またまた『コンスタンティヌス・アフリカヌスとアリー・イブン・アラッバース・アルマグージー』からのメモ。ジェリット・ボスの論考(Gerrit Bos, Ibn Al-Gazzar’s Risala fin-nisyan and Constantine’s Liber de Oblivione, pp.203-232)は、イブン・アビー・カーリッド・アル・ガッザールというチュニジアはケルアン出身の医学書(10世紀)のうち、『リサーラ・フィー・ンニシアン(健忘症論)』の内容を紹介し、そのラテン語訳者がコンスタンティヌス・アフリカヌスだった可能性を検証するという小論。この『健忘症論』の内容紹介がなかなか面白い。第一部は理論的な原因特定編。まず、脳を三つないし四つの脳室に分けるという見解が出てくる。脳室自体はヘロフィロス(BC4世紀ごろ)に由来する概念だそうで、ポシドニオス(1世紀)あたりから魂の働きをいずれかの脳室に特定するようになったという。ガレノスあたりからすでに、記憶に関する機能は、後部の脳室にまでいたる精神的プネウマが担っているとされ、精神的プネウマの中継役は小脳虫部だとされていた。こうしたガレノスの見解は、アラブ世界の当時の医師たちがすべからく採用していたといい(西欧でもそれは中世まで受け継がれるわけだけれど)、イブン・アル・ガッザールもやはりガレノス説に立脚し、健忘症の原因を冷・湿の粘液に見ている。つまり、その冷たく湿った粘液が過剰に後部の脳室を満たすことによって病気が生じるというわけだ。で、第二部では、原因と対照をなす処置を施すという原則に則り、とくに「温」を活用した処方を列挙していく……。
ちょっと興味深いのは、イブン・アル・ガッザールが処方への導入としてプラトンやアリストテレスを引用しているのだけれど、どうやらその引用が二次ソースから引いた「言い換え」らしい点。プラトンが「老年は健忘の母だ」と言っているとか、アリストテレスが健忘を「凍った水」(流れる水と対照的に)に譬えているとかいうのだが、どうもそういう一節はないらしい。アリストテレスの『記憶と想起について』では、「受け取る表面の堅さ」との表現はある一節に見られるという(450b 1〜8)……。ちなみにアリストテレスの同書はトマスやアルベルトゥス・マグヌスなどに記憶論として重んじられ、一方のアラブ世界でも、たとえばイブン・ルシュド(アヴェロエス)が『自然学小論集梗概』で、その当の一節について議論しているという。