中世の災害:1348年北イタリアの地震

中世ヨーロッパの地震の記録として一番有名なものといえば、やはり1348年の北イタリアの地震、そして1356年のバーゼルの地震ということになるのかしら。この1348年の地震については、地震の体験や被害を綴った文献というのが結構あるようで、研究も充実しているらしい。代表的なもの(定番?)として、アルノ・ボルストによる1981年の論考があるそうだ(‘Das Erdbeben von 1348. Ein historischer Beitrag zur Katastrophenforschung’,
in “Historische Zeitschrift 233” (1981)
)。アルノ・ボルストといえば、比較的最近邦訳が出た『中世の時と暦』や、もっと古くは『中世の巷にて』などの邦訳があるドイツの中世史家。より新しい定番ものとして、クリスタ・ハンメルルの研究というのもある(Hammerl, Christa: Das Erdbeben vom 25. Jänner 1348. Rekonstruktion eines Naturereignisses (Diss. Univ. Wien 1992) )。こちらは歴史地震学の専門家。どちらの当該論文もネットではまだ公開されていないようだけれど、このハンメルルにはそれとは別の論文があって、Web公開されている。

「1348年1月25日の地震、ソースの議論(“The earthquake of January 25th, 1348: discussion of sources”)」というのがそれ。これがまたなかなか素晴らしい。同地震について伝える100以上の文献を渉猟し、被害状況の再構築を行ったという報告だ。面白いことに、実際に地震が体感された地域と、それを伝える文献(年鑑や年代記)の存在する場所は必ずしも一致せず、北部のほうが南部よりも文献数が多いのだという。著者によると、それはシトー会などの修道院が情報伝達の媒体をなしていたからだろうという。うーむ、これは鋭い視点だ。文献そのものも興味深いものがいくつか紹介されている。有名どころでは、たとえばペトラルカがジェノヴァの大司教に送った手紙には、本棚から本が飛び出したみたいな話が記されていたりするし、ジョヴァンニ・ダ・パルマは、揺れが二段階できたことや、教会の鐘が本震のせいで鳴りだしたことなどを記している(これって結構有名な描写だったような気がする……)。文献によって建物が崩れた描写があったり、実害はなかったらしいことが仄めかされていたりするといい、それらを文献学的に整理すると、かつてはフィラッハ(オーストリア)が震源に近いのではとされていたその地震は、実はフリウリのほうが被害が大きいことなどがわかるという。うーむ、見事だ。フリウリでは1976年にも大きな地震が起きているし、やはり古い文献はあなどれない……。