13世紀のアラビア医学世界……

哲学についてもそうだけれど、医学についてもイブン・シーナー以降、アラブ世界は退潮傾向を強めていったというのはある種の「定説」だけれど、こうした衰退史観(笑)についても近年、見直しの動きがいろいろなところから出てきているらしい。で、そんな文脈の一端に位置する論考を読んでみた。ピーター・ジューセ&ピーター・ポーマン「アヴィセンナ時代以降のイラクとシリアにおける凋落と衰退?−−神話と歴史の狭間のアブド・アル・ラティフ・アル・バグダディ」(N. Peter Joosse & Peter E. Pormann, Decline and Decadence in Iraq and Syria after the Age of Avicenna?:’Abd al-Laṭīf al-Baghdādī (1162-1231) between Myth and History, Bulletin of the History of Medicine, Vol 84, No. 1, 2010 pp.1-29)というもの。論文の主人公となるアブド・アル・ラティフは、バグダッド生まれで後にシリアに渡った13世紀の医学者なんだそうで、ここでは主に著作「二つの助言の書」の内容を紹介している。これがなかなか面白そうで、とりわけガレノス(アラブ世界にはフナインの翻訳によって伝えられた)を批判的に継承する立場を示し、当時権威とされていたイブン・シーナーの『医学典範』よりも、古代の知見への復帰を唱えていたという。おお、これって一種のルネサンス精神(?)。いずれにせよ、そんなわけでアブド・アル・ラティフは、当時の医師たちをガレノス流に三つのセクトに分け(合理(=教条)主義、経験主義、方法主義)、それぞれに批判を加えているらしい。で、その過程で、下手な合理主義者よりは巷の経験主義者のほうがマシだとして、下層の医師や、アラブ世界にも少なからず存在したらしい女性のヒーラーたちを称揚しているという。

論文の末尾にあるのだけれど、上の衰退史観の形成には、アラビア語の医学文献のラテン語への翻訳が大きな影響を与えているという。イブン・シーナーとイブン・ルシュドの後、西欧の側は文献の翻訳にあまり留意しなくなったわけだけれど、そのことが「見るべきものがないから」とされてしまったというわけだ。で、ようやく近年、哲学や天文学などの各領域から、この「西欧中心史観」を批判する動きが出てきたのだという。うん、そのあたり、確かに大いに期待したいところだ。