アベラール再び

『ケンブリッジ必携』シリーズはいろいろな思想家のものが出ていて、アベラールの巻(“Cambridge Companion to Abelard”, ed. Jeffery Brower et al, Cambridge University Press, 2004)ももちろんあるわけだけれど、これに収録されているピーター・キングの「アベラールの形而上学」(Peter King, ‘THE METAPHYSICS OF PETER ABELARD’, pp.65-125)がPDF(→こちら)で公開されているのを最近知る。さっそく落として、今前半くらいまでをざっと見ているところ。アベラールは従来、どちらかというと普遍論争がらみや論理学方面から取り上げられることが多いという印象なので、その「形而上学」の概要をまとめるというのは結構珍しいのではないかという気がする。で、この論考でもまずその唯名論者(反実在論者)的な面から入っていく。アベラールが実在論を斥ける議論を展開しているのは、有名な例の「Logica Ingredientibus」だけれど、この論文の著者は少し細かく紹介している。アベラールがボエティウスの示す「普遍」の基準に合致しないとして斥けるのは実在論は、物質的本質を認めるタイプの実在論(一般的な実在論)と、集合的実在論(部分が集まったものを普遍とするという実在論)、中立理論(シャンポーのギヨーム:個物のみが存在するとしつつ、その個物の中立的同一性を普遍とする実在論)などがあったとされている。で、その上でアベラールが考えていた個物についてのまとめがあり、その基本的な質料形相論が、アベラールの唱える二段階創造説の文脈(無からの元素の創造と、その後の形相の創造)から紹介される。形相と質料の密接な相互関係などが強調されているといい、一方で人間の魂は形相そのものではなく形相に類するもの、といった議論を展開しているとされ、なにやらそのあたり、後世のアウグスティヌス主義を彷彿とさせたりもする。このあたりの話は、ポルピュリオスのエイサゴーゲーへの注解(Logica Ingredientibusの1巻目)からのものなのだとか。

その後、今度は全体と部分、本性、可能態といった諸概念についてのアベラールの立ち位置が検証されていく。たとえば最初の全体と部分についてでは、アベラールは共通の本質が分有されるという普遍的全体という考えを斥け、むしろ部分の集合が認識論的に統合されるという統合的全体の理論(これもまた唯名論的だ)を唱えるのだとか。ただし近代的なメレオロジーとはいかず、たとえば類から種への分割という場合、ほかよりも優先的とされる種への分割が前提となっているという。いずれにしても、このようにアベラールの形而上学は全体として、その唯名論(反実在論)的なスタンスによって支えられていることが繰り返し強調されている。ふーむ、でもこのLogica Ingredientibusはやはりかなり特異なものという印象を受ける。というのも、このテキスト以外でのアベラールの議論は、どちかというと実在論と唯名論の折衷案というか、なにがしか中庸的な議論をなしていたように思えるから。Logica ingredientibusは長大なテキストだけれど、やはりそのうち目を通す必要があるかもなあ、と少し身震いする(笑)。