳)が続く。こうして名ばかり連休の夜も更けていく、と……。