スティーブン・ジャーシュ「ラテン・ネオプラトニズムの第一原理−−アウグスティヌス、マクロビウス、ボエティウス」(Stephen Gersh, The First Principles of Latin Neoplatonism: Augustine, Macrobius, Boethius, Vivarium, vol.50, 2012)という論文に目を通す。新プラトン主義の伝統が西欧中世に受け継がれていることは誰の目にも明らかだけれど、従来のように古代末期のラテン世界の新プラトン主義をギリシア哲学の一変種と見るのではなく、ギリシアのものとパラレルな伝統としての「ラテン・ネオプラトニズム」として強調してもよいのではないか、という問題提起がなされている。ここでそう呼ばれているのは、まだアラブなどを経由していない、ギリシアの新プラトン主義に連なるラテン世界での伝統のこと。そこでの新プラトン主義は、もちろんキリスト教化されて取り込まれており、流出論一つとってみても創世記の記述とはそのままでは相容れないわけで、細部は大幅にアレンジされ、結果として中身は大いに違っている。けれども著者は、あえてそれを別個のものとして括りたい考えのようだ。古代末期のラテン世界の新プラトン主義も独自の体系的哲学を形作っていることを示そうと、表題の三人の思想家たちのテキストから、もとの新プラトン主義との比較において特徴的・独創的な思想的中核部分を8つほど「哲学素」として取り出してみせている(コスモロジー、創造の段階説的解釈、魂の三幅対、被造物の三位一体的構造、流出(創造)の体系、包摂関係、数の階層、認識の問題)。
うーん、まとめとしては面白い。ボエティウスはプロクロスに依存しつつそれを簡略化し、マクロビウスはプロティノスを簡略化し、アウグスティヌスはプロティノスほかを換骨奪胎している……などなど、出典を検証すれば、それぞれが何をどう変換して取り込んでいるのかをある程度追うことは当然できる。で、それらを踏まえた上で同論考は、三者の各テキストにおいて何が特徴的なのかを示そうとしてはいるのだけれど(さらに後の中世の論者たちがそれら8つの哲学素をどう活用しているかも大まかに列挙されているが)、そのあたり、論文著者が目指しているような、体系としての「ラテン・ネオプラトニズム」を強調することの解釈上の利点については、十分に説得的かどうか微妙な気がするのだが……(?)。