プラトンの模倣?

週末にちょっと用事で田舎に行っていた。で、今回の旅のお供にしたのが5世紀以後の逸名著者による『プラトン哲学序論』(Prolégomènes à la Philosophie de Platon, trad. J. Trouillard, Les Belles Lettres, 2003)。昔はオリュンピオドロスの著作ではないかといわれていたもののようだけれど、この希仏対訳版の序文では、アレクサンドリア学派でのプラトンについての講義録らしいとされ、著者はプロクロス以後の教師ではないかという。講義録だけあって、全体的に平坦な観じで書かれていて読みやすい(笑)。まだざっと本文の半分程度しか見ていないのだけれど、とりあえず中身はというと、まずは第一部。プラトンの神々しい生涯(というか学問の研鑽の遍歴)がまとめられ、次いでその教義の紹介を兼ねて、諸学派に対してプラトンが何ゆえに秀でているかを述べている。続いて第二部になると、「書」をめぐる話、対話についての説明を経て、対話の細かな諸特徴へと話が進んでいく。書くことが基本的には神の模倣だったという話がこのあたりの主軸。文字は魂の入っていない悪しき書だけれど、弟子は魂の入った優れた書だ、とするプラトンは、神の栄光に与るべく、あえて最小限の悪も辞さず、一部は書として伝え、それ以外は別の形、すなわち弟子の養育によって伝えたのだ、と。なぜ対話かという点も、同じように神の模倣とされる。異質な存在が共生する世界を写し取れるのが対話なのだ、というわけだ。しかも悲喜劇などの文芸作品とは違い、登場するキャラクターが善悪のように分かれて固定したりせず、各人が対話を通じて正しい思惟へと導かれるよう変化していくのだ、と。うーむ、そういえばプラトンの模倣論で、なにか重要な論考があったようにも思うのだけれど、なんだっけなあと思いつつ更けゆくおだやかな秋の夜……(>昨晩)。